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関係者通路を通ると、奥にはエレベーターがあった。六人の高校生と大人が一人乗り込んでもまだ余裕がある広い箱には、普通のエレベーターと違い階数を指定するボタンがなかった。
代わりに出入り口の脇には開閉ボタンの上に鍵穴があり、基樹が鍵束の一つを差し込んで回すと、
『三十五階へ参ります』
無機質な女性の声のアナウンスが流れ、扉が閉まった。それを見て、カナが目を輝かせる。
「おもしろーい!鍵がボタンの代わりなんだ!」
「ああ、自分の仕事に必要な階の鍵だけ支給されてんだ。全員が持ってるのは食堂と休憩室のある十階の鍵くらいじゃないか?」
「それくらい厳重にしていないと、まずいものがたくさんあるってことですか」
「まあ、そういうことだな。鍵には一本一本番号が振られてて、誰がどの番号を持ってるか、どの鍵がいつ使われたかも記録されてる」
「へえー!」
「もちろん非常階段はあるが、本当に非常用だ。監視カメラとセンサーが付いてるし、普段の移動に使う奴はいねえな。そもそも、他の階とのやりとりなんて、殆どがメールか電話で事足りる仕事だからな」
「じゃあ、冒険者の人たちも鍵を持ってるの?」
「いや、冒険者は基本的にはこちらから声を掛けるか事前予約で、担当が一階に迎えに行くことになってる。今日の俺みたいにな」
「なるほどー!」
話している間に、エレベーターは目的の三十五階に着いた。
「病院みたい」
一番に飛び出したカナはきょろきょろと辺りを見回し、しんと張り詰めた空気をさすがに感じ取って、声の音量を落として言った。白い清潔な廊下には一定距離ごとに引き戸の扉があり、緊張感が一帯を支配している。時折、扉から白衣の研究員が何か書類を持って出て行く以外は、静寂そのものだった。
「室長、おかえりなさい」
声を掛けたのは、丸い銀縁の眼鏡を掛け、白衣を着た三十代前後の男性だった。顔立ちは決して不細工ではないが、ふにゃっと笑う顔はあまり気が強そうではなく、しばらく散髪に行っていなさそうなぼさぼさの黒い髪には寝癖が付いたままだ。白衣も医師のように清潔感のあるパリッとしたものではなく、あちこちに皺や染みのついた、薄汚れたものだった。
「おう夏輝、丁度良かった。連れてきたぞ」
「その子たちですか、新しい冒険者って」
「冒険者?もう見習いじゃないの?」
カナがぱあっと顔を輝かせた。
「正確には、これから隣界で手続きをしたら、だけどね。ええとそしたら、拾君と、園田アユミさん、星村北斗くん、星村カナさんの四名は、僕と一緒に来てくれる?」
持っていた書類を見ながら名前を読み上げると、アユミが首を傾げながら言った。
「二人は?」
他の四人も、同様にアスキとタマキを見ながら不思議そうな顔をしている。
「ごめんね、折角なら六人一緒がいいよねえ。研修の時は皆一緒だったもんねえ」
「うん!あたし、上に行くのってあの真ん中のエレベーターしかないと思ってたからびっくりした!」
研修の際に二十二人が通されたのは、表の観光用エレベーターから行ける三階だった。その名もずばり研修室と名付けられた部屋には、机と椅子が並び、参加者が事前学習を受ける講堂と、ゲートのあるログインルームの二つの部屋があった。交流五十周年の企画のために新設された設備で、これからさまざまな行事に使われる予定になっていた。
「正式に冒険者になると、分析するデータが多いから研究員一人につき四人までしか管理できないんだよ。成績順で区切らせてもらったから、白河遊生くんと叶野珠希さんの二人は、室長に付いて行ってくれる?」
わさわさと寝癖を掻きながら、本当に申し訳なさそうに言う夏輝に、
「そっか、じゃあ仕方ないね。白河、タマちゃん、またね!」
カナが頷き、二人にひらひらと手を振った。
「はい、また後で!」
タマキが手を振り返し、角に消えたところで、
「……タマちゃん?」
アスキがタマキを見た。
「えへへ、あだ名付けてもらったの、初めてです」
