【共通一次試験】 (2)
私は、
二十六歳で、
地元の自動車教習所へ通い始めた。
その教習中に教官から、
「T・Nって、知ってる?」
と聞かれ、
「高一の時、同じクラスでした」
と応えると、
「T・Nって、
医学部に裏口入学したらしいね。
彼も、この教習所に通っていたので、
私が担当していたんだよ」
(あれから七年くらい経っているのに、
まだ、そんな話が)
T・Nとは、
高一の時、同じクラスだったんだけど、
彼の方が一歳年上。
昔の地方では、
高校へ行くのに浪人したんだよ。
『山田か○ち』に、かなり近いと思って頂ければ。
もちろん、
高校でも低空飛行で、
大学受験だけではなく、
東京の予備校の入試も失敗して、
S予備校の午後部に通っていた。
話はズレるが、
このS予備校が成功したのは、
『狭い校舎に大量の学生を詰め込むため、
要は、
金儲けのため、
午前部と午後部の二つに分け、
一つの校舎で入れ替えを行っていた』から。
当然、
午前部の生徒の成績が伸びた。
もちろん、
今では、
こんな荒行はしていないので、
過去のS予備校の名声を信じると、
人生を裏目ってしまう。
話を戻すと。
そのN・Tが、
地元のゴミ大学の医学部に合格してしまった。
まぁ、
【共通一次試験】が導入された後の事だからね。
私は『実力で合格した』と思っている。
旧制度のままだったら、
無理だろうけど。
では、
何故?
N・Tは、
受験が終わってから七年経っても、
有らぬ噂を立て続けられたのだろうか?
それは、
父親がゴミ大医学部長だったから。
しかも、
T大医学部卒の。
この時代、
地元のゴミ大医学部は、
T大の完全な植民地だったんだよね。
1981年に、
ゴミ大医学部の名簿を見たけど、
教授だけT大出身で、
助教授以下は、全員、ゴミ大出なんだよね。
どこの科も。
見事と言うか? 綺麗に揃っていた。
話は、また、ズレるが。
『T大闘争』は、
この『医学部の人事をT大教授が握っていた』のが発端らしい。
第十八話で書いた『絶対に免許を取らない先生』に拠ると、
『T大闘争』前は、
そりゃ酷かったらしい。
T大から教授が来ると、
植民地の教授以下が一列敬礼して、
出迎えるのだそうだ。
露骨に戦前のまま。
「同じ教授だとは、とても思えない」と言っていた。
話を戻すと。
自民党案では、
二次試験で、
学力試験は行わす、
【小論文】と【面接】だけになっていたからね。
誰だって就職試験と一緒、
つまり、
(コネで入れる!)と思っていた。




