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冒険者証を発行した後。タマキはアスキに促され、研修の際に作った口座にライトからショウジョウアゲハの代金七十五万ビットが振り込まれていることを確認するため、『エレーナ中央銀行東門大通り支店』と看板の掛かった建物を訪れていた。
入ってすぐの空間には、上面に魔法陣の入った無機質な箱が十台ほど鎮座していた。アスキが言う。
「これ、隣界のATM。ここに冒険者証をかざすと、残高の照会と、十万までの預け入れと引き出しができる。それ以上はあっちの窓口で」
タマキが発行したばかりの冒険者証をかざすと、箱の魔法陣がブン、と音を立てて光った。驚いているタマキに、アスキが教える。
「ここに手を置いて。勝手に認証するから」
「はい」
言われたとおりに、魔法陣に手を載せると、正面に半透明の板が出現した。
「わあっ」
現在の預金残高と、入金、出金といった選択肢が表示されたモニターを見て、タマキが小さく歓声を上げた。
「そのモニター、手を置いた本人にしか見えないんだ。ちゃんと振り込まれてる?」
「はい!……あれ?少し多いです。一万五千ビットくらい」
タマキにしか見えないモニターには、『765000b』と表示されている。
「一万五千?……ああ、この前の研修で提出した兎の毛皮と鎌の代金じゃないかな。支度金にしろってことでしょ」
「あの任務は、そういう意味もあったんですね」
任務をこなせば対価を貰える。逆に、何事も無償では手に入らない。それが冒険者の仕組みであり、命界人も例外ではない。それを教えるための任務でもあったのだ。
「こんな大金、命界でも持ったことないです」
「換金できるから、似たようなもんじゃない?まあ、それだけあれば装備を買い揃えるのには不自由しないと思う」
「なんだかズルしてるみたいです……。他の皆さんは、どうしてるでしょうか」
「向こうは多分指導者が付いてるだろうから、最低限の防具と武器だけ買って、Fランクの採集任務でもやってるんじゃないかな」
「私は、参加しなくていいんでしょうか」
「モトキが何も言わなかったんだから、いいんじゃないの。どうせ全部おれに説明させるつもりだよ。そうだな、とりあえず端数だけ引き出して、買い物に行こう」
「はい……」
タマキはなんとなく後ろめたさを感じつつ、出金ボタンを押した。すると魔法陣が再びブン、と音を立て、台座の上に紙幣が現れた。
「命界のATMより、ハイテクです……」
タマキは目を丸くした。
エレーナの街は、中心に聳える王城に近い場所ほど身分の高い者が暮らすようになっている。と言っても特に身分によって居住地域が制定されているようなことはなく、単に貴族には城に仕える者が多いため交通の便を考慮した結果そうなったというだけなのだが、庶民からすると高級住宅街は土地も高く、そもそも肩身が狭いという理由で、なんとなく区画が分かれているのが現状だった。
東西の大通りは街の玄関口になっているためその限りではないが、一歩通りを外れると途端に街並みは入り組む。また街の防衛上公的な地図が存在せず、復興によって次々と新しい建物が作られているので、全ての道を把握している者はまずいないのではないかと言われていた。
東側から西側に最短距離で行くには、貴族街と呼ばれる豪奢な家ばかりが並ぶ地域を抜け、王城を囲む城壁沿いに進み、再び西側の貴族街を抜ける必要がある。
「馬車に乗ろう。貴族街を冒険者が歩いてると変な目で見られるし、迂回すると遠いし」
アスキの提案で、二人は大通りの馬車乗り場から馬車に乗った。
「そういえば、隣界って自動車がありませんね」
馬の蹄のパカパカという音と、石畳の上を車輪が回るごとごとという振動を感じながら、タマキが言った。
「魔法で動く似たような乗り物は見たことあるけど、こっちには石油がないから」
「そっか、ビニール袋もありませんもんね」
