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再び通りに出て、アスキは訊ねた。
「他に、何か買いたいものはある?」
「そうですね……。冒険者をするために、他に、何があると便利でしょうか?」
まだ不慣れなのでオススメのものがあれば、とタマキが言うと、アスキは少し考え、
「そうだ、忘れてた。えっと……確かこっち」
何かを思い出し、場所を確かめるように辺りを見回してから、ふらふらと大通りから逸れる細い路地に入って行った。タマキは小走りで後を追う。
恐らく一人では辿り着けないであろう路地の奥、見た目は古びた民家のように見える建物の前で立ち止まったアスキの隣で、タマキが首を傾げた。
「ここは?」
「時計屋」
看板も何もない建物の扉を躊躇いなく開けると、確かに、静まり返った薄暗い室内のあちこちから秒針の音が聞こえてきた。
「アルス、いる?」
「んー?誰ー?」
タマキが壁一面に飾られた様々な形の時計に圧倒されていると、店の奥からぼーっとした声が聞こえた。ひょこっと顔を出したのは、眠そうな目に丸い縁の眼鏡を掛けた、若い男性だった。濃い青色の猫毛をぞんざいに切り散らし、洗いざらした色の作務衣のような服を着た彼は、アスキに負けず劣らずの痩身で、あまり高くない身長が猫背で更に小さく見える。
「アスキ?久しぶりだね。えーと、五年と四ヶ月と二十六日ぶりかな」
アルスは、頭を掻きながら何気なくそう言った。
「覚えてないけど、アルスが言うならそうなんでしょ」
「何か用?時計、壊れた?」
ぼーっとした顔のまま、アルスはカウンターの椅子に腰掛けた。アスキが首を振る。
「いや、おれのはおかげさまでまだ現役。新しい冒険者のために、腕時計が欲しいんだけど」
「こ、こんにちは……」
アスキに紹介され、後ろからタマキがひょこっと顔を出す。
「どうも、こんにちは。……弟子でも取ったの?アスキらしくないね」
「なりゆきで。一人立ちするまで世話することになったんだ」
「へえー。女性用の腕時計かー。欲しい機能は?」
「なるべく壊れにくくて手入れが楽で正確な奴。見た目が良ければもっといい」
タマキの好みなどは一切聞かず、淡々と最低限の条件を述べるアスキを、眼鏡の奥のターコイズブルーの瞳がじっと見つめる。
「大体分かったー。ちょっと待っててねー」
何かを思い出すように視線を持ち上げてから、アルスはのんびりと言って一度奥に引っ込んだ。何やらゴトゴトガサガサと音がして、しばらくすると、髪に埃を付けながら、木箱を両手に一つずつ持って戻ってきた。
「条件に合いそうなのは、この辺かなあ。ちょっと前に作った分だけど、調整するから気にしないで」
言いながら蓋を開けていくと、
「わあ!」
タマキが顔を輝かせた。一つは、丸い木枠にシンプルなアナログの白い文字盤の細身の時計だった。木枠に繊細な彫刻が施されており、地味ながら上品な雰囲気を醸し出す。
「二年と五ヶ月と三日前に完成した奴。アナログでシンプルだけど、その分フォーマルにも合う感じー」
そんでこっちが、とアルスがもう一つの箱を開けると、タマキが再び歓声を上げた。こちらは銀色のフレームに、内部構造が分かるガラスの文字盤。複雑に歯車が絡み合う様は、実用品と言うよりも芸術品と言ったほうが良さそうな美しさだった。
「これはえーっと、三年と二ヶ月と十八日前に作った奴だったかな。男物だけど、細身だし女の子が付けても問題ないと思うー」
「どっちも、綺麗ですねえ」
「ありがと。お姉さん、お名前は?」
「はい、タマキです。よろしくお願いします」
「僕、アルス。……また最後が『キ』かあ」
改めて名乗ってから、アルスはぼーっとした瞳に若干の好奇心を映し、そう言った。
「へ?」
「四大冒険者の話、聞いた?」
「はい、聞きました」
「みんな、名前の最後がキで終わるんだよね。本人たちが言うには偶然らしいけど、ちょっと面白いと思わない?」
