第四十五話
生真面目なそうな面立ちをした、軍服姿の男がそこには立っていた。やはり、襟元には中尉の階級章が縫い付けられていた。歳はサクヤよりも二つか、三つほど上に見える。恐らくは開拓部隊の一人なのだろう。
振り返ったサクヤの顔を見た途端、彼ははっきりと表情を強張らせていた。
「これは……木花大佐殿。いえ、今は少佐殿でしたか」
酷く堅苦しい声で彼は言った。
「ええ。初めまして、中尉」
サクヤは努めて丁寧な言葉遣いでそれに応じた。
「佐伯です」
彼は短く名乗った。名前は言わなかった。それでも、サクヤは頷いた。
「木花サクヤです。よろしく、佐伯中尉」
「はい。よろしくお願いします」
佐伯は敬礼をした。サクヤは素早く答礼を返した。
「このような所で、いったい何をなさっているのですか?」
手を下ろすなり、彼は尋ねた。何かを押し殺しているような声だった。
その足元にいた幼い兄妹も、何かただならぬ気配を感じ取ったのか。不安そうな顔で佐伯とサクヤを見比べている。
そんな二人へ、佐伯は少しぎこちないが優しさのある笑みを向けて言った。
「ほら、お前たちはもう戻りなさい。きちんと、勉強するんだぞ」
「う、うん……」
「は、はい……」
言われるがまま、幼い兄妹は手を繋ぎ、そそくさとその場を後にした。時折、尋ねるような顔で振り返る二人の小さな背中を、サクヤは取り残されるような気分で見送った。
「……そういえば。視察が来ると言っていましたか」
兄妹が去った後、佐伯が静かに口を開いた。
「それがまさか、貴女とは」
言って、サクヤに向けられた彼の顔にはもはや、慈悲の欠片もない表情が浮かんでいる。その感情の正体が何であるのか。サクヤは教えられるまでもなかった。
それは敵意であり、憎悪だった。
お前とは決して相容れないという確信に満ちた瞳で、彼はサクヤを見つめていた。
何故、などとサクヤは疑問を抱かなかった。
恨まれる理由も、憎まれる理由も。幾らでも思いつくから。
だからきっと彼は。そのどれか相応しい理由を持って、自分を憎悪しているのだろう。
「戦争では、お疲れさまでした。少佐殿」
岩よりも無感動な声で、佐伯は労いの言葉を口にした。
「欧州戦域は、自分のいた南方と違って連日連夜、激戦続きだったと伺っています」
「何をもって激戦と称するかですよ、中尉。南方戦域では、熱帯症で多くの将兵が苦しんだと聞きます」
サクヤがそう返すと、佐伯は「ああ、あれには参りましたね」と呟いた。一瞬、その瞳から憎悪の火が消えて、断崖を覗き込むような虚ろさが宿る。
誰も彼もが、病を患っている。サクヤはそう思った。
「ところで、少佐殿」
我に返ったらしい佐伯が唐突にサクヤを呼んだ。すでに、目には新しい炎が燃えている。
「自分の名前に聞き覚えがありませんか」
挑むように彼は尋ねた。
「第587連隊、第三大隊第二中隊第三小隊長、佐伯マサムネ中尉」
間髪入れず、サクヤは答えた。
「自分の弟でした」
彼は言った。サクヤは頷いた。
「弟は……」
佐伯はさらに何かを続けようとした。サクヤは突きつけられている憎悪に怯える心を隠しながら、震えそうになる喉と乱れそうになる呼吸を完全に屈服させて、それを遮った。
「貴方の弟、佐伯マサムネ少尉は立派に戦い、戦死しました。責任は全て、指揮官であった私にあります」
その言葉に、佐伯は面食らったような表情でサクヤを見た。
彼女はまっすぐに背筋を伸ばし、彼に向き合った。きつく引き結ばれた唇には、もうそれ以上、何も言うつもりはないという強い意志が宿っていた。
それを見た佐伯は、何かを耐えるように目を瞑った。
しばらくして、ようやく佐伯が全身から力を抜いた。
「……この街は、どうですか」
脱力したようなその声に、先ほどまでの激しさはない。
「素敵なところだと思うわ」
サクヤは正直な言葉で答えた。
「自分もそう思います」
彼は力強く頷くと、通りを眺めた。
「兎にも角にも、貴方のおかげで戦争は終わった。それは事実です。これからは、平和な時代がやってくるのでしょう。あの子たちが銃を手に取らずとも良い時代が。そのためにも、自分はこの街の復興に尽力するつもりです」
そう語る彼の目が、再びサクヤを捉える。
「それでも。やはり自分は貴女を許せない」
「はい」
当然のように、サクヤは頷いた。
それ以外に何も言わなかった。今さら、何を言えと言うのだろう。
第587連隊第三大隊に、生き残りは一人としていない。