タマキが納得する。どの店でも、使われているのは紙か布、または革の袋だった。いくら命界の技術を伝えたところで、代替するものがなければ産業にはならない。
「それに、魔法が便利すぎるから、発達する必要がないんだよ」
二人を乗せた馬車は規則的な揺れを伴い、のんびりと進む。
やがて街並みが明らかに変わり、道の幅も広くなった。両側に並ぶ建物はどれも競い合うかのように華美な装飾を施され、青い芝生がきっちりと手入れされた庭を持っていた。
「ここが貴族街ですか?……豪華な家ばっかりですねえ……」
「うん。古くからある階級が高い家は、家自体は地味だけど庭が広くて門が大きいんだ。家が大きくてごてごてしてるのは比較的新しい、商人とか成り上がり貴族の家」
そんな身も蓋もないことを言いながら窓の外を二人が眺めていると、話を聞いていた御者の初老の男性がくっくっと笑った。
「お客さん、通ですねえ」
「まあね。結構、貴族と付き合いがあったから」
「へえ。そいつあすごい。貴族に信用されてる命界人なんて、滅多に聞きませんからなあ。お名前を聞いても?」
「……アスキ」
「へ?お兄さん、まさかあの『狩人』ですか?」
名前を聞いた御者は、仕事熱心に前を向いたまま、素っ頓狂な声を上げた。
「まだ、そんな呼ばれ方してるの?五年も前だよ?」
「そういえば、道具屋さんがそんな風に呼んでましたね」
タマキがなにやらわくわくしながらアスキの顔を見た。アスキは居心地が悪そうに首をさすった。
「そりゃあ、狩人といえば命界の四大冒険者の中でも、一番の凄腕じゃないですか。伝説は衰えませんよ、それどころかどんどん尾ひれが付いてる。いくつかお話しましょうか?」
「わあ、聞きたいです!」
「いいよ、聞かなくて」
本当に嫌そうに言うアスキの声に、御者はあっはっはと声を上げて笑った。
「五年の間に、アンタの偽者も沢山出ましてなあ。結局、国が『狩人』『破壊神』『詐欺師』『戦姫』の名を騙った者は厳重に処罰するってお触れを出して、収まったんです」
「そんなことになってたのか……。おれのことは?疑わないの?」
「いろんな人を乗せてますからね。本当のこと言ってるかどうかくらい、わかりますわ。それに、最近の命界人は皆ケチでねえ、全然馬車に乗ってくれんのですわ。そういう意味でも、アンタは魔王時代を知ってる人に違いねえ」
「ふーん。信じなくていいのに」
「五年ぶりに姿を見せた狩人を一番に乗せたとなりゃ、自慢できますからなあ。良かったら、贔屓してくださいよ。街中どこでも駆けつけますから」
「そう。じゃあ名前を聞いとこうかな」
「ネイトと申します。いやあ、光栄ですなあ」
ネイトと名乗った気のいい御者は、あれはナントカ大臣の家、あれはナントカ伯爵の家、と、まるで貴族街を観光地のように説明していった。その度にタマキが、よく分からないながらもへえー、と楽しそうに反応を返すので、御者も饒舌になる。
「あれは、グレイウルフ伯爵の邸宅ですな。この辺りでは一番の旧家です」
「本当です、門が大きくてお庭が広いです」
御者が示した先には、周囲の建物よりも装飾の少ない、それでいて重厚で安っぽさを感じさせない邸宅があった。代わりに門は周囲のどこよりも立派で、巨人でも入れるつもりかと言わんばかりの高い門柱と門扉が立っている。その向こうに垣間見える庭は手入れが行き届き、夏の花が咲き乱れていた。
「ライトの実家だよ」
アスキが、社会科見学気分のタマキに言った。
「え!?ライト先生、貴族だったんですか?」
「そうだよ。じゃなきゃ、いくら強くても王様の近衛兵になんかなれないよ」
「もしかして、近衛隊のライト隊長のことを言ってるんですか?たまげたなあ」
国王直属の精鋭部隊の隊長のことを呼び捨てにしたアスキに、さすがのネイトも呆れた声を出した。
「私あんまり、貴族の方がどういう人たちなのか、分からなくて……」
「要は、王様の家族とか親戚とか、あとはすごいことをして王様に認められて身分を貰ったりした人たちだよ。ライトは……二代前の王様の弟の、ひ孫?になる、かな……」
