001
その日。いつもより早めに課業を終わらせたサクヤは一人、帰路に就いていた。
すっかり足の早くなった太陽に、人々も生活の針を合わせているのだろうか。士官学校のある陸軍省の敷地を抜けて、西宮通りへ出たにも関わらず、辺りは閑散としている。
茜色にくすんだ通りを足早に抜けて、西宮四条通りの交差点に差し掛かったところで、サクヤは誰かに呼ばれたようにふと、顔を上げた。
澄んだ水のように透明な秋の空は、夕暮れと宵闇の境界がはっきりと見てとれる。
黄昏の帝都上空は燃えるような紅蓮と、深い群青に染まっていた。
サクヤが見上げた先では、千年桜の丘が大きな影法師になって帝都の空へ浮かび上がっていた。
頂きから伸びる千年桜の樹影はすっかり葉を散らせてしまい、今は酷く痩せ衰えて見える。剥き出しになった樹枝が秋風に吹かれて、寂しげに揺れていた。
それを遠くに眺めながら、サクヤの足は自然と、行きつけの喫茶店へと向かっていた。
来客を知らせる鈴の音とともに琥翠堂へ踏み込むと、この店には珍しく先客の姿があった。
黒い洋礼服を着た男で、横に幅のある体格をしているせいか、店内がやけに暗く感じられる。男が座っている席の向かいには、店主の姿もあった。何やら、卓を挟んで熱心に話し込んでいる。
あの偏屈な老店主が客と会話するなんて、と小さく驚きつつ、サクヤはいつもの元気な出迎えが無いことに違和感を覚えた。不思議に思って店内へ顔を巡らせると、隅の暗がりにひっそりと佇むミヤコの背中を見つける。
「ミヤコちゃん?」
壁に向かって俯いている彼女の背中に、サクヤはそっと呼びかけた。
「あ、た、大佐さん、ですか……?」
その声に、ミヤコは身体をびくりとさせた。どうやら、サクヤが入ってきたことにも気づいていなかったらしい。
「す、すみません……お出迎えもせずに」
サクヤに背を向けたまま、ミヤコが慌てたように詫びる。その声が心なしか、くぐもっているように聞こえて。
「……もしかして、泣いているの?」
眉をひそめて、サクヤはそう訊いた。
「い、いえいえ、そんな、まさか! 泣いてなんて、いませんよぅ!」
とってつけたような明るい声で応じたミヤコの腕が、目元を拭うように動く。
「どうしたの、ミヤコちゃん」
今度こそ真剣に、サクヤは尋ねた。
「いえ、大丈夫です。なんでもありませんから……いらっしゃいませ、大佐さん」
そこでようやく、ミヤコが振り返った。やはり、泣いていたようだ。目元が赤く腫れている。
「誤魔化さないで。何があったの、ミヤコちゃん」
無理に笑顔を作ろうとする彼女に、サクヤは真顔で詰め寄った。ミヤコが怯えたように身を引く。構わず、彼女の潤んだ瞳を見つめ続けると、その視線がちらと、話し込んでいる男と店主のほうへ向けられた。
サクヤは無言のまま、彼らに近づいた。それとない仕草で、二人が囲んでいる卓の上を覗き込む。そこには畳まれた女性ものの着物や装飾品が並べられている。
その中に、あの見慣れた飴色の櫛が混じっているのを見つけて。
「ちょっと、それ!」
サクヤは思わず、大きな声をあげていた。