嬉しそうにしているので、それ以上何も言わなかった。
カナが夏輝を質問攻めにしている騒がしい声と足音が遠ざかり、どこかの部屋のドアが開いて閉まる音がすると、廊下に再び静寂が戻った。基樹がニヤッと笑った。
「久しぶりだな、アスキ。元気そうじゃねえか。……少し背が伸びたか」
「そりゃ、五年も経てばね」
「口は相変わらずみたいだな」
「そっちこそ。ちょっとは落ち着いたかと思ったら」
ぽかんと二人を見ていたタマキは、最終日にアスキが『拾の父親とは元々知り合い』と言っていたことを思い出し、ああ、と納得した。
「叶野ちゃんだったかい。事情は聞いてんだろ?迷惑掛けたな」
「いえ、そんな!いろんなこと教えてもらって、私すごく助かりました!」
「そうかそうか。さて、立ち話も何だ、部屋に行くか」
そして、二人は基樹に連れられ廊下を進む。
着いた先は、三十五階でも一番奥に位置する、扉に『99』と書かれた部屋だった。
「開けるから、先に入りな」
基樹がパネルに手を翳し、キーを打ち込み、さらに鍵を挿して回すと、やっと扉は開いた。アスキがさっさと入り、タマキがその後ろから、失礼します、と呟いて恐る恐る続き、最後に基樹が入ると、扉は自動的に閉まった。
室内は壁一面が巨大な機械で覆われ、その中心に空港の金属探知ゲートのような機械が埋め込まれていた。他には壁の機械からコードが繋がったディスプレイが三台載った事務机、背もたれのある事務椅子、仮眠用のパイプベッド、部屋の真ん中に四角いテーブルと、その上には電気ポットとカップ、インスタントコーヒーの瓶。事務机の上には他に、ノートパソコンが一台と電話機、そしてポストカード大の写真立てが飾られ、恐らく小さい頃の拾と思しき日に焼けて満面の笑みを浮かべた少年と、拾と同じ茶髪の美しい女性が並んで写っていた。それ以外の私物は無く、綺麗に整頓されている。
「適当に座れよ、コーヒーしかないけどいいか。アスキは砂糖一つだったな?」
「うん。タマキは?」
「あ、じゃあ私も一つで……」
アスキは勝手知ったる様子で、中央のテーブルの下から病院で患者が座るような背もたれのない丸いキャスター付きの椅子を二脚引っ張り出し、片方をタマキに勧めて自分も座った。タマキが礼を言って座った。
「ナツキも相変わらず、嘘吐くのが上手いよね。さすが『詐欺師』」
「嘘でもねえよ。一般研究員が四人しか管理できないのは本当だからな」
湯気の立つカップをそれぞれの前に置き、基樹は事務椅子に座った。
「室長なら八人までOKでしょ?モトキが全員管理できたじゃん」
「部下の仕事を奪うのも忍びねえだろうがよ」
「はいはい」
アスキはコーヒーを吹いて冷ましながら、適当に返事をした。隣でタマキがいただきますと言って一口飲んでから、首を傾げる。
「どうして今日は、私たちだけ別なんですか?」
「アスキだけ別にしたら不審だろ?こいつが手抜いたせいでそれらしい理由も付けられないしよ」
「ああ、そういうことですか」
「こっちの事情に付き合わせて悪いなあ」
「アスキくんのおかげで冒険者になれるんですから、協力できることは何でもします!」
申し訳なさそうにする基樹に、タマキは慌てて首を振り否定した。そしてふと、気になったことを訊ねた。
「この前は、どうしたんですか?」
「前回は拾がモグリだったからな。二人だけこっちからログインさせた。先にアスキを入れて準備させてから、時間差で」
「大変だったよ。拾が来るまでに初心者装備に着替えて、こそっと他の生徒に混ざりに行って。引き受けなきゃよかった」
「俺らだって、お前が高が学校の宿題ごときで五年も渋った復帰を承諾するとは思わなかったからなあ」
大袈裟に溜め息を吐いて、アスキはやっとコーヒーに口を付け、
「読書感想文のせいだ」
苦そうな顔で呟いた。
「まあ、今回はカムフラージュに使わせてもらったけどよ、叶野ちゃんも次回からは都合の良い時に予約入れて、好きに隣界探検してもらえりゃいいから」
「好きにって……ホントに探検するだけでもいいんですか?」
