018
帝国政府と陸軍の首脳陣が帝都内に極秘裏に設置していた戒厳司令部へ、埠頭より海軍陸戦隊が帝宮へ向けて行動を開始したという一報が届けられたのはその直後であった。戒厳司令部はこれに乗じるべく、帝都守備隊の全部隊へ向けて出撃命令を下した。
帝都大通りに設置された伝声機から発せられたその命令を守備隊へ伝えたのは、帝都の各所に潜んでいた陸軍情報部の課員たちであった。
反撃の第一段階として、相霞台練兵場を占拠しているはずの近衛叛乱部隊に対して、事前に帝都郊外で待機していた守備隊第七中隊が差し向けられた。……のだが。
練兵場へと辿りついた彼らは、我が目を疑った。
砂霧が相霞台練兵場に差し向けた近衛二個中隊分の兵たちは何故か、とある大尉の下で地獄の再訓練中だったからである。どうにかその大尉から逃げ隠れていた近衛将兵たちも、大した抵抗もできぬままに守備隊の増援によって取り押さえられた。
練兵場が解放された時、むしろほっとしたのは近衛の方だったという。
こうして、双方の予想を大きく裏切る形で命令を受け取った相霞台練兵場の駐屯部隊は直ちに行動を開始した。
それは、事件発生からわずか四時間後のことであった。
帝都守備隊に出撃命令が下されたのとほぼ同時刻。
サクヤはさくら荘の前で、去ってゆく近衛兵たちを見送っていた。
彼女が見送っている近衛兵の中には伊関の姿もあった。彼は最後までサクヤの傍から離れるのを渋っていたが、こればかりはどうしようもない。
正規の命令を受けた守備隊が、この騒動を治めにやってきた時、この場に近衛が一人残っているとなれば余計な面倒を引き起こしかねないからだ。
「それにしても、どうして砂霧大尉は私のところへ来たのかしら」
名残惜しそうに、何度も振り返る伊関に手を振ってやりながら、サクヤはぽつりと呟いた。
考えてみれば、おかしな話なのだ。
そもそも、砂霧の目的にサクヤは直接関係なかったはずだ。それなのに、潤沢とはとても言えない兵力を割いてまで、彼はここへやってきた。
国家改造の協力を求めるにしても、それは計画が成功してからでも遅くはなかったはず。いや、むしろその方が理にかなっている。
では、自分を断罪するためにこそ、彼は今日、ここへ来たのだろうかとサクヤは考えた。
あの戦争を終わらせるために、私がしたことを。今のこの国が、この有様である責任を私に問い質すために。
だとしても、やはり砂霧の行動には納得がいかない。それこそ、蹶起が成功した後で良い。
だが、彼は頑なにサクヤを捉えようとしていた。
その目的が、彼女には分からないのだった。
サクヤの呟きを隣で聞いていた須磨が、ぎょっとしたように目を剥いた。
「それは……連隊長殿を、」
言いかけて、彼はその続きを濁した。
「私を?」
小首を傾げて、サクヤが聞き返す。
「ああ……いえ」
本当に分かっていない彼女の様子に、須磨は諦めたように肩を落とす。
きっと、この人は分からないだろうなと思ったからだった。
誰よりも頭は良いくせに、自分のことに関してだけは何処までも鈍感だから。
「これは例えばの話なのですが、もしも連隊長が近衛の立場におありでしたら、どうやって計画を成功に導きましたか?」
唐突に彼は、そう尋ねた。
「え?」
突然の質問とその内容に、サクヤが驚いたように目を見開く。須磨は慌てたように、言葉を付け足した。
「ああ、いえ、ですから、あくまでも例えばの話です。連隊長ならば、どういった作戦を立てられたのかなと。単純な好奇心です。お答えになりたくないのであれば、忘れてください」
そう言って頭を下げた須磨へ、サクヤは「そうね」と右手を顎に当てた。
「私なら、祝典の当日を狙ったわ」
あまりにもあっさりと、彼女はそう言った。
「それは何故ですか」
「その日だけ、帝主陛下の所在が明確になるからよ。祝賀御列には陛下御自身がご参列なさるんでしょう。だったら、その時を狙って陛下を……こほん、玉体を握ってしまえば、あとはどうにでもなるから」
可愛らしい咳払いの後、サクヤは言葉を濁した。我ながら、なんと悪辣なと自嘲している。
須磨はその言葉の意味をきちんと理解できた。
要は、たとえどれほど警備が厳重だろうと、陸海軍の重鎮が集まっていようと、帝主を盾にしてしまえば良いのだという話だった。そうなれば、どれだけの戦力が集まっていようとも彼らに手出しできる者はいない。この国における帝主とは、それほどの存在なのだ。
後は、適当な勅令を帝主の口から引き出せさえすれば、それで終わり。帝国臣民にとって帝主の言葉とは絶対であるから。
「それと同じことです」
須磨が囁くように言った。サクヤは彼の言葉の意味を分かりかねているようだった。
「ともかく。ご無事で何よりでした」
それを見た彼は、はぐらかすように肩を竦めた。
もしも。
もしも、須磨たちが到着するよりも先に、近衛がサクヤを拘束していたのなら。そして、やってきた須磨たちに対して、近衛がサクヤを盾にしたとしたら。
彼らは手も足も出せなかっただろう。それは即ち、帝都における、いや帝国における陸軍の最大戦力が完全に無力化することに他ならない。
彼らにとって、木花サクヤとはそれだけの存在であるから。
もちろん、そんなことには絶対にさせないが。
須磨は心の中でひっそりと、そう呟いた。
真剣な表情で黙り込んだ彼に、サクヤはやはり不思議そうに小首を傾げていた。




