第三十二話
それからしばらく、口にする言葉も見つからなくなった二人は幅の狭い窓から見える外を眺めた。帝都を出てから一刻ほど走っているため、周囲には爆撃によって荒らされた焼け野原ではなく、緑の草花が茂る草原が広がっている。
「ところで」
どこからか、野鳥たちの歌声が響いてきたところで、ソウジが思い出しようにサクヤへ顔を向けた。
「その開拓村には、もう一人。注目すべき人物がいると思うのだが」
「はい」
そう口を開いたソウジに、サクヤは頷くと手元の書類をぱらぱらと捲った。目的の頁を見つけると、そこに記されている名前を読み上げる。
「織館ヒスイさん、ですね。織館前首相の一人娘で、若いながらも当該開拓村の責任者を任されています……あの、前首相は確か……」
「そうだ」
言い難そうなサクヤに、ソウジは頷いた。
「彼女の父親、織館キンセイ前首相は何者かに暗殺されている。陸軍の採用する小銃と同型のものを使った何者かにな」
自分の後を継いでいった彼の言葉を聞いて、サクヤは悲しそうに顔を伏せた。
帝国前首相、織館キンセイは戦時下の帝国で唯一、議会の大半を占める陸軍派ではない、中立派の議員でありながら首相に選出された人物だった。
そうした立場の彼が首相の座に就くことができた理由を説明するには、少しこの国の歴史を知る必要がある。
帝国が現在の統治機構、即ち、帝主を頂点とした統治体制に移行する以前、この国は長らく、幕閥と呼ばれる有力な武家によって治められる領国に分かれていた。そこへ、諸外国との交易が活発になり始めると、欧州列強との国力差、特に軍事力の圧倒的な格差が露見し始める。
そのことにいち早く気付いた幕閥の中から、帝国再統一を掲げる者が現れた。
戦国の世から続いた領国制の限界を悟った彼らは、失われて久しい帝家の権威を復活させて各地の幕閥を纏め上げると、従わぬ諸勢力を鎮圧し、帝国を統一国家として再興させたのだった。
現人神たる帝主という存在を権威の象徴に祀り上げただけだと揶揄する者もいるが、彼らによって議会制や内閣府の創設などといった近代的な政治体制が整えられ、その後、西洋文化を積極的に受け入れることによって、今日に続く極東最大国家としての帝国の基盤が作り上げられたというのは事実である。
この帝国再統一の際、中心になった七つの幕閥家があった。
織館家は、この七閥(しちばつ、ななばつ)と呼ばれる家の一つだったのだ。
帝国再統一後、織館家は軍事から身を引いていたのだが、それでも陸軍派の中にも彼を支持する者が少なからずいた。このほとんどが、軍事から遠ざかっていたがために、彼が首相となれば軍政面で無用な口出しを受けることも無かろうと考えていたのだが、兎にも角にも、そうした背景から、キンセイは遂に首相の座に昇り詰めたのだ。
だが、そうした陸軍派の期待を裏切られた。
首相になったキンセイがまず訴えたのは、あろうことか欧州との和睦というものだった。
大陸南進を続ける北方連邦は帝国にとって脅威に違いないが、長きの戦乱によって疲弊し、その間に西の大陸で新興した“超大国”へ世界の中心の座を明け渡した欧州と、今さらに争う必要がないというのが彼の言であった。
言うまでもなく、陸軍派の反発は猛烈なものだった。反戦や停戦などという言葉が頭の中に存在しない彼らにとって、キンセイのこの主張は許しがたい裏切りであった。
しかし、彼は長い戦時体制の下で強力に拡大された首相の権限をもって、自らの政策を推し進めた。
そして、その結果。ある日、議会へ出席するためにやってきた議事堂の正面玄関で、彼は凶弾に斃れることとなる。
彼を銃撃した犯人は未だに不明とされていた。
ソウジの言った通り、暗殺に使用された銃が、陸軍の制式採用する小銃と同型であることや、その手際の良さから見ても、現役の陸軍将兵による犯行であることは間違いないだろう。
だが、軍は事件への関与を否定しているし、後任に就いた現首相もまた軍の主張を認めている。もっとも、現首相の前職が陸軍参謀総長だったことを思えば、信憑性とはなにかという話でもあるのだが。
その織館キンセイの一人娘である、織館ヒスイは父の亡き後、その志を継いで反戦を訴え続けていたという。
年が若すぎるために議員資格を得ることはできず、その活動は街頭での演説など、草の根運動に過ぎなかったが、彼女を中心とした反戦派の行動は議会にも少なからず影響を与えていたようだ。無論、今や議会を支配していると言っても良い陸軍派の議員たちからは黙殺されていたが。
大戦終結とともに、彼女と父親の悲願は達成されたわけだが。その後もたびたび、議会とぶつかり合うことが多かったらしい。
だからこそ、帝都から最も遠い開拓村の責任者などという立場に追いやられたのだろう。
「なんとも奇妙な偶然だとは思わないか? 大隊長まで務めたにも関わらず、開拓部隊の指揮官なんぞを任されている不良大尉に加えて、我々にとっては不名誉な噂のある前首相の一人娘まで一所に集まっているなんて」
「ですが」
芝居がかった口調で言ったソウジに、顔を上げたサクヤは反論するように口を開いた。
「この事実は決して、何らの懸念を抱かせるようなものではないと、私は思います」
彼女の言葉に、ソウジは口元を皮肉そうに歪めて笑った。
もちろん、サクヤもこれが偶然などではないことくらい理解している。
だが、そこにあるのは小うるさい邪魔者をどこか遠くへやっておきたいという為政者たちの思惑であって、決して争いごとを起こそうとする意志はないはずなのだ。
そう考えるサクヤに、ソウジは惚けたように応じた。
「懸念? 別に、俺は何も懸念などしていないぞ、少佐。今日、我々に与えられた任務はあくまでも、開拓の進捗状況を確認するための視察なのだ」
その声はむしろ、自分に言い聞かせているように聞こえた。
「……そうですね。そういえば、そうでした」
答えたサクヤの口調もまた、同じようなものだった。




