第十話
「ところでソウジ。随分と高級そうなお店だけど、大丈夫なわけ?」
全員が湯呑を置いたところで、コトネが思い出したように尋ねた。
もちろん、支払いを気にしてことだった。
他と比べれば平凡な成績で士官学校卒業した彼女は、その後も内地の後方支援部隊に配属と、この中では異色ともいえる典型的な女性士官だ。そこをソウジに大陸まで引っ張り出され、第587連隊では連隊長付き、つまり、サクヤの副官を務めていた。しかし、サクヤたちのように、実際に部隊を率いて戦い武功を挙げたわけではなく、この中では一番階級が低い。当然、それに応じて俸給も少ないのだ。
「問題ない」
そんな彼女に、ソウジは詰まらなそうな顔をしながら、片手をひらひらとさせて答えた。
「むしろ、俺たちが集まるにはこれくらいの店でないと、かえって問題になる」
そう言ったソウジに、コウが深く頷いていた。
「そりゃそうだ。なにせ、帝国陸軍史上、最年少の将官にして、元欧州方面軍総司令官であり、現在は帝国陸軍参謀本部次長であらせられる御代ソウジ中将閣下と、第587連隊連隊長、大戦終結の英雄、木花サクヤ大佐。そして、その幕僚たちが一堂に会しておるわけだからな」
「だから、私はもう大佐じゃなくて、少佐だってば」
大仰な言葉を使ったコウに、サクヤがもうっと頬を膨らませて抗議した。
そもそも、サクヤがハツやミヤコたちから“大佐さん”と呼ばれているのは、大戦全期を通して最激戦地である欧州戦域に置いて、連戦連勝を重ねた第587連隊とその指揮官であった彼女を、軍の広報部が大々的に喧伝した結果だった。そのおかげで、戦時任官を解かれて少佐になった今も、街行く人々からは“大佐さん”と愛称のように呼ばれ続けている。
軍を知らない者ならまぁ仕方ないかと思うが、自分よりも軍歴が長いはずのコウにそう呼ばれるのでは意味合いが違う。
間違いなく、からかって遊んでいるのだ。
その証拠に、むっつりとほっぺたを膨らませているサクヤを見て、コウはけらけらと笑っている。
そんな彼は、士官学校での成績は誰よりも芳しくなかった。だが、戦いにあっては勇猛果敢なことこの上ない野戦指揮官であり、戦場ではただの一発も敵弾を浴びたことが無いという恐るべき悪運の持ち主でもあった。
「まぁ。中隊長は幕僚とは呼べないけどな」
と、その隣でミツルがぼそりと呟いた。彼は歩兵戦闘の専門家として、一部の兵士から生ける軍神とまで崇められている将校で、第587連隊では第一大隊長を任されていた。
その一言に、コウの笑みが固まった。
「そうだな。俺の言い方が悪かった」
ミツルの言葉に被せるようにして、ソウジが厭味ったらしい声を出した。
「正確には、気軽に集まれる立場にないのは、連隊でも重要な役職についていた者だけだ。第一大隊長だったミツルのような。君は関係なかったな、第二中隊長の榛名コウ大尉」
それにコウはふんと鼻を鳴らして腕組みをすると、悔しそうに言う。
「うるせぇや。だいたい、何だって俺の昔馴染みたちはさっさと少佐やら中将やらになっていると言うのに、俺だけは何時まで経っても大尉のままなんだ」
納得行かなそうなコウに、ふと彼が少佐になって大隊の指揮を執っている姿を想像したサクヤがぽつりと漏らす。
「……コウ君に大隊を任せるのは嫌だわ。部下をほっぽって、突撃しちゃいそうだもん」
何気なく零されたその一言に、今度こそコウが絶句した。他の者たちが一斉に下を向いて肩を震わせる中、サクヤは悩むような声で続ける。
「かといって、参謀に向いているとも思えないし……うーん」
頭の中であれこれ考えながら、無自覚にコウへ追い打ちをかけてゆく。サクヤは気付いていないが、コウの表情は今や、蝋人形よりも無機質だった。
「サクヤ」
流石にその様子が哀れだったのか。サクヤの隣で、シュンが囁いた。軍人としての彼は、兵を指揮することよりも情報の収集や分析に長けた将校であり、第587連隊で情報幕僚に任じられるまでは、長らく特務機関に所属していたという。
一瞬、サクヤはどうして自分が呼ばれたのか分からない様子だった。シュンの視線を追った先に、酷く気落ちしている様子のコウを見つける。
「え、あ、あの!」
どうやら、自分のせいで落ち込んでいるらしいと気付いたサクヤは、慌てたように両手を振り回した。
「あの、コウ君は後ろから戦場全体を管制するミツル君みたいな戦い方は無理だろうし、かといってシュン君みたいに情報戦が得意なわけでもないし……その、小部隊を率いて陣頭指揮を執ってる方が向いているっていうか、似合ってるから……」
「あー、その辺にしておきなさい、サクヤ。人を励ますの下手なんだから、アンタ」
何とかコウを元気づけようと、必死に言葉を探しているサクヤの隣で、コトネが溜息を吐きながら遮った。
「ま、まぁ、ほら。大戦中から尉官だったヤツなんて、将軍よりも貴重な存在だぞ?」
噴き出しそうになるのを懸命に堪えながら、ミツルが慰めるようにコウの肩を叩く。
実際、比較的な安全が保障されている後方から大人数の指揮を執る大隊長や連隊長などと比べ、自ら部下を率いて敵弾に身を晒さねばならない小隊長や中隊長を務める尉官の損耗率は大戦全期を通して非常に高かった。
加えて、長い戦いの中でどこまでも人材の枯渇に喘いでいた帝国軍は、功績さえ挙げれば軍歴、年齢を問わずに昇進させていたため、いつまでも尉官に留まり続ける者も少なかった。
戦果を挙げて少佐に抜擢されるか、或いは戦死するか。そのどちらしかない究極の選択肢の中で生き残り続けたコウは、それだけで規格外の存在なのである。
だが、そんなミツルからの慰めを突っぱねるように、コウは言った。
「うるせぇ。少尉任官から半年で少佐まで駆け上がったかと思ったら、散々昇進を先延ばしにされ続けた挙句、また大尉に逆戻りしやがったくせに」
「せっかく慰めてやってるのに、喧嘩売ってるのか貴様」
思わず戦場での口調になったミツルを無視して、コウは思い出しようにシュンへ顔を向けた。
「そうだ。階級と言えばお前だ、シュン」
サクヤの隣で、我関せずとばかりにお茶を啜っている彼に指を突きつけると言う。
「大戦が終わって、戦時昇進で少佐だのになってた連中が軒並み降格している中で、なんでお前だけ階級が一つ上がってるんだ」
「確かに。それは俺も気になっていた」
身を乗り出して迫るコウの後ろから、ソウジも興味深げな表情をシュンに向ける。
「いったい、どんな手を使ったんだ?」
昇進していることを責めるようなコウとは違い、単純な疑問と好奇心から出た質問のようだが、そう訊かれたシュンは肩を竦めて言った。
「万年大尉にならともかく、君にだけは言われたくないな。帝国陸軍史上最年少の中将殿」
それを聞いたコウが、なんだとと大声を上げる。
「なんでアンタたちは集まると喧嘩ばっかりなのよ」
やれやれと、コトネが呆れたように言った。
「は、はい!」
言い合いを続ける男たちに切り込むように、サクヤが片手を上げた。喧噪がぴたりと止んで、全員の目がサクヤに集中する。コトネは小さな溜息を漏らした。




