第二十三話
夜空には明るい月が輝いていた。
その下。淡い月明かりで照らし出された夜道には、流麗な歌声が響いていた。
流暢な異国の言葉で紡がれる、柔らかな曲調に乗った歌だった。
歌っているのはコトネだ。
大陸にいた頃、とある街に立ち寄った時に聞いたその歌を気に入って、教えてもらったのだ。
歌詞は、とあるお姫様の一生を綴ったものだった。
昔、ある王国に一人のお姫様がいた。宮殿で過ごす彼女の下には毎日、何人もの騎士が求婚に押しかけてくる。騎士たちはあの手この手で、お姫様の美しさや気高さを讃えて気を引こうとするのだが、鈍感な彼女は彼らからの好意に気が付かない。
そんな、少し残念なお姫様の国へある時、隣の大国が攻め寄せてくる。
敵軍は強大で、国を守るために幾人もの騎士たちが命を捧げ、斃れていった。
そして 戦いは進み、もはやここまでというところまで追い詰められたその時。お姫様が立ち上がる。国を守るため、自ら剣を取ったのだ。
彼女は残った騎士たちを従えて、強大な敵と真正面から戦った。
そこで騎士たちは気付いてしまう。そのお姫様は、戦う姿こそが真に美しく、気高いのだと。
果たして、お姫様は見事に国を守りきった。
しかし、隣国は心底から諦めなかった。幾度となく侵攻を繰り返し、そのたびにお姫様は騎士たちと共に剣を振るって戦った。
そうして国を守り続けたお姫様は、遂に戦いだけを伴侶として生涯を終えてしまう。
そんな内容の歌だった。
「なんともまぁ。酷いもんだ」
長い余韻を残しながら歌い終えた時、コウが唐突にそんな呟きを漏らした。ちょうど、歌詞の内容について同じようなことを考えていたコトネは、驚いたように目を見張る。
まさか、この男が異国語を理解しているのかと驚愕したのだが、どうやらそういうわけではないらしい。隣を歩くコウの視線は、帝都を抜けてすぐに広がっている景色へと注がれていた。
月光を浴びてぼんやりと浮かび上がるそこには、一面の焼け野原が広がっていた。
大戦後期に登場した航空機と、それを用いた空爆によって前線という概念を吹き飛ばされた頃。互いの国土へ対する攻撃が当たり前になると、参戦していた各国は“互いの首都に対して直接的な破壊活動をしない”という奇妙な条約を締結した。
それによって、帝都は攻撃に対象にならず、直接的な戦火から免れたのだが、街から一歩でも出ればそこは条約の範囲外だ。首都への交通や物資の運搬を遮断するため、周辺が苛烈な爆撃に晒されることとなったのはある意味で当然の帰結だった。
結果、帝都周辺はありとあらゆる爆弾によって散々に荒らされ、燃やし尽くされた。
互いの首都に対する安全保障条約には、戦後処理を円滑に行うためという政治的な目的もあったのは確かだが、焼け出された者たちから為政者たちの詭弁に他ならない。
もっとも、抗議の声をあげることのできる者はもう、一人も残っていないのだが。
「こんな場所を畑にして、国の復興ねぇ……本当にそんなことができんのかぁ?」
周囲には虫の音さえも聞こえない中、家が建っていたらしい焼け跡を目にしたコウが不思議そうな顔で呟いた。
「できるかどうかじゃなくて、やらなきゃいけないのよ」
それに、コトネがきっぱりとした声で答えた。
「大丈夫、少し焼かれたくらいじゃ、土地は死なないわ。川だって干上がったわけじゃない。きちんと手入れをしてあげれば、草や木も生えてくる。花だって咲くのよ」
「……そんなもんか」
その言葉に、壊すことしか知らない彼はやはり不思議そうだった。
「そんなものよ。アンタたちがあれだけ暴れまわっても、大陸が海に沈むことのなかったようにね」
コトネは諭すような声で言った。そのあとで、今の言い方はコウには少し詩的過ぎたかもと思った。
案の定、彼は首を捻っていた。
まったく。コトネは失笑とも溜息ともつかぬ息を吐きだした。
同い年ではあるが、この二人の精神年齢には大きな開きがある。
いや、コウの場合はコトネとだけではなかった。ミツルやシュンがどんどん大人びていくというのに、彼だけはいつまで経ってもサクヤと一緒になって泥だらけで駆けずり回っていた少年の頃から大して変わっていないように思える。
その内、サクヤにも抜かれるわね。こいつ……。
呆れたように胸の中で呟いたコトネだったが、いやもう抜かれているかと思い直す。もしかしたら、私も。そう付け加えた。
「アンタもいい加減、大人になりなさいよ」
隣を行くコウの横顔をしみじみと眺めながら、コトネが口を開いた。
「なんだよ、いきなり。もう大人だろうが」
「年取るだけが大人になるってことじゃないの」
言い返す彼に、コトネはぴしゃりと言った。
「サクヤを見てみなさい。いまや、大戦を終わらせた英雄で、士官学校の教官よ?」
言いながら、彼女は士官学校での入学を期に離れ離れになっていたサクヤと、戦地で再会した時のことを思い出した。ソウジによって集められた自分たちの前で、サクヤが発した一言は今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
――この戦争を、終わらせます。
臆病で、恥ずかしがり屋で、泣き虫で、いつだってコトネたちの後ろにくっついていたはずの小さな女の子はそう断言すると、誰よりも先頭に立ってみんなを引っ張っていった。
そして遂には、その言葉どおりに戦争を終わらせてみせた。
「本当、立派になっちゃって」
「流石、サクヤだよな」
少し寂しそうに零す彼女の隣で、コウは無邪気にけらけらと笑っていた。
「あのね。本当に分かっているの? サクヤがいなければ私たちが今頃どうなっていたのか」
コトネは少し怒った声を出して、彼の横顔を睨んだ。
コウは典型的な戦中生まれの帝国男児そのものだ。良く言えば豪放磊落、悪く言えば刹那的な思考の持ち主で、戦うことこそ男の本懐と信じてやまない節がある。
下手をすれば、今頃戦争狂などと呼ばれていたのはコイツの方だったかもしれないとコトネは思った。
しかし、そう考えると。コウがそうなってしまうのを防いだのは、あのちっちゃな泣き虫サクヤだったわけか。
そのことについて考えると、コトネの胸にはなんとも言えぬ感慨が溢れた。
「あーぁ。サクヤも昔は可愛かったのになぁ……」
「何を言ってんだ。今でも可愛い」
思わず、懐かしむようにそんな言葉が漏れる。するとその横で、コウがきっぱりと言い放った。
恥ずかしい台詞を、当然のように口にできる彼の正直さというか、率直さにコトネはふうんと感心したように鼻を鳴らした。
子供のままでいられるのも、そうそう悪い事ばかりではないのかもしれない。
「ふふふ……」
「あん? なに笑ってんだ?」
突然、くすくすと笑いだしたコトネにコウが怪訝そうな目を向けた。
「ああ。ごめんごめん。本当に馬鹿なんだなぁって思って」
「はぁ? どういう意味だそりゃ?」
今度はコウが怒ったような声を出したが、コトネは笑いを抑えることができなかった。
私たちは何もかも変わってしまったけれど、変わらないヤツが一人いる。それは少なくとも、悪い事じゃない。
もしかしたら、いつか。
私たちはまた、昔のように戻れるのかも。
月を見上げながら、彼女はそんなことを思った。