ええっと、と眉を顰めて考えながら、アスキはそう説明した。つまり、今の王子のはとこ、ということになる。
「キュレスカの王様の位は、長男かその時一番年上の男子が受け継いでいくから……もし今の王様と、王様の息子と、王様の兄弟とその息子に何かあったら、王様のお祖父さんの二番目の弟とその息子はもう亡くなってるし、ライトのお祖父さんとお父さんも亡くなってるから、ライトが王様になる」
指折り数え、王家を崇拝する貴族たちが聞いたら闇討ちに来るのではないかというほど不敬な例えで説明するアスキだった。
「ははあ、王家の家系図にもそんなに詳しいとは」
「それって、すごく偉い人なんじゃ……」
感心しきりのネイトに対し、フレンドリーに蜘蛛で脅かしてよいような相手ではなかったのではと、今更になって青ざめるタマキ。
「まあ、そんなことまずないだろうけどね。それに今の王様は娘もいるから、娘が結婚して男の子が生まれたら、その子の方が順位が上になる」
「へ、へえ……?」
それでも王族の血を濃く引いていることに違いはなく、そんな相手と話していたのかと今更に萎縮するタマキの様子に、アスキは事も無げに言った。
「大丈夫だよ、長男のくせに家飛び出して冒険者やってたくらいだし。あんまり家柄でかしこまられるの、好きじゃないみたい。家の金は俺の金じゃないって言って、全部自分で稼いでたくらいだから」
「本当に、貴族とは思えない気さくな方ですよね。定期的に街を見回っては、我々のような庶民にも笑顔で声を掛けてくだすって」
市民からの人望も厚いようで、ネイトはしみじみと言った。
「さて、城門に着きましたよ」
「近くで見るとやっぱり大きいですね!」
中の様子が全く分からない高さの白い壁を、タマキは馬車の窓から身を乗り出して見上げた。大きな門扉の傍に小さな扉があり、兵士たちがそこから出入りしているのが見える。
「この中で、王様たちが暮らしてるんですね」
タマキが想像もつかない最上流階級の人々に思いを馳せながら、馬車は城門沿いの太い道を走る。
どこまでも続きそうだった城壁に再び門が付き、西側の貴族街に入ると、タマキが言った。
「そうだ、さっきネイトさんが言ってた『命界の四大冒険者』って、皆あっくんの知り合いですか?」
「うん、皆パーティメンバーだったから。そんな大層なこと言われるようなガラじゃなかったけど」
「私も知ってる人ですか?」
「『詐欺師』は、ちょっと話したでしょ。今日、拾たちのデータを管理してる研究者のナツキ」
「あの、眼鏡で寝癖の男の人ですか?」
「そう。あんな風にしてるけど、元は舞台俳優なんだ。魔法で他人に化けるのが好きで、人を丸め込むのが上手い」
「そうなんですか?全然そんな風には見えませんでした」
「あれも演技だよ。見る度に見た目が違うから、おれもあんまり自信ない」
「ふふ、それで詐欺師なんですね」
「『戦姫』は、タマキは会ったことないと思う……。ミサキっていう、女の人。とにかく近接が強くて。って言うか、強い相手が好きで。カナみたいな感じ?」
ひたすら強い者を追い求める星村妹を思い出しながら、アスキは言った。いつかカナもそうなるかも、と、懐かしそうに目を伏せた。
「じゃあ、『破壊神』は?」
「……言っていいのかな……。おれが言ったって、言わないでね?」
アスキは少し逡巡してから、そう前置きした。タマキはきょとんとする。
「? 誰にですか?」
「モトキ。拾の父親」
「え!」
タマキは目を丸くして、口を押さえて驚いた。研究室室長であり、本日二人のデータを管理している快活な男に、まさかそんな物騒な二つ名があるとは思いも寄らなかったらしい。
「命界の冒険者の中でも一番古くからいるんだけど、子供みたいなところあって、魔法にテンション上がってすぐオーバーキルしてたんだ。稼ぎも良かったけど、賠償額も凄かった。若気の至りっていうか、言うと恥ずかしがって殴ってくるから言わないほうがいいよ」
「はあ……。分かりました」
そこまで聞いた後、タマキは目を一層輝かせて訊ねた。
