003
その後も、私は淡々と自分の任務をこなし続けた。
出会う敵、出会う敵。その全てが面白いように私の思い通りに動くから、立案した作戦は悉く成功した。
天才作戦家などと呼ばれて、持て囃されるようになったのもこの頃からだった気がする。
そして。
少尉任官から三ヶ月後。私は大尉への昇進と合わせて、より専門的な参謀教育を受けるために、大陸派遣軍の中に編成されている教導隊、第一教導連隊へと異動することが決まった。
第一教導連隊は、大陸派遣軍の中から上級部隊の指揮官や参謀長などの職に就く見込みのある者へ、即席の上級指揮幕僚教育を行うため編制された部隊だ。集められているのは、大陸派遣軍でも最精鋭の者たちばかりで、当時の陸軍でも唯一“大人”だけで構成されている部隊でもあった。
今思えば。あれほどまでに、大人としての責務を果たそうとした立派な人たちと接したのは、後にも先にもここだけだった気がする。
そして私は、この第一教導連隊で生涯の恩人に出会うことになる。
第一教導連隊は当時、大陸にあったとある街の学校を本部建物として使用していた。
士官学校時代を思い出すような、なんとなく懐かしい木造校舎の中で、着任の挨拶に訪れた私を出迎えたのは四角い眼鏡をかけた、穏やかな面立ちの連隊長だった。
「木花サクヤ大尉です。本日付けで、第一教導連隊に配属となりました」
「村雲セイゴ大佐です。よろしく。木花大尉」
少し緊張で上ずった声の私に、村雲大佐は事務机から腰を浮かせて丁寧に応じてくれた。
将来、責任ある地位に就く者を教育するための場なのだから、当然厳しいところなのだろうと予想して、内心で怯えていた私は、その物腰の柔らかさにほっと胸を撫でおろした。
「君の噂は聞いているよ。任官から、まだ三ヶ月なのか……」
机の上に置かれていた私の考課表に目を通した村雲大佐は、驚いたような、感心したような声でそう言った。
「はい」
彼の雰囲気が、四人いる兄(のような人たち)の誰にも似ているような、誰かに似ていないような。酷く懐かしい気分になって、私は胸を張った。
「今後、さらに御国のために尽くしたく思っています。なにとぞ、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
そう畏まって頭を下げる直前、私は大佐が何かを憂いるように顔を曇らせているのを見た気がした。
その時は何かの間違いだろうと思い、気にも留めていなかったけれど。
今ならはっきりと分かる。
きっとあの時。村雲大佐は目の前の、何処までも愚かな私を憐れんでいたのだ。
こうして、第一教導連隊における私の日々が始まった。
私は一個中隊の管理運用を任されて、経験深い曹長がその補佐に付けられた。
日々の課業は、想像していたものよりも遥かに簡単だった。
任された中隊の練度向上に努める傍ら、時折、村雲大佐や連隊の幕僚長に連れられて短い演習旅行に出る。
この旅行が、当時の私にとって一番の楽しみだった。
演習旅行というのは、机上演習の拡大版のようなもので、実際に現地へと赴いて、教官から出題された状況に対する、自分の考えを述べるというものだった。
例えば、このような地形で、このような状況の時。もしも自分が師団長だったとしたら、どのように判断し、どのように部隊を動かすか。といった質問が、行った先で繰り返される。
本来ならば、知力の限界を試すために行われる演習旅行なのだけど。私はすでに数度の実戦を経験していたためか、出題される状況にも難なく答えることができた。
そんな私にとって、演習旅行とは大陸の様々な景色を見て回ることのできる小旅行、程度の認識だったのだ。
さらに、そうした不真面目な私の回答が幕僚長のみならず、時に村雲大佐でさえ舌を巻くようなものだったというのだから、十六の小娘が図に乗るのも仕方のない事だったのかもしれない。
この頃の私は、自分が当然思いつくことを、どうして他人は思いつかないのかという疑問と憤りを抱えて毎日を過ごしていた。所謂、天狗になっていのだ。
そして、自分たちのしている“戦争”という行為がいったい何を示しているのかも、恐ろしいほどに理解していなかった。
それは、ある時の演習旅行中のことだった。
村雲大佐に連れられて行った先は、かつて帝国陸軍が惨敗を喫したことのあるという古戦場だった。その時の記録から、同じ状況下で私ならばどうするかという出題だった。
状況は、次のようなものだ。
戦場は広い平野。
小さな川や、西側には山脈もあるが全体的にこれといった障害はない地形で、機甲部隊も、航空戦力もなかった頃の典型的な地上戦の舞台だ。
戦力は彼我ともに一個師団で、北に向かい進軍中の帝国軍はこれを三分割していた。
対する敵軍は師団を左右に展開させて、こちらを包囲しようとしている。
まず、帝国軍の左翼部隊が敵と接触した。戦力を分散させていたせいで、左翼だけでは敵の攻勢を抑えきることができず、また中央も同様に押されかけていた。
敵の包囲が半ば完成しかけている中、自由に動かすことのできるのは右翼部隊のみ。
史実では、ここで左翼部隊を後退させて中央、右翼と合流させようとした。
確かに戦力を集中させるというのは、戦闘の原則にもある通りの、理にかなった判断ではある。しかし、結果として左翼の後退が敵の包囲を完成させる手助けになってしまった。
後方に回り込まれ、退路を断たれた部隊の行き着く結末は言うまでもない。
これに対して私は、まず右翼と中央を合流させるべきだと回答した。
すでに左翼部隊は壊滅的損害を受けており、救うことはできない。しかし、中央は押されているとはいえ、まだ助けられるし、右翼部隊と合流することで局所的に敵戦力を上回り、包囲を破ることが可能だと考えたからだった。
左翼部隊には、限界まで現地点を死守させてその援護をさせる。
その回答を聞いた村雲大佐は一瞬、酷く物憂げな表情になると訊いた。
「……確かにいい案かもしれないけれど、左翼部隊の玉砕を前提にするのかい」
「勝つためには、仕方のない事かと」
自らの残酷さも自覚しないまま、私は大佐に答えた。
「そもそも、戦力を分散させれば各個撃破に繋がるという危険性は十分に予測できたはずです。この結果は、そうなった場合を考えていなかった司令官や幕僚たちの怠慢と言わざるを得ません」
募らせていた苛立ちをぶつけるように、私の口調は荒かった。それを村雲大佐は最後まで黙って聞いていた。
もしかしたら、呆れていたのかもしれない。
何も知らない小娘が、偉そうに誰かを非難する様に。
「私には、何故この当時の指揮官が私と同じような決断をしなかったのかが不思議でなりません」
最後に私は、そんな言葉を口にした気がする。
「それはね。怖いからだよ」
そんな私に、村雲大佐が穏やかな声で言った。
「なにかを犠牲にするというのがね。君はまだ、その恐怖を知らないのかもしれない。それは幸福なことかもしれないけれど、恐怖を知らないうちは、賢明とは言えないね」
村雲大佐はそれだけ言い終えると、回答は良しと呟いて歩いていった。
その背中は妙に寂しそうだったのを憶えている。
そして、あとになって大佐の言葉の意味を理解できた時。
私は、自分がどれほど救いようのない大馬鹿者だったのかを、ようやく思い知ることになった。




