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溜め息亭は、西の大通りから細い道へ入った、ひっそりとした路地にある小さな料理屋だった。
「こんなところ、よくご存知ですわね。命界人なのに」
『こんなところ』に様々な感情を込めて、フラーマは言った。壁にはツタが這い、古びた木製のドアは、お世辞にも綺麗とは言い難い。
「大丈夫、味は悪くないよ」
そう言ってまず扉を開け、アスキは中を覗いた。すると、
「おっ!来たな、狩人!」
明るい声が、狭い店内に響いた。短く刈った銀髪に白い肌、青い瞳には好奇心を湛え、人懐こそうな笑顔を浮かべた若者が、カウンターから振り向いて声を掛けた。
「やっぱりおまえか、ユウ」
アスキは苦そうな顔をしたが、他に店内に人気がないことを確認して、フラーマたちを招き入れた。
「お初にお目に掛かります、フラーマ王女!キュレスカ王国第一近衛隊副隊長、ユウ・シルバアロウと申します!」
外観とは違い、茶色を基調としたシックで清潔感のある店内をきょろきょろと興味深そうに見回すフラーマに、銀髪の青年は、右手を左胸に当てて頭を垂れるキュレスカ式の敬礼をした。
「シルバアロウ?ということは、貴方キュレスカの王族ですの?」
キュレスカの王族のファミリーネームには、色の名前が入ることが通例だ。中でも特に国王に近い親族は、武器の名前との組み合わせになる。そのため一般人のように生涯同じ名前ではなく、国王の代替わりと共にファミリーネームが変わる。
「はい、現国王の弟、セシル・シルバアロウの息子でございます。と言いましても私は三男で、王位継承権は低いので、ただの宮廷兵士と思って頂いて構いません。この度は、王女の護衛を任されましたこと、大変光栄に思います」
屈託なく笑う顔には一切の謙遜や卑屈は篭っておらず、純粋にその立場を受け入れているように見えた。
「護衛にしては、随分軽装ですわねえ」
好奇心と驚きを隠さずじろじろと値踏みするような視線を受ける彼の服装は、黒のジャケットとスラックスに白いシャツという、クラヴィスに負けず劣らずの丸腰だった。
「今は武装を解除しておりますので。キュレスカ名物『魔法鎧』は、後でお見せいたします。さあ、今はひとまず、お掛けになってください」
速やかに椅子を引き、王女の身分にも臆することなくフラーマの手を取りエスコートする様を見ると、確かな育ちの良さが見て取れた。
「本日は貸し切りですから、くつろいで頂いて大丈夫ですよ、王女。他の皆さんもどうぞ、お掛けになってください」
四角い長テーブルの最奥に座ったフラーマが、遠慮するタマキを角を挟んだ隣に呼んだ。
「ふふ、こういう場所も悪くありませんわね!ユウ、貴方なかなかのセンスですわ」
「お姫様は庶民の生活をご所望ということでしたから、店選びに難儀しましたよ。気に入っていただけて恐悦至極です」
タマキの反対側に呼ばれたユウが恐縮しながら座り、
「クラヴィス。貴方も座りなさい」
「は、しかし」
入り口付近に立ったままのクラヴィスが、フラーマと同じテーブルに着くことを躊躇い、
「いいから。どうせ他に見ている者はいませんわ。これは命令です」
「……承知いたしました」
命令と言われれば、従うしかない。視線で示されたユウの隣に、恐る恐る腰掛けた。そして入り口に一番近い席にアスキが座ると、寡黙を体現したような店主の手で、静かに料理が運ばれてきた。
「さ、頂きましょう!」
何やら満足そうなフラーマの合図で、奇妙な食事会が始まった。前菜のマリネを口に運び、
「あら!美味しい」
驚いて、大きな目を更に見開いた。
「この店の主人は元宮廷料理人なんですよ」