「じゃあ、あっくんはなんで『狩人』なんですか?」
「おれ?言ったでしょ、毎日ひたすら任務受けて、片っ端から完了してたらそんな名前が付いてただけ。あの中じゃ一番地味」
「またまた、ご謙遜を!『狩人』に頼めばどんな獲物も狩ってくるって、評判だったくせに」
「そんなんじゃないよ……。そりゃ、アンナに斡旋された依頼をやることもあったけど、面白そうなのを選んで受けてただけだし」
「成功率百パーセントの冒険者なんて他にいませんからね。お偉い身分の方々が、狩人が気まぐれなのも承知で、いかに目を引く依頼票を作るかって真剣に悩んだりして」
「なんか、買い被られてる気がする……」
「でも、噂になるくらいなんだからすごいんですよ、やっぱり」
二人から持ち上げられ、アスキは片眉を下げて複雑な顔をした。
再び商店が立ち並ぶ大きな通りに出たところで、二人は馬車を降りた。
西門広場に続く大通りは、一般的な生活雑貨を売る店が多い東の大通りとは異なり、武器や防具、魔法具、書籍といった専門店が多く並ぶ。鉱山が東側よりも近いなどの理由で、町工場や職人街が西側に集中していることがその理由だ。
それに伴い、行き交う人々もまた、顔に傷のある厳しい顔の大男や、夏だというのに真っ黒なローブを着てフードを目深に被った人影、大剣を背負った甲冑の騎士など、東に比べて外見に統一感のない一行が多く歩いていた。
タマキは物珍しそうに、すれ違う人々や店のショーウィンドウを見ていく。儀礼用と思しき派手な甲冑のある店、大剣の飾ってある店、奇妙な生き物を置いている店など、興味を引くものは尽きない。
「とりあえず、まずは防具かな」
そう言ったアスキがタマキを連れて訪れたのは、大通りの中心部に聳える大きな建物だった。『装備のことなら何でもお任せ!ジョン・アームストロング防具店』という看板の掲げられた店の中では、あちらこちらで冒険者たちが装備の品定めを行っていた。
「いらっしゃいませ!」
元気良く声を掛けてきたベストとスラックスの店員に、アスキが言う。
「道具ポケットはある?あと、弓兵用の胸当ても欲しいんだけど。女性用の」
「はい、こちらへどうぞ!」
赤毛をきっちりとまとめた営業スマイルの女性は、二人を速やかに案内する。
「ポケットはこちらです」
ショーケースにずらりと並べられたポケットと、それぞれにつけられた値札を見て、タマキが首を傾げた。
「高いものと安いものでは、何が違うんですか?」
「容量と耐久性があるものほど高いですね。もちろんデザインや素材も関係してきますが」
「どれがいいんでしょう……?」
下は一万、上は十万ビットの品までずらりと並べられ、タマキはアスキに助けを求めた。
「好きな奴でいいよ。始めのうちは、そんなに沢山入らなくてもいいし」
「もし後から買い換えられる場合は、下取り割引も行っておりますのでお気軽にお申し付けください」
「分かりました」
タマキは頷いて、ひとまず一番容量が小さく値段の安いものを選んだ。胸当ても、やはり同じように安いものを選ぶ。
「折角ライト先生から頂いたお金だし、大事に使わないと……」
「そんな大層なものじゃないと思うけど……。ライトはタマキに恵んだんじゃなくて、冒険者が狩ってきた獲物を買うっていう、隣界貴族の道楽をしただけなんだし。相場も妥当だよ?」
むしろ安いくらい、とアスキは言った。それを聞いてタマキは首を傾げる。
「ショウジョウアゲハって、なんでそんなに貴族の方に人気なんですか?個体数が少なくて貴重だっていうのは分かりますけど」
きょとんとした顔で改めて聞かれ、
「貴族は変わってる人が多いから」
答えにならない答えを返し、アスキはスッと目を逸らした。
続けてジャケットも手頃な価格帯の茶色のものを選び、一通り身に着けて鏡の前で確認する。
「えへへ、少しは冒険者らしくなりました?」
「ええ、とてもお似合いですよ!」
にこにこと店員が褒め、
「うん、いいんじゃない?ハッタリは大事」
アスキも腕組みして頷いた。歯に物着せぬ言い方に、店員が苦笑した。