「向こうは未だに謎が多いからな。どんな些細なことでもデータになる。……隣界との仲が悪くなるような犯罪に走ってもらっちゃ困るが」
「今日は?わざわざ揃って呼んだってことは、何かさせるつもりなんじゃないの?」
「何かっつーか、研修の続きだな。エレーナの施設も冒険者の仕事も、最低限しか説明してねえだろ。武器も防具もまともなもん持たせてねえし。お前にゃ必要ないだろうが」
「じゃあ、あっちで拾たちと合流するの?」
「いや、折角だからお前が案内してやれよ。向こうはあの賑やかな子相手するだけで精一杯だろ」
賑やかな子とは、言わずもがなカナのことを指していた。恐らく隣界でも案内人を質問攻めにすることだろうと、基樹は笑った。
「おれだって、五年前のことしか知らないよ」
「主要な通りと施設の場所は変わってねえよ。あとはアンナとかサブリナとか、あの辺の早耳に聞きゃ分かるだろ」
「大雑把……。そういえば、エレーナの西に魔王の遺産が出たって聞いたけど」
「ああ、こっちでも把握してるよ。してるだけで、ろくに対策は打てちゃいないけどな」
「命界の冒険者は行ってないんですか?」
「行ってるよ。戦績は、返り討ちに遭って送還された奴が十何人かと、そもそも攻略が頭にない、上層で小銭稼ぐのが目的の職業冒険者が大半と、……パーティを組んだ隣界人が死んだショックで、冒険者自体を辞めた奴が一人」
「そんな……」
「道理で、最近戻って来いってうるさくなったと思った」
「あの頃の冒険者は皆研究者になって、現地に行く暇がなくなったからなあ。戦力が足りてねんだよ」
「冒険者研修にも、そういう意味もある?」
「全く無いつったら、嘘になるな」
「……大体分かった。とりあえず今日は、タマキを案内すればいいんだね」
話しているうちに飲みやすい温度になったコーヒーを飲み干し、アスキは立ち上がった。
「また、よろしくお願いします」
タマキも続けて立ち上がり、頭を下げた。
「ついでに遺産も潰して来い」
「無茶言わないで」
そんな軽口と共に、アスキは壁に取り付けられたゲートをくぐろうとし、
「あ、そうだ」
はたと思い出して立ち止まった。
「どうした?」
「モトキ、タマキのお兄さんのこと、何か知らない?冒険者らしいんだけど」
「叶野ちゃんの?叶野、カノウ……ああ、もしかして叶野ちゃん、叶野優希の妹か」
「兄をご存知なんですか!?」
「知ってるってほどじゃねえよ、長期の職業冒険者の管理はフロアが違うからな。長期の中でも滅多に帰ってこないわ、あっちでも何してんだかわからんわで、担当の奴が食堂で首傾げてたのを聞いたことがあるだけだ」
それを聞いて、二人は顔を見合わせた。
「今どこにいるとか、わかる?」
「調べりゃ、どの街にいるかくらいは分かると思うぜ。担当のフロアに聞いてみるか?」
「はい!お願いします!」
食い気味に頷くタマキの気迫に若干圧されながら、基樹は事務机の上の内線電話の受話器を取った。
「ああ、滝沢。お前、例の叶野優希見てたよな。今どの辺にいるか分かるか?……分かった。サンキュー」
短い電話の後、
「なんて?」
アスキが訊ねると、基樹は渋い顔で腕を組んだ。
「……オブシドだとよ」
「オブシド?なんでそんなとこに」
「知るか。基本的に現地での行動は本人たちに任せっきりだからな……。道理で半年も帰って来ないはずだ」
「あの、オブシドって?」
「西の果てにあるブレドって国の首都だよ……。ブレド自体大きな国じゃないし、キュレスカから遠いから開拓も進んでない」
「兄はそこにいるんですか?」
「今のところはな。あの辺りは魔物も強いし、他の冒険者と狩場を被らせずに一攫千金するには確かに悪くないかもなあ……」
「すぐに探しに行きましょう、あっくん!」
「探すのはいいけど……遠いよ?」
「ならなおの事、早く行きましょう!」
「いや、でも」
「基樹さん、ありがとうございました!行ってきます!」
タマキは渋るアスキの背中をぐいぐいと押し、二人はゲートの向こうに消えた。残された基樹は、
「『あっくん』、ねえ」
冷めたコーヒーを飲んで、新しいおもちゃを見つけた顔でニヤッと笑った。




