表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/28

【共通一次試験】 (2)

 私は、

二十六歳で、

地元の自動車教習所へ通い始めた。

その教習中に教官から、

「T・Nって、知ってる?」

と聞かれ、

「高一の時、同じクラスでした」

と応えると、

「T・Nって、

医学部に裏口入学したらしいね。

彼も、この教習所に通っていたので、

私が担当していたんだよ」

(あれから七年くらい経っているのに、

まだ、そんな話が)


 T・Nとは、

高一の時、同じクラスだったんだけど、

彼の方が一歳年上。

昔の地方では、

高校へ行くのに浪人したんだよ。

『山田か○ち』に、かなり近いと思って頂ければ。

もちろん、

高校でも低空飛行で、

大学受験だけではなく、

東京の予備校の入試も失敗して、

S予備校の午後部に通っていた。


 話はズレるが、

このS予備校が成功したのは、

『狭い校舎に大量の学生を詰め込むため、

要は、

金儲けのため、

午前部と午後部の二つに分け、

一つの校舎で入れ替えを行っていた』から。

当然、

午前部の生徒の成績が伸びた。

もちろん、

今では、

こんな荒行はしていないので、

過去のS予備校の名声を信じると、

人生を裏目ってしまう。


 話を戻すと。


 そのN・Tが、

地元のゴミ大学の医学部に合格してしまった。

まぁ、

【共通一次試験】が導入された後の事だからね。

私は『実力で合格した』と思っている。

旧制度のままだったら、

無理だろうけど。

では、

何故? 

N・Tは、

受験が終わってから七年経っても、

有らぬ噂を立て続けられたのだろうか?


 それは、

父親がゴミ大医学部長だったから。

しかも、

T大医学部卒の。

この時代、

地元のゴミ大医学部は、

T大の完全な植民地だったんだよね。

1981年に、

ゴミ大医学部の名簿を見たけど、

教授だけT大出身で、

助教授以下は、全員、ゴミ大出なんだよね。

どこの科も。

見事と言うか? 綺麗に揃っていた。


 話は、また、ズレるが。


 『T大闘争』は、

この『医学部の人事をT大教授が握っていた』のが発端らしい。

第十八話で書いた『絶対に免許を取らない先生』に拠ると、

『T大闘争』前は、

そりゃ酷かったらしい。

T大から教授が来ると、

植民地の教授以下が一列敬礼して、

出迎えるのだそうだ。

露骨に戦前のまま。

「同じ教授だとは、とても思えない」と言っていた。


 話を戻すと。


 自民党案では、

二次試験で、

学力試験は行わす、

【小論文】と【面接】だけになっていたからね。

誰だって就職試験と一緒、

つまり、

(コネで入れる!)と思っていた。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