18
ネイトの馬車に揺られて東側に戻ってきた二人は、再び冒険者協会の依頼票の貼られた壁の前にいた。タマキが『F』というプレートの下の依頼票を真剣に一つずつ見ていくのを、アスキは黙って待っていた。
「いろんな依頼があるんですねえ……」
Fランクの依頼の殆どは、エレーナの近隣で見かける動植物の採集や荷物の運搬、街中で行われるイベントの警備など、危険の少ない雑用が多い。命界で言うところの未経験者歓迎のアルバイト求人を髣髴とさせるラインナップだった。
「確か、二ランク上の依頼まで受けられるんですよね」
冒険者証を発行したときに受けた説明を思い出し、タマキは隣の『E』の壁に移動した。
「自分のランクより上の依頼を成功させると、ポイントが多く貰えるんだよ」
「そうなんですか」
「一ランク上で一・五倍、二ランク上だと二倍だったと思う」
「それだけ、自分のランクより上のランクは難しいってことですよね。失敗したらどうなるんですか?」
「成功報酬として書いてあるポイントの分が持ってるポイントから引かれる。今タマキはゼロだから、マイナスになっちゃうね」
「それは困ります」
慌ててFランクの依頼を見に戻ろうとしたタマキに、アスキが言った。
「一人でやるなら失敗するかもしれないけど。依頼票に、推奨人数って書いてあるでしょ」
言われて目の前の適当な依頼票を見ると、確かに、期限日の隣に推奨人数という項目があった。
「人数の指定がない限り、パーティを組んでいいんだよ。まあ、ポイントの取り分は人数で割るから減るけど、パーティメンバーのランクは問わないし、受注者のランクが適用される」
「ってことは……二ランク上の任務を二人で成功させれば、元々書いてあるポイントは貰えるってことですか」
「そう上手くいくかはわかんないけどね。推奨人数が多い依頼は元のポイントも多いし、やってみる価値はある。あとは……」
タマキの苦笑いを無視し、アスキはちらりと受付カウンターを見た。相変わらず仏頂面のアンナが鎮座し、淡々と仕事をこなしていた。
「緊急任務っていうのがあって。こっちに貼って待ってる場合じゃない急ぎの任務だったり、信用のない冒険者に受注されちゃ困る訳あり任務だったりするんだけど、報酬は壁の依頼よりずっと良い」
「どうやって請けるんですか?」
「アンナに聞けば教えてくれるよ。……あんまり聞きたくないけど……」
そう言った瞬間、書き物をしていたアンナが不意に顔を上げて、アスキと目が合った。そのまま手を止めてじっと見つめて来るので、アスキは渋々、冷ややかなオーラを纏う美女の用件を伺いに行くしかなかった。
「そんなに警戒されると、いくら私でも少し傷つきます」
ここぞとばかりに嫌そうな顔をして受付に来た目付きの悪い男を見上げ、エルフの女性はぼそりと言った。
「『いくら私でも』って、自分で言っちゃうんだ」
「他人からどういう評価をされているかくらいは、分かっているつもりですよ」
真顔でアンナは返す。アスキは首を擦りながら溜め息をついて、訊ねた。
「何か用?タマキを連れて行けて、割のいい任務だったら請けてもいいよ」
冒険者というのは基本的には協会に雇われている身分であり、いくら腕が良くとも任務を斡旋してもらえなければ仕事にならないので、協会の職員よりも立場は弱い。その上でキュレスカ本部の氷の女王と恐れられるアンナに砕けた口調で偉そうに話す青年を見て、壁の依頼票を持って後ろに並んでいた冒険者がぎょっとした。
「貴方が請けてくださるというなら、いくらでもありますよ。リストにして発注しましょうか?」
「やめて」
アスキは真剣な顔で即答した。
「半分冗談ですよ。そうですね、護衛任務なら比較的難易度は低いかと思います」
「半分って言った?」
「ただ、やはり実績のないFランクの冒険者を同行させるのは、依頼主はあまり良い顔はしないでしょうね」
「ねえ、半分本気だったの?」
クスリともしない二人が戯れのようなやりとりをするのを聞いて、タマキが隣で思わず吹き出した。
「となると、やっぱりある程度は地道にランクを上げないといけないよね……」
「ランクはそもそも、経験を数値化したものですから。楽をさせて嵩上げしたところで、本人のためになりませんよ」
「確かにね」
「そ、そうですよね……」
いくら急ぐ旅とは言え、実力が伴わなければ結局どこかで足止めを食らうことは明らかだった。やはり地道にランクを上げていくべきかと、アスキが腕を組み悩んでいると、不意に声がした。
「どうしてですの?!」
よく通る溌剌とした若い女性の声に、アスキとタマキだけでなく、他の冒険者たちも何事かと振り向く。
