006
「ところで、阿西議員。今年の夏に執り行われた陛下の御即位二周年を記念した祝典の際に、一部配給品の制限を解くとの勅令が、陛下より下されましたね」
拍手が落ち着いたところで、ヒスイが尋ねるように口を開いた。
「これはまさに、民草の生活を想う陛下の大御心でありましょう」
「まさに」
彼女の発言の意図が掴めず、阿西は当然のように頷いた。
「ああ、それでしたら」
彼の返答に、ヒスイは口元を綻ばせた。
「私はただの一度も、陛下の御意向に背いたことはないわけですね」
「なに?」
何を言っているという表情の阿西へ、彼女は微笑みを浮かべたまま続けた。
「何故かと言えば。私が住民へ配分したものはいずれも、その際に配給品目から除外されたものだけですから。流通制限の解かれていない物品に関しては、全て帝都へと納めてあります。もしも、証拠を求められるのでしたら、帳簿をつけてありますので、後ほどその写しを提出させていただきますが……」
あえて、彼女は最後まで口にしなかった。
ちらりと視線をあげると、阿西は悔しそうに顔を赤黒く染めている。しかし、彼はヒスイに反論することができなかった。
要するに、彼女は先ほど阿西が使った手をそっくりそのままやり返してみせたのだ。
彼は自身の主張を語る際に、その主語を帝主へ置き換えて語った。そうすることで、あらゆる反論を抑え込んだ。この国では、誰も帝主に対して異を唱えることができないから。
であるから、ヒスイもまた自分の行為を、帝主が許したことであると主語を置き換えたのだ。そして阿西は一度、それに頷いてしまっている。
彼はもうこの件で、これ以上ヒスイを糾弾することができない。
それに気づいた瞬間、一瞬で阿西の頭に血が上った。
「ならば、あの村には監督者不在の年少者が多くいると聞いた。これにはどう説明をつけるつもりだ。しかも、集まっている者の多くが元兵士や軍属だとも聞いておる」
再び口を開いた時、阿西は議員としての仮面をかなぐり捨てていた。
元々、彼は弁舌の徒ではない。その見た目通り、性格もまた猛犬として知られる南洲犬のように凶暴なことで有名な男だった。その攻撃的な性格が災いして、軍内部でも持て余されていなければ、とてもではないが議席などを与えられるような人物でもない。
「さらに、塾と称して子供たちに何か教え込んでおるそうだが」
側溝の底に溜まった泥よりも始末の悪い感情を粘つかせながら、彼はヒスイに指を突きつけた。
「ええ。基本的な読み書きと算術だけですが」
野犬のような阿西の眼光にたじろぐこともなく、ヒスイはきっぱりとした声で応じた。
「誓って申し上げますが、そこで特定の思想や信条を教え込んでいる、などということはありません。十分な判断力を持つ以前に、そのような教育を施すことは罪悪であると私は考えていますから」
「議会はそのような許可を出していない!!」
堪えきれなくなったように阿西が吠えた。
「求めていませんので」
ヒスイの応答はにべもなかった。
「ところで、私からも一つお聞きしたいことがあるのですが」
阿西の双眸が獲物の喉笛を狙うように細められたところで、先に口を開いたのはヒスイだった。
「阿西議員だけでなく、この場にいる皆様にお聞きしたい」
これ以上、この男には何を言っても無駄だろう。そう判断した彼女はさっと身を翻すと、議員たちで埋まる議席へ振り返った。そして、挑むように言う。
「私があの街で行っている幾つかは、確かに私に与えられている権限を逸脱した行為なのでしょう。……けれど、それのいったい、何がいけないと言うのでしょうか」
そう。何がいけないと言うのか。たとえ子供であろうとも、労働に対して正当な報酬を支払うこと。子供たちに読み書きや算術といった基礎的な教育の場を与えること。切り詰めてしまえば、彼女が行っているのはそれだけだ。
何故、それが糾弾されねばならないのか。
ヒスイの問いかけに、何を言うかと議員たちがざわめく。構わず、彼女は続けた。
「正直に言って、私には年少者監督法を始めとした現在の御国の在り方は、復興を口実に、子供たちから教育の機会を奪い、ただ労働力として使い潰そうとしているようにしか思えないのです」
それに幾人かの議員たちは心外そうに顔を顰めていた。本気でそう感じているらしいことが、彼女には恐ろしかった。
「分からないのですか?」
むしろ縋るように、彼女は言った。
「今、この国にいる若者の多くは、生きる術ではなく、殺すための術しか知らないのですよ」
問いかけるように彼女が告げたのは、残酷な、この国の有様だった。




