013
「さて」
三人が去ったあと。ソウジはそんな掛け声とともに立ち上がった。
懐を探って、財布を取り出す。何も注文していないが、店を使わせてもらった以上、ただで帰るわけにもいかない。
そう思ってミヤコを探すと、彼女は店の隅の椅子の上で眠りこんでいた。
起こすのも気が引けるが、婦女子の寝顔を無断で見たまま放っておくのもどうだろうかと、ソウジが悩んでいると。
「ソウジ」
その背中に、シュンの声が掛かった。
振り返ると、いつの間にか復活していたらしいシュンが、それまで横になっていた椅子に腰かけている。
「どうした。もう大丈夫か?」
ソウジが尋ねると、シュンはいまだ若干青白い顔を頷かせた。それから、口を開く。
「……一つだけ、君にもまだ言っていない事がある」
「一つだけか?」
茶化すように訊き返したソウジへ、シュンは妙に神妙な顔を向けた。
「叛乱を起こさずに、サクヤを助け出す手がある……かもしれない」
「……なに?」
唐突なその言葉に、ソウジも真顔になる。
「どうするんだ」
「あくまでも、かもしれないという可能性の話だよ。成功するかどうかは、僕らが決められることじゃない。そしてもしも、これが失敗すれば……僕らの名は、大逆の罪人として永遠にこの国の歴史に残ることになる」
「構わない」
慎重な口調のシュンに、ソウジは間髪入れずに応じた。
「今さら、どんな形で歴史に名が残ろうとも気にならない。帝国陸軍最年少の中将って肩書だけで十分だ。そして、それも結局は他人からの貰い物だしな」
他人からの貰い物になど、未練はない。たとえそれが、サクヤがくれた平穏な日常だとしても。彼女が平穏でいられないのならば。
「それもそうだね」
そんな彼の心を読んだように、シュンが頷いた。
杉山大尉が参謀本部次長室へ入ると、そこにはいつの間にか戻ってきていたソウジの姿があった。
「閣下」
「ああ。君か」
呼びかけた彼に、上官は手を止めることなく応じた。
「済まないが、そこにある書類を全部廃棄しておいてくれないか」
陸軍の、漆黒の正装を身につけながら、ソウジが部屋の隅に積まれた書類の山を顎で示す。
「はあ。それは構いませんが……」
鷹揚に応じた杉山は彼の右胸に輝くはずの、数多くの勲章や略章が執務机の上に放り出されていることに気付いた。
「どうなさるのです?」
それに、特に驚きも見せないまま、彼は尋ねた。
「参謀総長閣下にお会いする」
台詞を流暢に読み上げるような声で答えながら、ソウジが階級章を取り外して机の上に叩きつけるように置いた。
「今まで世話になったな、杉山大尉。次に会った時、俺はもう君の上官ではなくなっているだろう」
それは、これ以上ない別れの言葉だった。
「おかしいですねぇ……」
本当にそう思っているように顔を顰めながら、杉山は肩を竦める。
「貴方の下にいれば、自分はもう少し出世できるはずだったのですが」
彼の言葉に、ソウジは声をあげて笑う。
「そう思うなら、今度はもう少し賢いヤツの下につくんだな」
そう言って快活に笑う上官の顔は何か吹っ切れたように爽やかだった。
「まあ。俺より賢いヤツが参謀本部にいるとは思えんが」
傲岸不遜に言い放って、ソウジは彼の脇をすり抜けるように部屋の外へ向かう。
「閣下」
その背を、杉山が呼びとめる。
「武運長久をお祈りしております」
ソウジが振り返ると、彼は深々と腰を折っていた。




