029
指揮所を出たサクヤは、外で待っていた兵に馬車まで案内された。
「どうか、お気をつけて」
馬車の扉に手を掛けたサクヤへ、兵が名残惜しそうに別れの言葉を掛ける。
それにサクヤはどうにか笑みを作って応えた。首まで真っ赤に染まった彼から目を離して、馬車の扉を開ける。すると、そこには。
「貴女は……」
馬車には、すでに人が乗っていた。
長い黒髪の、楚々とした面立ちの女性を見て、サクヤが思わず驚きの声を漏らす。
女性もまた、サクヤを見てわずかに驚いた表情を浮かべていた。
「織館ヒスイさん?」
「木花サクヤ少佐、ですね?」
互いに名を呼び合って、どちらともなく会釈をする。
しかし、それ以上会話は続かなかった。
ヒスイは寂しげな顔を小さな窓の外へ向け、座席に乗り込んだサクヤもまた黙って彼女の前の腰を下ろす。扉が閉まり、奇妙な緊張感が漂う中、馬車が走り出した。
「……結局、街の中を見ることはできませんでした」
ヒスイが初めて口を開いたのは、馬車が走り出してからしばらく経ってからだった。
どうやら、前部座席に座った彼女にはまだ窓から街の姿が見えていたらしい。
「……みんな、死んでしまったのですか」
擦れた声で、ヒスイが訊いた。
「はい」
それに、サクヤは窓の外へ顔を向けたまま頷いた。
「本当に? 誰一人残さず?」
「はい」
お互い、顔を合わせることもなく短い問答が続く。
「……彼に。七倉大尉には会いましたか?」
これが最後というように、ヒスイが尋ねた。何かを抑え込むような声だった。
「ええ」
サクヤはそれにも、短く答えた。
「そうですか……」
ヒスイが小さく、溜息を吐く。それきり、二人は黙り込んだ。
サクヤはそれ以上、言うべき言葉を見いだせず。ヒスイは何かに耐えるように目を瞑り。
そのまま帝都に着くまで、車内は無言だった。
馬車が急停車したのは、帝都まで目と鼻の距離だった。
何事かと顔をあげたサクヤの前で、断りもなく扉が開かれる。
「織館ヒスイさんですね?」
そこに立っていたのは、陸軍の正装に身を包んだ眼鏡の男だった。
「シュン君?」
彼を見たサクヤが驚きの声をあげる。しかし、彼はそれに答えなかった。
「織館ヒスイさん、こちらへ。貴女の身柄は我々が預かります」
そう言って、シュンはヒスイを促すように馬車の外へ腕を伸ばした。そこには、いつの間にか別の馬車が横付けされている。
「貴方は?」
ヒスイは落ち着いた声音で、シュンに尋ねた。どうやら、こうした事態になるかもしれないことは予想していたらしい。
「陸軍参謀本部第二部の、識防シュン中佐です。どうか急いで。誓って、貴女の身に危害を加えるような真似は致しません」
「……そうですか」
名乗ったシュンに急かされて、ヒスイが腰を上げる。
「ま、待って! ……ください。あの、そんな話は聞いていないのですが……」
ヒスイを、というよりもシュンを呼びとめるために、サクヤが声をあげた。途中で自分よりも彼のほうが、階級が高い事を思い出したため、取り繕ったような敬語になる。
ようやく、シュンの目がサクヤに向いた。
サクヤが何かを期待しているような顔になる。
「申し訳ない。今は説明できない」
しかし、彼が答えたのはそれだけだった。立ち上がったヒスイが、馬車を降りてゆく。
「まっ……」
待ってと、もう一度口に出そうとしたところへ。
「ねぇ、木花少佐」
馬車を降りたヒスイが振り返って、彼女に訊いた。
「貴女はこれから、どうするつもりなの?」
「これから……?」
その突然の質問にサクヤは。
「私はもう、何もしないわ。何も」
何もかもを手放したように首を振って、そう答えた。
「そう……」
サクヤの答えに、ヒスイが唇を震わせて息を吐く。
「ずるいわ、あなたは」
そして、糾弾するようにそう言った。
「誰も彼もが、貴女のために何かしようとしているのに。貴方はもう、何もしないなんて」
ヒスイはそう言い切って、扉をばたんと占めた。
言われた言葉の意味も分からないままに、サクヤは暗い車内で一人きりになってしまう。
行け、というシュンの声が外から聞こえて、馬車が再び走り出す。
それは参謀本部に着くまで、もう止まることはなかった。




