腕輪をつける日
「……」
そしてその次のデート。この間に、実は結婚式の具体的な日取りも決まった。半年後だ。教会側の日程は元々空いていたので、ドレスなどの準備や両家の親族の都合のよい日取りにしたらそうなったらしい。
そのあたりはエリーゼには一切関与できない部分だ。エリーゼ個人としては早い方がいいが、早すぎてもなんだか困ってしまうので、ちょうどいいのかもしれない。
ドレスの採寸を行い色々な宝飾品も見繕われた。成人してから久しぶりの母とのお出かけで、娘を際限なく着飾らせるとうきうきの母に疲れたとはいえず数日かけて振り回された。
普段はあまり干渉しないが、こう言った一生に一度の際には母もテンションがあがるらしい。もちろんエリーゼだって結婚式となれば特別だし、気合を入れて臨んだし楽しんだけれど、母のテンションには負けた。
そんな感じで準備が進んでいき、屋敷内が本格的に結婚に向けた雰囲気になる中、ハインツがやってきたのだ。
侍女たちもややそわそわしたお祝いムードで温かく迎え入れられたハインツはどこか居心地の悪そうにしてエリーゼの部屋に入った。
「……」
そして今、お互いに机をはさんで座って黙りこくってしまっている。前回の打ち解けたデートがなかったかのようなぎくしゃく感になってしまった。
「その、エリーゼ」
「は、はい」
「今日は、部屋に招いてくれてありがとう。とはいえ、そう言うつもりじゃあ、ないんだろうな?」
「え?」
そう言うつもり、とはどういうことだろうか。次はエリーゼの部屋にと誘った手紙に対して、ハインツは二つ返事で答えてくれた。
ハインツが前回本気でエリーゼのベールを脱がそうとしているのがわかったから、そうされてもいいよう人目を避けたのだ。それはハインツも察していただろうに。
他になにか大事なことがあっただろうか。エリーゼは式の準備もすすみ、ハインツとの関係をますます意識して、今日ベールをとられたらキスしてしまうかもしれない。とドキドキしたりしてハインツとの具体的な距離のことしか考えていなかった。
手紙の内容もいつも通りで特に何もおかしなところはなかったはずだ。何だろう。どういうつもり?
と真剣に考えてもわからず首をかしげるエリーゼにハインツは苦笑して軽く手を振る。
「いや、いい。それより、約束していた腕輪だ」
そう言いながらハインツが使用人を振り向き合図して、机の上に小箱を乗せさせる。
可愛らしい小さなラッピングされた箱は高級感もあり、中身がわかっていてもわくわくさせてくれる。エリーゼもついつい笑顔になって身を乗り出してしまう。
「あー、そうそう。そうだったわね! あ、お金は?」
「もうお前の家に伝えて解決してるから、そこは突っ込むな」
「あ、そうなの。わかった。じゃあ早く見せて」
忘れないうちに清算をしなければと思ったが、すでに侍女を通してしておいてくれたらしい。さすがハインツ。話が早い。
お金についてあれこれと言うのはあまり好ましくないので手早く話を終わらせ、ハインツを急かす。
「ほら。開けてみろ」
「あ、私が開けていいの?」
「ああ」
目を輝かせるエリーゼにハインツは微笑んで前に出してくれた。その優しい眼差しに、わくわくと腕輪に夢中になっていた気持ちから、急になんだか恥ずかしくなってしまう。
「じゃ、じゃあ失礼します」
一度俯いて思わず顔を隠してから、ベールをつけているので大丈夫だと自分を落ち着かせて、そっと箱に手を伸ばす。
引き寄せた箱を、リボンをほどいてそっと開ける。一度見たものだ。だけどハインツからのプレゼントで、お揃いなのだと思うと嬉しくてにやけてしまう。
二本入っている腕輪。そっと小さい方を取り出してのぞきこみ、光にかざす。ハインツの名前がある。これは当たり前であることが、幸福で心地よさすら感じた。
「待て、エリーゼ。俺につけさせろ」
「あ、うん」
そのまま左手首につけようと、そっと左手をあげたところでハインツがそう言って立ち上がった。
腕輪に見とれていてハインツの声に思わずびっくりしてしまったけれど、言われてみれば自然な提案だ。勝手に一人でつける方が不自然なくらいだ。
「……」
ハインツはエリーゼのすぐ隣にきて当たり前のように膝をついた。そちらを向くように少しだけ体を斜めにする。
ハインツは黙ってエリーゼの持つ腕輪をとり、そっと左手を差し出す。向けられた手のひらは、まじまじと見ると大きくてかたくて強そうだ。惚れ惚れしてしまいそうな立派な手だ。
「エリーゼ。手をだして」
「ん。うん」
思わず手を見てしまったが、そんな流れではなかった。急かすわけではないだろうけど、促すハインツの言葉にやや慌てて左手をだす。
そっとのせたハインツの手は思っていた以上に熱い。自分も同じくらいの熱なのだろうか。
「エリーゼ」
「う、うん? な、なに?」
名前を呼ばれて視線をあげると、ハインツと目が合う。
恋人になってからだって、何度も目をあわせてきた。それでも真剣に射貫くような強い視線を向けられてなんだか緊張してしまう。
「好きだぞ」
「へっ!? な、なに、急に」
「いや……なんか、言いたくなったっつーか。いいだろ別に。嫌なのかよ」
突然の言葉に驚いてしまうエリーゼに、ハインツは気恥ずかしそうに一度視線を泳がせたが、拗ねたようにそう言った。その態度は別にエリーゼを照れさせるとか虚をつこうとか、そう言う悪戯心ではなく普通に気持ちを言ってくれたらしい。
「う、嬉しいけど……恥ずかしい」
「ふっ。ほら、つけるぞ」
「う。うん」
顔を赤くするしかできないエリーゼに、ハインツは微笑んでからそっと腕輪をはめてくれた。
手首にぴったりとはめてもらう。そっと手を持ち上げて、手首を回して全体を確認する。持ち上げると少しだけずれるがすぐにとまる。
ちょうどよくはまり、品よく白レースの手袋の上できらめいている。可愛い。室内なので白にしているけれど、日差しのきついところは黒をつかうが、それにも合うだろう。とてもいい。
「似合っている。可愛いぞ」
「! う、うん。ありがとう……」
嬉しい。嬉しいけど、普通にそう言うことを言うか!?
