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それから五日後、命界。
噴水が勢い良く湧き出る由芽崎中央公園に、黒に近いグレーのポロシャツにカーゴパンツ姿のアスキの姿があった。袖から伸びる腕はつつけば折れるのではないかというほど細く、高校生が着けるにはかなり上等な右腕の腕時計は、ベルトのサイズが合わずぶかぶかだった。
アスキは木陰になったベンチに座り、こめかみを伝う汗に張り付く髪を耳に掛け、ぼんやりと小さな子供が水遊びをする噴水を眺めていた。
「アスキくん!」
手を振りながらタマキが駆け寄ってきた。
「おはようございます!」
襟の開いた黄色のTシャツに白いフードつきの上着を羽織り、デニムのショートパンツから健康的な白い足が伸びる。髪は相変わらず地味な色のバレッタでアップにしていた。
「おはよう」
「すみません、待ちましたか?」
「別に。時間前だし」
公園の時計の針は、九時四十分を指していた。端から見れば高校生のデートの待ち合わせかというようなやり取りだが、
「おはよう、案外早いのね、白河君。待ち合わせは遅れるタイプかと思ってた」
それを打ち消すように、続けてアユミが現れた。今日は髪を編み込み、丸く後頭部でお団子にしている。落ち着いた紺のサマーカーディガンにキャミソール、マキシスカートにグラディエーターサンダルという格好は、二人よりもやや大人びて見えた。
「家が近所だから」
「そうなの?羨ましい」
「おはようございます、園田さん」
「おはよう、叶野さん」
笑顔で挨拶したタマキに、アユミもにこっと涼やかに微笑み返す。
「それで?あの男は期待を裏切らないのね?」
見当たらない残りの一人を一応探し、
「拾が時間より早く来たら、明日雪が降るよ……」
「でしょうね」
「そのためにちょっと早い時間に待ち合わせたんだし」
「苦労してるのね、貴方も」
はあ、と呆れた顔でアユミはため息をついた。アスキはベンチの場所をずれてやり、二人は礼を言って隣に腰掛けた。
待ち合わせの九時四十五分になり、更に五分遅れて、ようやく拾が現れた。
「オィーッス……」
Vネックのシャツの上から襟付きの上着を羽織り、ハーフパンツのポケットに手を突っ込んだまま、ビーチサンダルでぺたぺたと歩いてくる。朝日の眩しさに目をしばしばさせながら、三人に合流した。
「おはようございます、拾くん」
「おはよう。何か言うことは?」
冷ややかな視線で睨むアユミに、拾は両膝に手を置いて、ははー、と大袈裟に頭を下げた。
「遅れて申し訳ございません」
「それにしても、眠そうねえ」
「そりゃそうだろ、こんな早くに呼び出されてよお。むしろなんでお前らそんなに元気なんだ」
「早くもないでしょう、もう十時よ?」
「俺の夏の活動時間は十二時からだっつの」
ふぁーあ、と大きな欠伸をして、拾は恨めしそうに、自称早起きの原因になった塔を見上げた。
自動ドアが静かに開くと、冷房の冷えた風が四人を包んだ。公園から塔に着くまでに掻いた汗が急速に引いていく。
遠くから見ると、灰色の巨大な煙突か電柱が聳えているように見える塔――正式名称を対隣界システム管理塔、通称『夢咲タワー』という――の一階フロアでは、旗を持ったガイドと案内パンフレットを持った団体がぞろぞろと動いていた。
「この夢咲タワーでは、隣界との交信や冒険者の管理、そして何より、未だに謎の多い隣界そのものについての研究が、日夜行われております」
「地元に住んでると小学校の社会科見学くらいでしか来ないけど、一応観光地なんだよなあ」
ガイド女性のよく通る声を聞きながら、拾が言った。
「一応どころか、街全体が観光地よ。産業の半分は観光サービス業なんだから」
「うえ、教科書みたいな話すんじゃねーよ」
拾はあからさまに嫌そうな顔をして、
「貴方の勉強嫌い、嫌いを通り越してもうアレルギーみたいよね」
「いいこと言うじゃん。そうそう、与えないでくださいって感じ」
軽口を叩いている間にも、ガイドの説明は続く。
「隣界への扉が開いた五十年前には小さな町だった由芽崎は、今や情報技術の最先端、『実験都市ユメサキ』として、世界に名を馳せるまでになりました。この夢咲タワーは、扉が開いたその場所に建てられ、名実共に由芽崎市の象徴となっています」
「私、市外から来たので街を初めて見たときはわくわくしました!」
タマキは無邪気にはしゃぐ。市民には見慣れた光景でも、外から来れば珍しいとはよく聞く話だ。
「そうなの?そう言えば実家は田舎って言ってたね」
「由芽崎も大概田舎だけどな」
「さて、情報技術の最先端とは申しましても、皆様既にお気づきのように、この街は『遺跡』の上に建っている、古代文明のロマンが薫る街でもございます。最近の研究では、隣界への扉が由芽崎に開いたことと遺跡が関係しているのではないかという調査結果も出ております。実際、開拓のために遺跡の一部を壊そうという計画もありましたが、工事に着手したところ隣界との交信システムに異常が出たため取りやめになったという話もございまして、先進的な技術を持ちながらも街の周辺が未だに開拓されていないこと、交通手段が発展していないことには、そういった経緯がございます」