フラーマに話しかけるユウと、それをジト目で見ているアスキを、タマキが交互に見ていた。フラーマもそれに気付いたようで、
「命界の冒険者と、国王の甥が、どういうお知り合いですの?」
ニヤニヤと、面白そうに訊ねた。対するアスキの返事は素っ気無い。
「大した知り合いじゃないよ」
「こらおまえ、命界人だからって、さすがに王女にタメ口はまずいだろ」
「そっちこそ、敬語が似合ってないよ」
「ははん、五年ぶりに会って、挨拶がそれか?」
急に砕けた口調で話す二人を見て、フラーマが微笑ましげに口を挟んだ。
「ユウ、貴方も”タメ口”でよろしくてよ?」
早速覚えた俗語を使ってくるフラーマに、ユウが大袈裟に手を振って遠慮し、
「いえ!さすがにそれは、関係者各所に叱られます!……王女、実はかなり気さくな方ですね?」
不躾な命界人にも一切気を悪くする様子を見せない隣国の姫君に、ユウは少し意外そうな顔で言った。
「もっと高飛車な女傑だと?」
優雅に微笑まれ、その一種迫力さえある美しさに冷や汗を滲ませた。朗らかな淑女に見えても、いずれは国を背負う女性だ。ユウは彼女に世辞や社交辞令は通用しないと悟り、観念した顔で頷いた。
「いえ、まあ、はい。アルマンディンの女性は、その……気性の激しい方が多いという、キュレスカの男の中での噂もありまして」
「うっふふ!正直ですわね!逆にアルマンディンじゃ、キュレスカの男性は温厚で優しい殿方が多いって、人気がありますのよ」
「温厚と言えば聴こえはいいですが、ヘタレ……じゃなかった、気の弱い男が多いんですよ。アルマンディンの男性は、硬派でがっしりしたイメージがあります。山の男だからでしょうか」
「ええ、心も体もごつごつしていて、あまりスマートさがありませんの。正直あまり好みではなくって。……貴方、気の強い女はお嫌い?」
急にしなを作って妖艶に微笑んだフラーマの赤い瞳に至近距離で見つめられ、ユウの顔が赤くなる。
「え!?いやあ、私個人としましては、とても魅力的だと思いますよ!炎のような情熱的な美しさで!」
「あら、お上手」
目を泳がせ慌てふためくユウと、それを見て鈴のように笑う王女を静かに見ていたアスキが、不意にぼそりと言った。
「ユウ、マゾだもんね」
「おいアスキ、なんかそれ、あんまり良くない言葉だって聞いたぞ!王女に変な言葉教えるなよ、俺がライトに怒られる!」
「ねえタマキ、マゾってどういう意味ですの?」
きょとんとした顔で、フラーマは反対側に話題を振った。
「えっ!えーっと……痛いのとか、虐められるのが好きな人、みたいな……?」
どう説明したものかと、タマキなりにソフトな言葉を選んで伝えると、
「そうなんですの?」
若干引いた顔のフラーマが、ユウを見た。
「違います、誤解です!……アスキ、後で覚えてろよ」
「もう忘れた」
「ふざけんな」
「タマキ、これはなあに?」
「それは、白身のお魚に砕いたパンをまぶして、油で揚げてあるんです」
「命界人が伝えたレシピだそうですよ。今じゃキュレスカ全土で見られる家庭料理ですが」
「へえ、面白い。これはキュレスカの海のお魚よね。アルマンディンには海がないのだけれど、川魚でもできるかしら?」
「そうですね、川魚は匂いがあるので、香辛料で臭みを消してから揚げるのがいいんじゃないでしょうか」
「ふーん。わたくし、お料理ってしたことがありませんの。帰ってから挑戦してみようかしら?」
「アスキ、醤油取って」
「ん」
「しょうゆ?しょうゆってなんですの?」
若者たちが繰り広げる取り留めない会話をクラヴィスは始めのうちこそ心配そうに見ていたが、
「クラヴィスさん、どうしたの」
「いえ。……キュレスカは、良いところですな」
次第に静かに口元に笑みを浮かべ、アスキが首を傾げた。




