第四十六話
街外れにある、旧兵舎の前にソウジは立っていた。
現在、第1151開拓村本部として使われている場所らしいのだが、敷地の奥に見える三階建ての木造兵舎は空爆でやられたのか、押しつぶされたように半壊しており、手入れのされていない営庭には雑草が生い茂っている。
民家はすっかり建て直されているというのに、軍の施設だけが戦禍の爪痕そのままに野晒しになっていることの意味について考えながら、ソウジは鉄門の外された衛門跡に掛けられている“第1151開拓村本部”という表札を一瞥した。その奥には、敷地内で唯一無事な警衛所の建物が立っている。どうやら、そこを本部として使っているらしい。
衛門を出入りするものを見張るため、大きく設けられている硝子張りの窓には窓掛が引かれていた。
周囲を見回しても、人員らしき人影は見当たらない。
まぁ、歓迎を期待していたわけでもないしなと思いつつ、ソウジは警衛所の扉を数度、叩いた。「どうぞ」と、中から女性の声が応えた。穏やかそうな雰囲気の声だった。
ソウジは断りの言葉とともに、扉を開けた。
中へ一歩踏み込んだ彼は、口元に微苦笑を浮かべた。
それほど広くない警衛所の室内には、大きな事務机が一つと、背もたれの無い木の丸椅子が幾つか置かれ、その全てが書類で埋まっていたからだった。それでも足りずに、床の上まで紙が散乱しているその様子に、何処の責任者の部屋も同じような有様なのだなと思った。
「散らかっていて、申し訳ありません」
事務机から立ち上がった女性が、申し訳なさそうな声で言った。
楚々とした面立ちに、憂いを帯びた、どこか儚げな表情を浮かべている女性だった。ソウジほどではないが、一般的な帝国人女性としては背が高く、長い黒髪が腰元まですとんと落ちている。
帝国美人とはこういう人のことを言うのだろうなという感想を抱きつつ、ソウジは軍帽を脱ぐと腰を折った。
「帝国陸軍中将、御代ソウジであります。本日は開拓計画の進捗状況を視察するために参りました。貴女が、この村の責任者である織館ヒスイさんで間違いないでしょうか」
「はい。織館です」
名乗ったソウジへ頷きつつ、ヒスイは手短に応じた。
「ごめんなさい、中将。いらっしゃることは分かっていたのだけど、片付ける暇もなかったものだから……ああ、今、椅子を空けますから」
詫びるように言ってから、彼女はソウジの近くへ寄ると手近な椅子の上に積まれていた書類を退かし始める。
「いえ、お構いなく。こうした惨状には慣れておりますので」
そう返したソウジへ、ヒスイは「まぁ」と好意的な微笑みを浮かべながら顔を上げた。その動きに合わせてふわりと舞った髪から、消毒液の匂いが漂う。
それを嗅いだソウジは、そう言えば彼女は確か、帝大の医学部出身だったなと思い出した。
「あの兵舎、全壊しているわけではないのですから、補修して使えば良いのでは?」
「それも考えたのですが、補修用の資材はできるだけ街の復興に回したいと思っているので。それに、あれほど大きな建物を使うほど、大所帯というわけでもないですしね」
書類を退ける手を止めずに、ヒスイは答えた。彼女の声に、軍人である自分に対する忌避感のようなものが無いことを聞き取って、ソウジはほっとした。
「なにか、心配事があるようですね」
安堵が表情に出たのか、いつの間にか顔を上げていたヒスイが彼へ尋ねた。
「ああ、いえ」
ソウジは言い淀んだ。その内心を呼んだかのように、彼女は微笑んで言った。
「そう。確かに、父が殺害された件に関して。軍が関与していた――という噂はあるけれど。だとしても、当時、貴方たちは御国のために大陸で戦っていたでしょう? そうであるならば、感謝することはあっても、恨む理由はないわ。少なくとも、私と貴方個人の間には」
そうでしょう? と問いかけたヒスイに、ソウジは「ありがとうございます」と頭を下げた。
前首相を支持していた者の中には、軍人であれば見境なく攻撃対象として捉え、罵詈雑言を浴びせかけてくる輩も多い。その当事者である彼女が、軍人に対しても一定の線引きをしているということはソウジにとって、小さな救いだった。
「それに、戦争はもう終わりました。今は過去に囚われず、国家を再建することに注力すべきだと、私は思います」
「まったくもって、完全に同意します。陸軍軍人ではなく、この国の一国民として」
ヒスイの言葉に、彼は力強く頷いた。




