002
木花サクヤ逮捕という報せが、帝都中を震撼させたその日。
相霞台練兵場に駐屯する帝都守備隊第五中隊の指揮官、邑楽ミツル大尉は部下たちの包囲下に遭った。
「どういうことなんですか、中隊長!?」
ミツルが中隊の隊舎へ来るなり、詰め寄った兵の一人が広報紙を机に叩きつけた。
その見出しには“木花サクヤ少佐逮捕”という文字が大きく印字されていた。その後に続く紙面には、どんな馬鹿でも分かる文章が綴られている。
つまり、簡潔かつ中身が無いということだ。
「前大戦の功労者である木花サクヤ少佐が、国家叛逆を企てていた事実が判明……陸軍と議会はこれを受けて、少佐を緊急逮捕……」
「連隊長がなにしたっていうんですか!?」
「反乱罪は死罪って、これ、つまり、死刑になるってことですよね……?」
「なんでこんなことになってんのか、説明してくださいよ、中隊長!!」
「待て、待ってくれ。少し落ち着いてくれ」
息巻く兵たちに問い質されるミツルは、彼らを宥めるように両の掌を広げて見せた。
「これが落ち着いている場合ですか!!」
「その件に関しては今朝一番で上に問い合わせている。俺だってまだ詳しい状況を掴めていないんだ」
怒鳴り散らす部下へ、自らも焦燥の隠し切れない様子でミツルが答える。
「だったら、今からでも参謀本部に乗り込んで……」
どうにも歯切れの悪い上官の態度に、殺気立った兵の一人が隊舎の外へ向かう。ミツルは慌てて、彼を遮った。
「待て、やめろ、伊関。馬鹿な真似をするな」
「馬鹿な真似って、なんすか」
引き止めるその言葉に、伊関は噛みついた。
「だって。連隊長が殺されるかもしれないんですよ。なのに、このまま何もせず、黙ってろっていうんですか」
「そうじゃない。そうじゃないが……」
責めるようなその声に、ミツルの顔が苦痛に歪む。
彼だって同じ気持ちなのだ。いや、或いは伊関以上に混乱もしているし、怒ってもいる。
サクヤ逮捕という報せは、もはや国家から彼らへの挑戦状に等しいからだ。
本当ならば、今すぐにでも中隊を率いて参謀本部を襲撃したかった
けれど、それができない理由もある。
彼は軍人で。そしてできることならば、理性的な軍人でありたいと思っているからだった。
「榛名大尉殿。大尉殿はどうされますか?」
自身の立場と理性の間で板挟みになって、どうにも煮え切らないミツルに見切りをつけたのか。その傍らにいたコウへ伊関が顔を向けた。
「ん? お、おう……」
しかし、本来ならばいの一番に同じことを言い出しそうなその上官は、伊関の問いかけに対して、まるで今までの話しなど聞いていなかったような返事を返す。
「参謀本部か、でなきゃ帝国議事堂か、首相官邸か……いや、この際、木花連隊長を直接、助けに行きましょう」
ミツルに代わって、コウに詰め寄りながら伊関が提案するように言う。
「あー、そうだな……」
それにコウが口を開きかけた時だった。
「お、邑楽大尉殿!!」
突然、隊舎に別中隊の兵が飛び込んできた。酷く慌てた様子でミツルを呼ぶと、それからコウにも目を向ける。
「は、榛名大尉殿も、お二人とも、大変です!!」
「分かっているよ、西森。分かっているから少し――」
息を切らせてそう叫ぶ彼を、ミツルが頭を抱えるようにしながら遮る。
その西森という兵士も、守備隊では別中隊の所属になっているが元587連隊だ。言いたいことは分かっていると、話を聞こうともしないミツルに。
「違うんですよ!」
西森がもどかしそうに地団太を踏んだ。
「違うって、何が」
「早く逃げてください!!」
流石に尋常ではないその様子に、何事かと尋ねようとしたミツルへ彼が叫ぶ。
「はあ?」
突然、逃げろと言われたミツルとコウがわけも分からず顔を見合わせる。
「おい、いったい何が……」
ミツルが訊き返す。西森が何かを警告しようと口を開けて。
「逃げる? 逃げるって、誰が? 誰から? いったい、どこへ?」
西森の背後から突然、女性の声が響いた。
あれほど騒がしかった隊舎が、一瞬にして静まり返る。
「あ。ああ……」
愕然とした面持ちで、西森が声のした方へと振り返る。
「は、延槻中尉……」
慄くようにその名を呼んだ彼へ。
「案内ご苦労様。西森一等兵」
延槻コトネは、満面の笑みを向けた。
「邑楽大尉と榛名大尉。お二人とも、少しお時間を頂きたいのですが」
西森を労った笑顔のまま、コトネが二人を呼んだ。
「あ。ああ……別に構わないが」
「ひ、久しぶりだな……」
丁寧な言葉遣いの彼女に、男二人は冷や汗を流しながら応じる。
「あら、どうしたのかしら? 二人とも、顔色が随分と悪いようですけれど……」
未だ笑みを絶やさぬまま、コトネが二人に向かって一歩踏み出す。その途端、彼らを囲んでいた兵の輪がざっと広がった。
第587連隊にいた者ならば、第一声を聞いた瞬間に分かる。
満面の笑みを湛えていても。丁寧な言葉遣いであったとしても。
今の彼女が、酷く怒っていることが。
「そ、そうかな? そんなことないよな、榛名大尉?」
「お、おう、もちろん……元気、だよな?」
「それで、いったい何の用事で……?」
コトネから怒りの矛先を突きつけられて、哀れなほど懸命に平静を装っている男二人に。
「分かってんでしょ? ツラ貸せって言ってんのよ」
コトネが突然、声を低くした。
凄まじい怒気が込められたその一言に抗える男性など、この世にいない。少なくとも、第587連隊にいた者たちはそう確信している。
凍りついたように動きを止めたミツルとコウへ、コトネが隊舎の外を顎で示す。彼らは大人しくそれに従った。
連行されてゆく哀れな上官二人を、中隊の兵たちは静かに見送ることしかできなかった。




