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「はぁ~~……」
牌板張りの浴場に、コトネの吐き出した声が反響する。
「湯船にゆっくり浸かるのなんて、いつ以来かしら……」
温かい湯がたっぷりと張られた木製の浴槽に身を沈めた彼女は、心地よさそうに目を閉じて呟いた。
肩に触れないほどの長さで切り揃えられた髪の毛先から、雫が一滴、湯船の中へ落ちる。
「うぅ~~……」
その横では、長い髪を手拭いで包んだサクヤもまた似たような声を漏らしていた。
「はぁ、凝りがほぐれるわ……」
肩まで浸かったところで、ほっとしたように息を吐いた彼女を見て、コトネは思わず笑い声をあげた。
「なぁにを、いっちょ前に。そもそも凝るようなものは付いてないでしょ、アンタ」
「今日は祝典でいろんな人と会ったから、緊張してたの。それに正装なんて慣れてないし……って、どういう意味よ、それ」
底にお尻をつけてしまうと顔まで沈んでしまうため、浴槽の縁に肘を掛けながらサクヤがムッとした声を出した。
「さーて、どういう意味でしょうねー」
それにふふんと鼻を鳴らしながら、コトネはお湯の中で背をのけ反らせた。水面から、頭を出した二つの膨らみが、お湯の動きに合わせて揺れる。
それを悔しそうに見つめた後、サクヤは自分の胸元に目を落とした。ぱしゃぱしゃと波立つお湯を跳ね返す絶壁がそこにはあった。
「……ずるいわ。コトネ」
悲しそうな声を出して、サクヤは口までお湯の中に沈んだ。
同じような環境で育ったはずなのに、ともう一度、コトネの胸を羨ましそうな目で見る。
「それにしても」
ぶくぶくと泡を吐き出しているサクヤに、しばらく意地の悪い笑みを向けていたコトネが、ふと浴場を見渡すと口を開いた。
「帝都ではもう、銭湯まで営業しているのね」
彼女の声には感心したような、呆れたような響きがあった。
「うん。今年の初めに水道が復旧したから、それに合わせてね」
湯船から顔を持ち上げたサクヤがそれに答えた。
「あ、でも帝都でやっているお風呂屋さんは、ここの他に一軒か二軒だけだよ。それにお湯を沸かす燃料が足りないから、毎日やっているわけでもないし」
彼女の説明にふぅんと頷きながら、コトネは浴槽の縁に寄りかかった。
サクヤがコトネを連れてきたのは、小さな銭湯だった。
浴場には石鹸も置かれていない流し場が三つと、あとは二人が今浸かっている浴槽があるだけ。それも四、五人ほど入ればいっぱいになってしまう広さしかない。
多分、もっと広い浴場を持つ銭湯だと、燃料不足の今の帝都では営業するのが難しいのだろう。
それでも、開拓村とは天地の差だわ。
コトネはそう思った。
彼女が普段を過ごしている開拓村では燃料など最低限しか手に入らない。薪を拾いに行こうにも、帝都周辺で木々の残っている場所は遠く、数も限られているため、大部分は帝都からの配給で遣り繰りしなければならなかった。それも日々の食事を作るために使ってしまえばほとんど残らないのだから、風呂を沸かすなどと言う贅沢は望むべくもない。
村には井戸もあるし、近くには小川が流れているから水浴びくらいならできるのだが、それも水温が温む夏だから良いものの、冬になったらどうしたものか。
これからの事を考えると、コトネの暗中は暗い。
燃料の手当ては付くのかしら。男どもはともかく、まさか、年頃の女の子にあんな重労働をさせておいて、風呂にも入らせないつもりか。
やっぱり。この国のお偉いさんが口にする国家の復興とは、まずもって帝都の復興を指しているのね。しかし、こうまで帝都とそれ以外の場所における生活環境の格差を見せつけられると……なるほど。叛乱という甘い言葉を囁きたくなる気持ちも分かるわ。
などと、そこまで思ったところで、彼女は慌てたように首を振った。
「わ、なに、いきなり」
突然首を振ったコトネの髪から飛沫が散って、サクヤの顔面を直撃していた。
「あ、ごめん」
危ない、危ないと心の中で自らを諫めながら、コトネは素直に謝った。同時に、いま頭をよぎったことは忘れてしまおうと心に決める。
そんなつもりでサクヤが自分を誘ったわけではないことくらい分かっていた。
「なんでもないわよ」
誤魔化すように言って、彼女は両手を握り合わせるとその隙間からお湯を飛ばした。
「わっ、ぷ……もう、なにするのよ」
コトネの飛ばしたお湯の塊を顔に浴びて、サクヤが怒ったように言う。
それにひとしきり笑ってから、コトネはほっと息を吐いた。
ひとまず、今はこの温かいお湯に全身が包まれる気持ちよさを満喫しておこうと思った。