「わたくしの依頼は審査に通らないって、どういうことですの?」
「いえ、その……」
受付の隣、『依頼相談所』の看板の掛かったカウンターの職員に噛み付いているのは、燃えるような赤い髪を巻き毛にした美しい女性だった。歳は十代後半程度。魔法使いによく見るフード付きのローブに身を包んでいるが、その上からでも身体のラインが分かる程の緩急のある体型。目尻をピンと撥ねたアイメイクを施した大きな瞳に凄まれ、気の弱そうな中年の男性職員がアンナに目線で助けを求めた。
「ですから、通常任務として受注するには依頼人様の危険が大きすぎますし、かといって特殊任務となりますと、ご希望の日程までに条件に該当する冒険者をご紹介できない可能性がございまして……」
詰め寄られて泣きそうになっている職員を見て、アンナがちらりとアスキの顔を見た。アスキはその視線を受け、小さく溜め息をつくと、
「ねえ。その任務、内容によっては引き受けてもいいよ」
今にも職員に掴みかかりそうな女性に、声を掛けた。
「え?!」
驚いた声を上げたのは女性ではなく職員で、何も言わないアンナを見て、彼女が頷いたのを見ると、今度はぽかんとした顔でアスキを見た。
「貴族の護衛でしょ?多分、条件には合うと思うけど」
「あら、どうしてわたくしが貴族だとお分かりになったの?」
威を殺がれ、一旦佇まいを直した女性が、きょとんとした顔で首を傾げた。どう見ても冒険者に扮した貴族のお嬢様だろうと、その場にいた誰もが思い、口には出さなかった。隣に侍る物腰の柔らかそうな初老の男性が、頭が痛そうに項垂れた。
「その歩きにくそうな靴で草原に出るつもり?それにイヤリング、そんなに見せびらかして盗賊に耳ごと引きちぎられたいの?」
彼女の足元は、踵が高く先の尖った光沢のあるブーツだった。耳からは髪と同じ色の巨大な宝石がぶら下がり、嫌でも目に付く。指摘されて女性が改めて辺りを見回すと、周囲の女性冒険者は皆あまり飾り気がなく、せいぜい控えめな化粧とワンポイントの小さなピアスくらい。もちろん足元は、適度な高さで歩きやすさを重視したブーツ。
「……なるほど。勉強になりますわ」
的確だがあまりにも不躾な指摘に一触即発かと思われたが、女性は存外素直に頷き、ひとまず目立ちすぎるイヤリングを外して従者の男性に渡した。
「貴方、面白い方ね。少しお話しても?」
「……聞くだけなら、まあ」
「ご商談なら、奥の部屋をどうぞ」
アンナがちらりと目で示したのは、カウンターの内側にある『応接室』というプレートの貼られたドアだった。
「ありがとう。使わせていただくわ」
女性はにこっと優雅に微笑むと、カウンター横の背の低いスイングドアをさっさと押し開け、カウンター越しに彼女の相手をしていた男性が慌てて案内に付いた。従者の男性が、何度も申し訳ございませんと周囲に謝りながら付いていく。アスキとタマキは顔を見合わせ、その後に続いた。
応接室はあまり広くなく、最低限の装飾を施されたソファとローテーブルしかない、簡素な空間だった。
「随分質素な応接室ですわね」
女性はずけずけと言った。
「申し訳ございません、調度品などを置くと、盗聴魔法を仕掛けられる恐れがあるので、最低限のものしか置かない決まりになっているんです」
機密性の高い依頼についての相談などを行う際に使われる部屋は、その見た目に反して高度な防音魔法が施されており、ソファとテーブルにも他の魔法を打ち消す強力な魔法が掛かっている、という説明を受け、女性が感心した。
「なるほど、そういうことなら納得がいきます。キュレスカは命界からもたらされた知識を反映した特殊な魔法や制度が多いと聞いていたけれど、面白いですわね」
「それでは、私は外におりますので。終わりましたらお声掛けください」
「ええ、ありがとう」
職員は恭しく頭を下げて部屋を後にし、四人が残った。
「それじゃあ、早速お話をしても宜しいかしら?」
赤い髪の女性はまるで自分の部屋のようにさっさとソファに座り、肉付きの良い足を組んだ。初老の男性は座ることなく、女性の斜め後ろに静かに侍る。
「貴方たちも、お掛けになって」
尊大に対面のソファを勧められ、アスキが女性の正面に座り、タマキがややぎこちない動作でその隣に腰掛けた。赤い髪の女性は、真紅のマニキュアの塗られた長い爪を細い顎に当て、ええと、と考え込んだ。
「何からお話したら良いかしら」
「まずはお名前をお聞きしたほうがよろしいかと」
侍る男性に問いかけ、男性が助言した。
「そういえば、まだ名乗っておりませんでしたわ。わたくし、フラーマと申します。これは執事のクラヴィス」
