24
宿に戻って来ると、小料理屋を営んでいる一階には、芳しい料理の匂いが充満していた。
「おかえりなさいませ、お料理はすぐにお持ちいたします」
台所を切り盛りする女将マーサは、奥のテーブルに恭しく一行を案内する。やはりフラーマを一番奥に、両脇にタマキとユウ、そして手前にクラヴィスとアスキ。
「まあ素敵!これが冒険者が食べる食事ですのね!」
「お口に合うと良いのですけれど……」
町の畑で作られた野菜のサラダを盛った大皿、固めに焼いたパン、スープなど、丸テーブルに次々と並ぶ庶民的な料理を、フラーマは顔を輝かせて喜んだ。それから、それとは別に目の前に出された何も入っていない皿を見て、きょとんとした。
「これは?」
大皿に添えられたトングを掴み、どうやら何かを挟むものらしいと気づいてかちかちと鳴らしてみる。
「それで好きな分だけお皿に取って食べるんだよ」
アスキが説明しながら、サラダを取ってみせた。各テーブルに備え付けられたドレッシングをかけるのを見て、ふぅん、と目を丸くする。
「普段通りのものをお出しするようにと言われたものですから……。やっぱり、きちんとお皿に分けてお出しした方がよろしかったでしょうか」
「いいえ、わたくしが我侭を言っているのです。お気遣いは不要ですわ」
ニコッと微笑むフラーマに、マーサの表情が少し和らいだ。そして、再び賑やかな食事が始まった。
「あら?難しいですわね」
サラダを一度に大量に掴もうとしてぼろぼろと落としてしまい、首を傾げるフラーマに、ユウが言った。
「お腹が空いてるといくらでも入る気がしますけど、少しずつ取ればいいんですよ」
「足りなかったら追加もできるし」
「なるほど!」
納得したフラーマは再度チャレンジし、今度は危なげなくこんもりと皿に取ると、満足気に頷いた。タマキにトングを勧めて、タマキが礼を言って受け取り、控えめに取る。そして、
「クラヴィスさん、どれくらい食べる?」
アスキに急に話を振られて、口を挟まず静かに見ていたクラヴィスが驚いた顔をする。
「いえ、私のことはお気になさらず……」
「おれたちが取った残りでいいとか思ってるでしょ。付き人って言っても、一応お客さんになるんだし、遠慮しなくていいと思うけど……。あと、ユウのいるテーブルでは残りは出ないと思ったほうがいいよ」
「そうですよ、夕飯は戦争ですよ!」
「……はあ」
「少なかったら言ってね」
それでも染み付いた性分なのだろう、やはり遠慮しているクラヴィスに、アスキは常識的な一人分を取って渡した。
「申し訳ございません、ありがとうございます」
「うん」
続けて自分の分を取ってから、トングをユウに渡すと、ユウは皿を傾けてサラダの残りをざらっと自分の皿に移した。フラーマとクラヴィスがぽかんと口を開ける。
「流石に行儀が悪すぎない?」
「いいじゃん、王宮だとこういうこと出来ないんだよ」
「……ユウ、貴方本当に王族ですの?」
「王族生活よりも冒険者生活が長いもので」
「もしかして、大魔法使い様も?」
「ゼロの方がもっと行儀が悪かったかな」
「……聞かなかったことにしますわ」
「そうして」
「失礼致します」
空になった皿と入れ替わりに運ばれてきたのは、大量の唐揚げだった。
「これは……鶏肉?」
「黒鷺ですよ。ホラ、昼間に襲ってきた」
「ええっ!」
「魔物変種は美味しいんですよ。こういう宿は食材を持ち込むと割引が利いたりします。言わば冒険者メシです」
ユウはさっさと皿に取り、危険なものではないと示すために率先して齧りついた。
「そ、そういえば、本にもそんな話がありましたわね……」
言われて頷き、フラーマはごくりと生唾を飲んで、恐る恐る口にした。
「……あら?美味しい」
「でしょう」
そう言っている間にも、ユウはどんどん唐揚げの山を崩していく。
「ほら、タマキも食べませんと。彼、本当に食べ物に関しては遠慮がないみたいですわ」
「はいっ」
「毒を持ってる魔物もいるから、自分でやるときは気をつけてね」
「わたくしが何を考えているか、お分かりになりましたのね」
「真剣に味わってたから」
「お嬢様、まさか自分で狩りに行こうなどとは」
