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桜花舞う!!  作者: 高嶺の悪魔
第二章 夏(後) 近衛叛乱
114/205

032

「たまにはいいわねー、こういう贅沢も」

「でしょ? お休みの日はいつも、ここから喫茶店に行くんだけど……」

 風呂から上がり、服を着直した二人は何気ない会話を交わしながら脱衣場を出た。

 そこはちょっとした待合の場になっていて、番台と下駄箱以外に、二脚の長椅子が置かれている。その一つに屈みこんでいた男が、彼女たちの声を聞いておもむろに振り返った。

「あれ?」

「あら」

「あん?」

 振り返った男と顔を合わせた途端、それぞれの口から三者三様の声が漏れた。

「コウ君?」

 見知ったその顔に、サクヤが驚きの声で呼びかけた。

「おう、サクヤじゃねぇか」

 それにコウは、傍目から見ても嬉しそうな笑みを浮かべながら二人へ踏み出した。

「ちょっと。まず乙女の前では服をきちんと着てもらえるかしら?」

 近づいてくる彼を制止するようにコトネがその服装を注意した。どうやらコウも風呂から出たばかりらしく、襦袢シャツの前留めが外れて、分厚い胸板が露わになっている。

「乙女……?」

 その声に、今まさにコトネの存在に気付いたかのようなコウが、疑問に満ちた声を出す。

 彼女は瞳を細くして、彼を睨んだ。一見、笑顔にも見えるその表情に、コウは慌てたように前留めを上まで留めた。

「もしかして、コウ君もここにはよく来るの?」

 目の前にやってきた彼に、サクヤが尋ねる。

「おう。非番の時に、やってりゃだけどな」

 コウは右肩に掛けていた制服の上衣に袖を通しながら答えた。

「そっか。ところで、何をしていたの――」

 今日は思わぬ所で、思わぬ人と会うなぁと思いつつ、サクヤはコウの背後を覗き込んだ。

「って、瀬尾曹長!?」

 そして、彼が先ほど屈みこんでいた長椅子の上に、顔面蒼白で倒れ伏している瀬尾を見つけたのだった。


「え? 連隊長殿……?」

 瀬尾は荒い息を吐きながら、サクヤの声に反応した。どうやら、それまでのやり取りは聞こえていなかったらしい。

「いったい、どうしたの? あ、待って、そのままで、寝てていいから!」

 慌てて駆け寄ったサクヤが、身体を起こそうとする瀬尾を必死に押し止める。近くで見ると、全身が小刻みに震えていた。

「な、なにがあったの……?」

 振り向き、サクヤはコウに尋ねた。

「いや。それがよくわからねぇんだよ」

 聞かれた方は首を捻っていた。

「風呂から出るなり、いきなりぶっ倒れてな……」

「どっからどう見ても、のぼせてんでしょうが!」

 何が何やらと答えるコウの頭を、コトネが思いきり叩いた。まったくもうと溜息を吐きつつ、彼女は横になっている瀬尾の傍らに屈みこむと、その額に手を当てた。手のひらからは人肌とは思えない熱が伝わってくる。

「いったい、どれだけお湯に浸かってたわけ?」

「んー……祝賀御列が終わって、解散してからだから……五時間くらいか」

 瀬尾の服を緩めながら、呆れ混じりに訊いたコトネへ、コウが指を折りつつ答えた。 

「入り過ぎよ。ぶっ倒れるわけだわ」

 ぴしゃりと言った彼女の下で、瀬尾が気持ち悪そうに呻いた。

「うぅ……頭がぐらぐらします……」

「ど、どうすれば……?」

 それに、サクヤがおろおろとした声を出す。

「アンタは番頭さんに、団扇か何かないか聞いてきなさい」

「は、はい!」

 コトネの指示に、彼女は弾かれたように従った。


「情けねぇ。帝国男児たるもんが、その程度の事、根性で何とかしやがれ」

「無茶言うんじゃないわよ」

 馬鹿は放っておくことにして、コトネは瀬尾の容態をさっと確認した。まあ、どう見てもただのぼせているだけだ。しばらく安静にしていれば、そのうち元気になるだろう。

「うぅ……これなら、近衛のほうがまだマシだった……」

「んだとぉ?」

「やめなさい!」

 瀬尾に掴みかかるような勢いで迫ったコウを、コトネが怒鳴りつけたところで、番台のほうに行っていたサクヤがいそいそと戻ってくる。

「コトネ! これ! 団扇借りてきたよ! あと、番頭さんが濡らした手拭いも貸してくれた! それで、次は?」

「ああ、うん。手拭いはおでこに乗っけて、それで扇いであげて。後は水でも飲ませておけば大丈夫よ」

 この天才は軍事以外のことになると、とことん役に立たない。士官学校で、基礎的な応急処置の方法は習っているはずなのだけど……。そう頭を抱えながら、コトネは指示を出した。

 サクヤは言われた通り、瀬尾に屈みこむとその額に濡れた手拭いを乗せた。

「大丈夫? 瀬尾曹長……?」

 団扇で扇ぎながら、心配そうに声を掛ける。

「あ。大丈夫です。治りました」

 その途端、けろりとした顔で彼は起き上がった。突然、身を起こしたせいで額から手拭いが落ちる。

「え? もう?」

 驚いて、サクヤは聞き返した。

「あ、いや、やっぱりまだちょっとくらくらします。申し訳ありません、連隊長。もう少し扇いでもらえますか?」

 それに瀬尾はわざとらしく額に手を当てながら言った。

「うん、分かった。もう少し寝ていて」

 彼の演技に疑問すら抱かず、素直に頷くサクヤ。

「いやぁ、やっぱり陸軍が一番ですね!」

 彼女に扇がれながら、瀬尾が元気いっぱいに笑う。

「この……男ってやつは……」

 そんな彼に側溝を覗き込むような目を向けながら、コトネが吐き捨てるように呟いていた。






 桜花舞う!! 第二章 夏 近衛叛乱 了




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