「アスキ」
「タマキです」
「そう、アスキとタマキ。長いお付き合いになりそうな気がしますわね」
血のような瑞々しい紅を引いた唇を持ち上げ、フラーマは優雅に微笑んだ。アスキは小さく肩を竦め、
「とりあえず、アルマンディンのお姫様が、キュレスカで何の悪巧み?」
突然訊ねた。するとフラーマが大きな目を更に見開き、同時にクラヴィスが驚いた顔で身構えた。
「どうして?」
「さっき、『キュレスカは』って言ったから、よその国の人だと思ったんだ。あのサイズのルビーが採れるのって、アルマンディンの方でしょ?」
あのサイズ、と言いながらアスキは耳を指差した。
「それだけじゃ、わたくしが王族だとは断定できないんじゃなくて?ルビーは偽物かもしれませんわよ」
フラーマは面白そうに目を細めながら、質問を続けた。
「アルマンディンは代々女の人が王様で、王様に近い人ほど真っ赤な髪をしてるって、前に聞いたことがあって。……あっさり貴族だって認めるような人が、偽物なんか着けないでしょ」
「他には?」
「……ファミリーネームを言わなかったから。貴族って、大概フルネームで名乗るのに。よその国でも身分がバレるくらい有名なファミリーネームって言ったら、国の名前がそのまま付いてる王族くらいじゃない?」
淡々としたアスキの回答を聞いて、
「なるほど。これからはきちんと偽名を考える必要がありますわね」
「左様でございますね」
何やら満足そうな二人に、今度はアスキが訊ねた。
「こっちからも聞いていい?なんでお姫様が、冒険者の護衛なんか募集してるの?直属の護衛がいるでしょ?」
「それは……」
クラヴィスが眉間の皺を深めながら、神妙な面持ちで言い淀んだ。
「だって、大掛かりな護衛なんか付いていたら、外の景色もまともに見えやしないんですもの。わたくしはこの身を持って、異国の空気と文化に触れたいのです。ですから、帰りの護衛はお断りしましたの」
「迷惑な……」
アスキは率直な感想を述べた。クラヴィスも深い溜め息をついた。
「実際の冒険者からのお話を聞きたかったということもありましたから、冒険者に護衛をお願いすることにしたのですわ」
「そしたら、お姫様の護衛なんかできるランクの冒険者はそう簡単に斡旋できないって言われたわけか」
「ええ。キュレスカは見て回る限り平和な国のようですし、一般的な冒険者でも十分に務まると思いましたのに、数字ランクの冒険者でないとお付きに相応しくないなどとあの受付の方が仰るものですから」
「そりゃそうでしょ。適当に見繕って万が一のことがあったら、それこそ戦争になりかねないし」
協会としては、丁重に断り、直属の護衛を付けて貰う方が全て穏便に済むだろうという考えであることは、明白だった。
「でも、貴方は万が一も起こさないお墨付きを頂いているのでしょ?一体どれくらいの腕をお持ちなんですの?」
「万が一は起こるからそんな言葉があるんだし、絶対とは言い切れないけど。お姫様が望んでる、少数の護衛でも国が納得するくらいの肩書きは持ってるつもり」
「ふふ、本当に面白い方ですわね」
「お姫様も変わってるね。大体の貴族はおれの喋り方が気に食わないって、怒って帰るんだけど」
「チヤホヤされたいのでしたら、それなりのところにお願いしていますわ」
あっけらかんとした歯に物着せぬ物言いの応酬に、会話をしている本人たちよりも、隣でそれを聞いている人間の方がハラハラした顔をする。アスキはそんなフラーマをしばし見てから、
「……ねえ、相談なんだけどさ」
声のトーンを落として、切り出した。
「何かしら?」
「もし、おれとタマキがお姫様を護衛したとして、一緒にアルマンディンに入って、そこから更にブレドに抜ける通行許可って出せる?」
「あっくん!」
突然の交渉に、それまで邪魔しないようにと静かにやりとりを聞いていたタマキが驚いて声を上げた。
「ブレド?貴方たち、ブレドに行きたいんですの?」
フラーマも、きょとんとした顔で首を傾げた。アスキは続ける。
「うん。もしアルマンディンへの入国許可と、アルマンディンからブレド行きの通行許可を出してくれるなら、ポイント以外の報酬はいらない」
「それくらいならお安い御用ですわ。護衛のお礼がしたいと言えば渋る者はいないでしょう。ねえクラヴィス」
「ええ、申し出が無くとも、後日ご招待させて頂くつもりでございます」
「そっか。じゃあ交渉成立。お姫様の護衛任務、受けるよ」
あまりにもあっさり承諾したアスキに、フラーマとクラヴィスがぽかんとした表情で顔を見合わせた。