「まずは普通の食材でお料理の練習をしますわ!」
クラヴィスの心労は、しばらく続きそうだった。
「食後のワインはいかがでしょうか」
皿を下げながら、マーサが訊ねた。
「ありがとう、いただきますわ」
「こっちはコーヒーで」
「かしこまりました」
甲斐甲斐しく働くふくよかな背中を見送りながら、フラーマが言う。
「貴方達は、お酒はいただきませんの?」
「さすがに、任務中にお酒はちょっと」
「そう。飲めないわけではありませんのね?」
優雅に微笑んで訊ねられれば、それは暗に今度付き合えという命令だった。その様子から恐らく彼女は酒豪なのだろうと察し、ユウが苦笑する。
「俺は好きですよ。アスキは……そうか、飲める歳になったんだっけ」
「アスキ、おいくつ?」
「春に十六になったよ」
「キュレスカって、お酒は十六歳からですか?」
「うん。アルマンディンも確か一緒ですよね。タマキはアスキと同い年だっけ?」
「はい。でも、私は秋生まれなので、まだ十五歳です」
「そうなんですのね。秋になったら飲みましょう。タマキのためにお誕生会を開きますわ!」
「ええっ!」
「いいですねー、俺も呼んでくださいよ。アルマンディンの宮廷料理ってどんなかなー」
「貴方、本当に食い意地が張ってますわね……」
運ばれてきたワインとコーヒーを和やかに楽しんでいるうちに、気付けば一階のテーブル席は全て埋まり、随分と騒がしくなっていた。フラーマにはその喧騒も新鮮なようで、酒が入り陽気に大声で話す他の客を、面白そうに見ている。
「お食事だけを楽しみにいらっしゃる方もいますのね」
「素泊まりの宿も多いですからね」
中には命界人と思しき冒険者の姿もある。カウンターの向こうでマーサが心配そうに目線を送っていた。
そして、
「あーっ!てめ、イカサマしやがったな!」
「してねーよ、やったって言うんなら証拠出せ証拠!」
一際騒がしくしていた命界の冒険者集団がカードゲームで賭け事を始めたと思いきや、負けたらしい茶髪の男が、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。さすがにユウが顔を顰め、
「お嬢様、そろそろ部屋に戻りましょう」
見苦しい争いまで見せる必要はないと、遮るように立ち上がった。しかし、
「いいえ。こういうことも、冒険者には付き物なのでしょう?まだ飲み終わっていませんし、こちらに害が及びそうでしたら、護ってくださる?」
ニコッと優雅に微笑んだ。
「豪胆なお姫様ですね……」
その笑顔に引き攣り笑いを見せながら、渋々椅子に座り直す。
「ああ?!やんのか」
「おう、やれるもんならやってみろよ」
言い合いがヒートアップし、茶髪の男が仲間の赤毛の胸倉を掴んだ。
「ちょっと、アンタたち!喧嘩は外でやんな!」
たまらずマーサが出ていき口を挟む。すると、
「うるせえ!」
「きゃあっ」
茶髪の男が、止めに入ったマーサを突き飛ばした。
「マーサさん!」
「おばさま!」
ユウとフラーマが、倒れたマーサに急いで駆け寄る。騒ぎを聞きつけ奥からフレッドも出てきた。
「大丈夫です、恐れいります。あいたた」
どうやら腰を強く打ったようで、立ち上がろうとしてすぐに屈んだ。それを見て、フラーマの顔色が変わる。
「……アスキ。お願いしても、よろしくて?」
温厚な笑顔は形を潜め、冷ややかな王女の顔が姿を表す。
「……いいよ」
アスキは溜息を吐いて、頷いた。
「アスキ、私は大丈夫だから、お止め!」
剣呑な気配を察したマーサが叫ぶが、
「ごめんね、お嬢様の命令が優先」
ひらひらと後ろ姿で手を振った。そして、
「ねえ、暴れたいなら相手になるよ」
ただでさえ鋭い目つきに思い切り睨まれ、茶髪と赤毛が一瞬怯む。しかし酒の勢いもあり、周りに囃し立てられ、
「なんだ、正義の味方気取りか?」
「おばさんに謝ったら、許してあげる」
「偉そうに言うんじゃねえよ!やってやろうじゃねえか!」
もはや引っ込みが付かなくなったのか、同じテーブルにいた仲間の止める声も聞かない。その間にユウは、
「はいはーい、空けてくださいねー、危ないですよー。フレッドさん、ごめん」
