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木花サクヤと、織館ヒスイを乗せた馬車は、それぞれ別の道を通って帝都へ向かった。
その二台を見送った後で、シュンがおもむろに口を開く。
「これでよろしいのですね」
その問いかけに対する答えは、彼の背後の暗闇から帰ってきた。
「よろしいも、よろしくないもあるか。御国のためだ」
きっぱりとした口調でそう答えたのは、初老の大佐だった。
「織館ヒスイの身柄を議会に差し出せば、またぞろよからぬことを企む輩が出てくるに決まっている」
彼は無精ひげの目立つ皺だらけの顔を不愉快そうに歪めると、ふんと鼻を鳴らした。
「軍主導のほうが、御国の再建も早かろうとこれまでは見逃してきたが。流石に、昨今の軍部の暴走は目に余る。我々は御国に仕えているのであって、御国そのものになってはならぬ」
その言葉に、シュンはなんとも形容しがたい表情を作った。
つまりはまぁ、議会であれ、この上官であれ、織館ヒスイを利用しようとしていることに変わりはないのだ。この上官が良くも悪くも、御国のためならば何でもする人物だと知っているからなおさら。
まったく。この世に楽園はないのだなと、肩を竦める。
「それよりも。貴官は木花少佐を気にかけておいた方がいいのではないか?」
「……どういうことでしょうか?」
さも提案するような口ぶりの大佐に、シュンは警戒しつつ聞き返した。
「議会は彼女を恐れている。第1151開拓村での作戦終了とともに、彼女をさっさと帝都に呼び戻したのがその証拠だ。連中は一分一秒でも早く、彼女と君たち元587連隊の将兵を引き離しておきたいのだろう」
その話に、シュンは顎に手を当てて考え込んだ。
「それに、荒笠大将はこの件の手柄を孫にくれてやるつもりなのだ。大佐になるには、相応の軍功が必要だからな。そのために、自分の孫を木花少佐の監督者にするなんていう回りくどいことをしたのだ。そして、それが済んだ今。彼女はもう用済みということになる」
なんだかんだ。軍は参謀総長の意向で動くものだからな。
そんなことを呟いている上官の話がどこまで本当なのか。自分が知らない、気付いていないような事柄をどこまで知っているのか。それを押しはかるように、初老の大佐を横目で観察する。
シュンの視線に気づいているのか、いないのか。
「さて。またしばらく忙しくなるぞ、中佐」
大佐はくるりと踵を返すと、まるで予言者のように告げた。
「今度は何を掴んだんですか?」
言いたいことを言い終えて満足らしい上官の背に、シュンがため息交じりに訊く。
「まだ何も。勘だよ、勘。俺の勘は良く当たるんだ」
「できれば、そんなものは当たらないで欲しいのですが」
呆れたように答えながらも、シュンは本気でそう思った。
その後。冬が終わるまでの間、帝国には特筆すべき事件は何も起こらなかった。
例え、帝国陸軍参謀本部第二部の、決して歴史の表には出すことのできない暗躍によって帝国内の反乱分子が一掃された事実があったとしても、それは記録に残らない真実だ。
そして。
全てが凍りついた春が終わり、眠っていたあらゆる生命が再生を始めた初春のある日。
木花サクヤ少佐が、国家叛逆を企てた罪によって逮捕されたという報せが帝都を激震させた。




