014
「いったいどこへ行っておったのだ。探していたのだぞ、御代次長」
顔を見せたソウジに、執務机の向こうから荒笠マレミツの不機嫌そうな声が飛んだ。
「軍の来期予算案に、各守備隊の徴兵計画、兵站、訓練運用……今週中に取りまとめて提出せよと言ったはずだが? このところ、職務怠慢が過ぎるのではないか。まったく。中将にもなって、軍務を何と心得ておるのか……」
ぶつぶつと小言を零すマレミツを遮るように、ソウジは彼の着いている机に勢いよく両手を叩きつけた。ばん、という大きな音とともに、書類が数枚、床へ落ちる。
「な、なにを……」
突然の、部下の暴力的な行動に目を白黒させているマレミツへ、ソウジは机に叩きつけた手をゆっくりと退かしながら言った。手の下から、一通の封書が現れる。
「辞表です」
「辞表ぅ……?」
目の前に叩きつけられた封書を睨みつけながら、マレミツが小馬鹿にしたように唸る。
「何を突然」
「お分かりになりませんか?」
ソウジは質問を最後まで聞かずに問い返した。
「あの小娘のことか。あの処分を決めたのはわしではなく、議会だと何度も……」
やはり、ソウジはマレミツの言葉を最後まで聞かなかった。
「ああ。だから、アンタにはもう何も言わない。さっさと辞表を受け取って、次の次長を決めればいい。簡単だろう? アンタに尻尾を振る犬なら、そこら中にいるからな」
吐き捨てられたその言葉に、マレミツは一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。何を言われたのかを理解すると、その顔にみるみる血が上ってゆく。
「貴様っ!! 上官に対してなんだ、その言葉遣いは!?」
「もう上官じゃない。俺は辞めるんだ」
唾を飛ばしながら喚きだした老人に、ソウジは冷めた溜息を漏らす。
「そもそも。何だって俺が今まで、アンタらの言うことに唯々諾々と従ってきてやったと思っているんだ。もう十分だろう。これ以上は付き合いきれない。後はそっちで適当にやってくれ」
もはや軍に何も未練はない。そう言い残すように、彼はマレミツに背を向けた。
「……まあ、待て。御代次長。よく考えてみろ」
扉の取手に手を掛けたソウジを、懸命に自分を落ち着けたらしいマレミツが呼びとめた。
「本当に良いのか? こんなことで、貴官のこれまでの功績を」
「こんなこと?」
未だ頬を痙攣させながらも、諭すような声を出す彼にソウジは鋭い目を向けた。
「碌な証拠もないままに、国が無実の人間を処刑しようとしている。それが、こんなことで済む話だとでも?」
「これも御国のためなのだ!」
それで全てが許されるとでもいうようにマレミツが叫ぶ。
ソウジは一層呆れかえったように鼻を鳴らした。
「違うね。御国のためじゃない。お前らの、下らない見栄だとか、保身だとかのためだ。それとも自分たちこそが国だとでもいうつもりか。ふざけるな。俺はそんなものに仕えてきたわけじゃない」
「……自分が誰よりも賢いと思っているのだろう。自分には、なんでもできると」
「説教なら聞き飽きた」
取り付く島もない態度のソウジにマレミツは、この老人にしては珍しく、忍耐強い声で続けた。
「だがな、それは若さゆえの勘違いというものだ。わしにも憶えがある。井の中の蛙大海を知らずというだろう。その万能感も、根拠のない自信も、所詮は世間を知らぬが故の思い違いよ」
「……」
その言葉に、ソウジは大きく息を吐きだしながら振り返った。
「閣下。閣下は自分と同じ年齢の頃。何をしておられましたか?」
「なに?」
突然、口調を部下としてのものに切り替えた彼の質問に、マレミツは戸惑った様子だった。ソウジは答えを待たなかった。
「閣下が自分と同じ歳の頃といえば、戦況は比較的落ち着いていたはずですし、それに内地組は出征組と比べて最終的な階級は高くなるものの、昇進は遅かったと考えれば……精々、少佐か中佐といったところですか」
ソウジの推理は当たっていた。マレミツは彼と同じ年齢の頃は少佐だった。任されていた仕事も、大したものではない。
「それがどうした」
「俺は中将です」
悔しそうに顔を顰めたマレミツに、ソウジのきっぱりとした声が答える。
「だから、」
それがどうしたのだ。そう怒鳴ろうとしたマレミツに、ソウジは素早く詰め寄った。
「俺が誰よりも賢い? 当然だ。俺は中将で、そうであるからには、下にいる誰よりも賢くなければならないからだ。俺の、俺たちの誤断一つで、幾千幾万の部下の命が危険にさらされると思っている。戦場も知らないまま大将なんぞになっちまうから、そんな当たり前のことも理解できんのだ」
低く、唸るように言い終えてから、彼は机の上に置いたままだった辞表を取り上げた。それをそのまま、塵箱に放り捨てる。
「辞表で済まそうかと思っていましたが、気が変わりました。それに辞めるならもっと簡単な方法がある。俺を除隊処分にすればいい。理由は、そう、たとえば。上官への暴力、なんてのは如何ですか?」
言いながら、すでにソウジは拳を振りかぶっていた。
「まっ、待てっ……!」
マレミツの悲鳴は、最後まで響かなかった。
参謀総長執務室から出たソウジは、そこで荒笠マレツグと鉢合わせた。
「おや。ちょうどいいところに。お祖父さんを介抱してやったらどうだ?」
妙に清々しい顔で言い放つ彼の肩越しに、マレツグが部屋の中を覗き込む。そこでは、背もたれにだらりと寄りかかる形でマレミツがのびていた。
「……やり過ぎです」
「一発だけさ」
ため息を吐くような棒読みに、ソウジは悪びれた風もなく答えた。立ち去ろうと、マレツグに背を向ける。
「お待ちを」
「……なんだ? 警備の兵でも呼ぶか?」
呼び止めたマレツグを、ソウジは剣呑な横顔で睨んだ。それに怯んだ様子も見せずに、マレツグが口を開く。
「木花少佐の銃殺は三日後。旧歩兵第一連隊司令部の射撃場です」
「……なぜ、教える」
彼の口から出た思いもよらないその言葉に、疑いを孕んだ顔でソウジが訊き返す。
「別に」
マレツグはやはり、何処までも無表情のまま答えた。
「ただ、自分は祖父を殴るわけにいきませんから」