『狩人』アスキ、『破壊神』モトキ、『詐欺師』ナツキ、『戦姫』ミサキ。順に名前を思い出し、タマキはああ、と声を上げた。
「言われてみればそうですね」
「てっきり、命界人はみんなそういう名前なのかと思ったら、そうでもないらしいじゃん?」
感情の読めない眠そうな表情で箱から時計を取り出し、台に載せてみせながら、世間話のように続けた。
「そんで、五人目のキで終わる名前を持つタマキちゃんが、僕の時計を持つ五人目の命界人になるわけだ」
二つの時計を並べて、アルスは言った。
「どっちも、防水、耐衝撃の魔法付き。よほど強い攻撃魔法でも受けない限り壊れないと思うよ」
「へえー、こんなに細かいのに、すごい」
「かなり雑に扱っても大丈夫だから。壊したのはモトキくらいだよ……」
真剣に二つの時計を見比べるタマキの横からアスキも覗き込み、ぼそりと言った。
「破壊神、ですか……」
「ある意味お得意様だったよねえ」
カウンターに頬杖を付き、今にも寝そうな顔でアルスは言った。そして、
「木枠が二十五万、銀枠が三十万にしとこうかな」
とてもどうでも良さそうに、今考えましたといった様子で値段を付けた。値段を聞いて狼狽するタマキに、
「おれが出すから気にしなくていいよ」
アスキが食事代でも払うかのように言った。タマキが目を丸くして思わず顔を見上げた。
「え!?」
「ひゅー、やるじゃん色男」
アルスが棒読みで冷やかす。
「で、でも……」
遠慮しているタマキを見かねて、腕を組んで少し考えてから、アスキは言った。
「じゃあ、他の皆にも配ろうかな。タマキが選ばなかったほうをそのださんにあげて、あと男物を三つ。皆、すぐには時計買うほど貯めきれないと思うし、餞別に」
目の前でセレブリティな買い物をしようとしている同級生にタマキがたじろいでいると、代わりにアルスが答えた。
「いいっていいって。こいつ王族の総資産くらい稼いでるから、ウチの時計全部買い占めたって懐は痛まないよ」
「そうなんですか!?」
「アルス、いやらしい話しないでくれる?」
飄々とした眼鏡の男を睨みながら、アスキが苦そうな顔をした。おろおろしているタマキに、アルスは面白そうに言う。
「自分は常識人みたいに言うけどねえ、こいつも二つ名が付くくらいのことはしてるってことだよ」
「別に、任務やってたら勝手に貯まっただけだし……」
否定はできないのか、ぼそぼそと目を逸らしながら言うアスキだった。
「あっくんが大丈夫なら、お言葉に甘えます……」
「じゃあ、あと三つ持ってくるよ。何か指定は?」
「一人は魔法使い、あと二人は下手すると壊しかねない脳筋かな。片方は女子だけど、男物のほうがいいと思う」
「わかったー」
アルスは再び奥に引っ込み、タマキが悩む。
「うーん、どっちも綺麗で迷います……。あっくんは、どっちが好きですか?」
「銀のほうかな。おれのもそうだし」
そう言って、右腕の腕時計を見せた。銀色のフレームの中で、眩く歯車と針が正確に時を刻み続ける。
「じゃあ、銀にします!木のほうは、落ち着いてて園田さんが好きそうですし」
「分かった」
「この辺でどうー?」
そう言ってアルスが持ってきた箱の中身を確認し、
「じゃあそれで」
アスキは合計金額も聞かずに、クレジットカードの役割も果たす冒険者証を差し出した。
サイズは使用者に合わせて調整されるから、というアルスの説明通り、自分の左手首に吸い付くように輝く時計をうっとりと眺めてタマキが言った。
「本当にありがとうございます!大事にしますね!」
フレームと内部構造が日差しできらきらと光るのを見つめるタマキを横目で見ながら、
「うん」
アスキは短く返事をした。
尚、他の四人の時計については、アルスの悪巧みによって『さる王国貴族から、五十周年を記念して命界の新米冒険者に贈り物』ということにして、早急に届けられることになった。