着々と他の客に協力を仰ぎ、テーブルを端に避けさせていた。フレッドが呆れ顔で頭を掻いた。
「……本当に相変わらずだな。安心したよ」
「アンタねえ、安心している場合じゃないよまったく……」
「お嬢様、クラヴィスさん、タマキ。カウンターの向こうにマーサさんを連れて避難しててくれますか?」
「ええ。おばさま、少し治療魔法を施しましたけれど、立てますかしら?」
そうして広く空いたスペースの中心で、カウンターの向こうからそっと顔を出しているフラーマとタマキを横目で見たアスキは、
「どこからでもどうぞ?」
半身で緩く構え、挑発するように首を傾げた。すると一際血の気の多いらしい茶髪が、
「てめえ、ナメてんじゃねえぞ!」
面白いように挑発に乗り、腕を振りかぶって来た。
「ばっ……」
いくらか冷静らしい赤毛が無策に殴りかかる仲間に声を掛ける間もなく、アスキは突き出された腕を受け流し――気が付くと、茶髪の体が床に転がっていた。
「今のは何ですの?魔法?」
一瞬の出来事に、フラーマはクラヴィスの肩を揺さぶって訊ねる。
「いえ、あれは……。恐らくは純粋な武術かと……」
クラヴィスはアスキの動きから目を離さず、揺さぶられるままに答えた。
「武術?魔法も使わずに、大の男があんなにコロコロ転がるものですの?」
言っている間にも、体勢を立て直し再度突っ込んできた茶髪を背負うようにアスキが体を丸めたかと思うと、茶髪は背中から板張りに叩きつけられた。続けて飛び掛かって来た赤毛も、流れるような動作で転ばされる。
「ちょっと、ユウ!解説をしてくださらない?」
フラーマが、いつの間にか野次を飛ばす観客に混ざっていたユウを呼び寄せる。
「命界の武術だそうですよ。俺も詳しくは知りませんが」
ユウがのんびりとカウンターの椅子に腰掛けている間に、掌底を顎に受けた茶髪が背中から倒れた。尚も立ち上がるのは、茶髪が頑丈なのか、アスキが手を抜いているのか。
「あれに関しちゃミサキが師匠だからなー。命界でも指導受けてたそうなので、俺も素手じゃ勝てませんね」
「ミサキさんって、『戦姫』さんでしたっけ」
「そうそう。物理攻撃のスペシャリスト」
「戦姫……?もしかして、四大冒険者のことを言ってますの?四大冒険者ともお知り合い?」
「あれ、言ってませんでしたっけ。四人全員、ゼロの弟子ですよ。アスキは末っ子」
「聞いてませんわ!」
「なるほど、魔法のない命界だからこそ武術も進化したというわけですな……」
しげしげと、アスキの一挙一動を研究するような視線で観察するクラヴィスにフラーマは何か言いかけて、ふ、と小さく息を吐いた。
一方のアスキは、
「……しつこい……」
どれだけ転ばせ吹っ飛ばしても尚掛かって来る二人に、飽きた顔で小さく呟くと。
「んがっ」
赤毛の顎に再度掌底を叩き込み、今度こそ昏倒させた。すると、仲間がやられ逆上した茶髪が小さく詠唱を始め、右手に光が集まり始める。
「魔法?!」
タマキが口を押さえた。
「あーあ」
「あんな普通の詠唱魔法、完成する前に打ち消してしまえばいいのではなくて?」
悠長に詠唱を待ってやっているアスキを見てユウが頭を掻き、フラーマが何をまどろっこしいことを、と憤慨する。その間に魔法が完成し、
「”赤火弾”!」
赤く光る魔法陣が展開したと同時に、火の弾丸が射出された。思わずタマキが悲鳴を上げ、囃し立てていた周囲もざわめく。しかし、
「”水盾”」
至近距離で放たれた燃える球体は、アスキが右手に展開した青い魔法陣にじゅっと音を立てて吸い込まれた。一瞬の出来事に、室内が静まり返る。
「一般建造物内での攻撃魔法の使用、及び放火未遂容疑ってとこ?」
静かにアスキが言った。酒で赤らんでいた茶髪の顔から、みるみるうちに血の気が引いて行く。
「おれが避けたらどうするつもりだった?」
「ひっ」
腰を抜かし、後退りする青年にアスキがゆっくりにじり寄る。
「もし火事になって誰か逃げ遅れたら、放火殺人犯だったね」
目線を合わせるために屈んだと同時に、茶髪の青年の体がノイズが入ったように揺らぎ始め、
「バイバイ、ゲームオーバーだよ」
表情のない顔でそう告げた瞬間、ブツン、と電源の切れるような音と共に、青年が消滅した。