やはりハインツは色男。侮れない。とは言え多少は照れたようなはにかんだ可愛い顔で言ってくれてるので、さらっと本心でもない誉め言葉と言うわけではないようだし、嬉しいのだけど。
今までもつんけんしていた訳ではないけど、照れ臭いのであまりストレートに言ってなかった気がしたけど、エリーゼの気のせいだったのだろうか。
もしかしてエリーゼが照れすぎて素直に耳が聞けていなかっただけ? だとしたら、今日はちゃんと返さないといけない。
「ハインツ様、ありがとう。次は私がつけてあげるわ。座って」
エリーゼは自身に活をいれ、嬉しくて飛び上がりそうなのを堪えてそう言ってハインツを一歩下がらせ自分が立ち上がる。
「ああ、そうだな。でも、さすがにお前に膝をつかせるわけにはいかないからな。立ったままでいいか?」
「んー、そう言えばそうね。じゃあそのまま、手を出して」
ハインツは柔らかな笑みからはっとしたような表情になってそう言うが、言われてみればその通りだ。ドレスで膝をつくと汚れるし、直になってしまう。
すぐ前に立っているハインツに向かって、腕輪を取り出して向ける。その軽い態度に苦笑しながら気負うことなくハインツは左手をだした。
その手を下から持ち上げるようにとって、顔をあげる。ハインツと目があう。ハインツはベール越しでそのことが見えているのかいないのか、よくわからないけれど、にっと微笑んで見せた。
その悪戯っぽい表情も、素直に手をつかませてくれているところも、全部好きだ。
「ハインツ様、大好き」
「ぬぉ」
恥ずかしいけれど、それでも気持ちを伝える瞬間、どうしようもなく笑顔になってしまう。その照れくささを誤魔化すように、戸惑うハインツを無視して左手に腕輪をはめる。
エリーゼよりずっと太くて固い手首は、エリーゼのものより大ぶりの揃いの腕輪がしっくりはまっている。
「ハインツ様にもよく似合っていて、格好いいわ。えへ、大好き」
「お、おお……お前、なぁ。それはせめて、ベール外していってくれよ」
ぎゅっと握って言うとハインツは右手で一瞬自分の顔を抑えて天井を仰ぎ、それからゆっくり戻しながらおろした右手をエリーゼにむけてきた。
「……」
「エリーゼ?」
「……なに?」
何気なく、軽い冗談のように出された右手は、エリーゼの顎まで降りてきてベールの裾を人差し指で揺らした。
エリーゼは両手でハインツの左手をぎゅっと、耐えるように握る。
「おい、いいのか? この間は、あんなに怒ってたのに」
「馬鹿……ハインツ様が、自分で言ったんじゃない。次回は、めくるって」
「……あ、ああ。そう、だな」
どうしてこの流れで、いちいち止まって、わざわざ尋ねるのか。前回みたいに強引にしてくれたら言葉にする必要もないのに。
だけど恥ずかしいけどはっきり言葉にすることで、ハインツは躊躇って上ずった声をだしていたのが、ぐっと奥歯をかみしめてから真剣な顔になった。
「すまん。言わせたな。じゃあ……いくぞ!」
「う、うん。来い!」
「ぷ。おい、エリックだすなよ」
「き、気合入れた声出すからつい」
ハインツがまるで試合開始のような声をあげるから、つい同じようなテンションで返してしまった。エリックだったつもりはないけれど、似てしまうのは仕方ない。
さっきまでと別の意味で赤くなってしまう。このままの顔を見られるのは嫌なので、慌てて呼吸をして整える。
噴き出したハインツも口元を隠した勢いで顎を撫でて誤魔化している。
「ふー……はい、大丈夫です」
「お、おお。じゃあ、そっとな」
「はい」
そして改めてハインツの右手が、エリーゼのベールにかかった。




