019
「左の建物! 二階です!!」
サクヤが悲鳴を上げるよりも早く、瀬尾が鋭く叫んだ。姿勢を低くして、応射を始める。
「伊関、そこから出るなよ! 命に代えても連隊長を守れ!!」
通りの向こうから、コウが怒鳴った。
「合点承知!」
応じた伊関に頷くと、彼は瀬尾が銃弾を撃ち込み続けている建物へ突進してゆく。
コウが引き戸を蹴破って突入すると、瀬尾が射撃をやめた。暫しの静寂。やがて、屋内から争うような物音。そして、銃声が響く。
サクヤは思わず両手で耳を塞いだ。何かに祈るように、目をぎゅっと瞑る。
しばらくしてサクヤが目を開けると、墓地のように静まり返った通りへとコウが出て来た。彼は淀みのない足取りで、地面に伏している楠城のもとまで歩くと、そこでしゃがみ込んだ。
それを見て、サクヤも駆け出す。伊関が制止の声をあげたが、聞くわけにはいかなかった。
「おう、楠城。楠城上等兵。しっかりしろ」
しゃがみ込んだコウが、楠城に呼びかけた。乱暴な口調だが、その声音は幼い子供をあやす慈父のような優しさに満ちている。
「たい、い、どの」
血だまりの中から、楠城がその呼びかけに応じた。
「れんたい、ちょう、は……ごぶじで……?」
「無事よ。傷一つないわ」
血の泡を吹きながら尋ねる彼に、駆け寄ってきたサクヤが答える。同じく、駆け寄ってきた瀬尾が彼の傷をさっと確かめていた。
「銃弾は貫通してます」
そう言いながらも、彼の表情は優れない。サクヤが見つめ返すと、彼は黙って首を振った。
その意味は、聞かなくてもわかる。
銃弾は楠城の右肩から左の脇腹に掛けて貫通していた。心臓を逸れていたから即死は免れたものの、出血は夥しい。
焦点の定まらない瞳をきょろきょろと動かしている様子から、もう目も見えていないのかもしれない。
楠城が、何かに縋るように腕を持ち上げた。サクヤはそれを掴んだ。小さな両手で、彼の手をそっと包み込む。その横で、コウが口を開いた。
「どうした、上等兵。少し疲れたようだな、うん?」
きっと。誰よりも部下の死を目の当たりにしてきた彼だから。その声は何処までもなんでもなさなそうに、穏やかだった。
「ええ。すこし……」
サクヤに手を握られて、安心したのか。いくらか和らいだ表情の楠城がそれに答える。
「でも、すこし……やすめば……」
「よし。休んでいいぞ。連隊長殿は俺に任せておけ」
「へへ……そいつはいいや……大尉殿、な、ら……あん し ん」
そっと、眠りに落ちるように楠城の目が閉じた。わずかに開いた口から、安堵の溜息のようなものが漏れる。
しばし、誰もが無言だった。
サクヤは楠城の手を握りしめたまま、そっと瞑目した。
「ありがとう」
小さく、お礼の言葉を口にする。
謝罪はしない。そんな権利は、自分にはない。だから。
「行くぞ」
サクヤの隣で、立ち上がったコウが言った。彼の声はすっかり元通りだった。