都心から由芽崎市まで来るには、まず電車で隣の市まで来てから、直通のバスや車を借りるなどして、田畑と遺跡以外何もない道を二時間ほど移動しなければならない。
旧文明の遺跡群を城壁のように纏い、街中でも至るところにぼこぼこと遺跡が露出している市街地は酷く入り組んでいる。そのため街の中では小回りの利かない車はあまり使われず、バスも大通りを往復する便のみ。市民の移動手段は専らバイクか自転車だ。
それらはガイドが話したような理由で制定された保護条例に基づき、掘ればどこからでも出てくる石組みの遺跡をなるべく壊さないように新しいものを建てていった結果だった。アユミが話した通り、主な産業は観光と、周囲に広がる広大な土地を使った農業で、市民は町だった頃から変わらない生活にほんのちょっとの便利を取り入れ、のんびりと暮らしていた。
「歩いて汗掻いたしさあ、何か飲みたいんだけど」
一階の端に設けられた喫茶スペースを指差し、拾が言った。一階は他にも土産物売り場や観光案内所も併設されており、これぞ地方の観光地という風体をしている。地上百メートルには展望室も設けられており、まず街を見渡してから市街地や遺跡の散策をするのが定番の観光ルートだった。
「誰かが遅れてきたせいで、そんな時間はなさそうよ」
アユミがぴしゃりと言い放つと、
「俺のせいかよー。俺のせいかー」
拾は肩を落とした。ふふ、とタマキが笑った。急に元気を無くした拾が、大袈裟にため息を吐く。
「こんなことなら、兎だけにしときゃよかった」
「何言ってるの、研究所に直々に呼び出されるなんて、誇らしいことよ?」
「だってさあ」
愚痴を零す拾を、アユミが嗜める。
命界帰還後のこと。送られた速報データを見た研究員から、四人には見習い冒険者用のカリキュラムとは別に、実際に冒険者として動いてもらい、隣界調査の協力を要請するという旨の通達があった。
まずタマキが嬉しそうに二つ返事で承諾し、アユミも体調とその他の予定次第ではと承諾した。アスキと拾はあからさまに嫌そうな顔をしたが、研究者に
「学校の方にも便宜を図るよ。時間を取るわけだから、その分の夏の課題の免除とか」
と餌をちらつかされ、渋々了承した。アユミが呆れた。
そして、六日後の十時に夢咲タワーに来るようにと言われ、今日に至る。そろそろ時間ですね、とタマキが観光案内所の壁の電子時計を見ていると、
「あ!白河だー!」
甲高い声がフロアに響いた。一同が振り向くと、ぱたぱたと頬に絆創膏を貼ったお下げの少女が、入り口から一直線に走ってくる。
好奇心を具現化したような、くるくるとよく動くぱっちりとした瞳と、歯を見せて屈託なく笑う表情が愛らしい。大きくロゴの入った大きめのTシャツをワンピースのように着て、オレンジ色のキュロットにスニーカーという格好は、実年齢より幼く見えた。
「カナ、声が大きい」
観光客たちが何事かと振り向き、少女の後ろからよく似た顔の少年が嗜めながら小走りで追ってきた。顔のパーツが似ていても、その瞳には好奇心よりも知性が窺える。こちらは対照的に大人しそうな、薄い水色のクレリックシャツに細身のジーンズという地味な格好。
「星村兄妹じゃない」
最終日、カマキリを一体仕留めて三位に食い込んだ双子の兄妹を見て、アユミが言った。
「よく人の名前覚えてんなあ」
拾が素直に感心する。アユミはさも当然といった様子で拾を見上げた。
「三日も一緒に研修を受けたのよ、覚えて当然でしょう」
「お前、絶対学級委員長とかやってるだろ」
「よく分かったわね、小学校からずっとやってるわ」
「うわー」
自分から責任と面倒事を被りに行くその性格が信じられないといった様子で、正反対の怠惰な男は珍獣でも見るような目で眼鏡の少女を見た。そんな会話を気にも留めず、お下げの少女はアスキに話し掛ける。
「白河たちも呼ばれたの?そうだよね、一位と二位だもんね!あたしたちより上だったんだから、呼ばれないわけないよね!」
きゃらきゃらとけたたましく喋り始めた少女に、少年が渋い顔をする。
「うるさくてごめん」
「アスキ、何か懐かれてんな」
一方的に白河、白河と名前を呼ぶカナに、拾が首を傾げた。
「実技訓練で当たって」
「なるほどな」
一対一のペアで手合わせを行った際、くじ引きで決まった相手がカナだった。
「白河、ちょー強いんだよ!なんで実技で三位以内に入ってなかったの?」
アスキは真っ直ぐに突っ込んでくる好戦的な少女を受け流していただけに過ぎないが、カナには『自分の攻撃を一発も食らわない強い奴』と認識されてしまった。野生の勘というものかもしれない。
「他の人がもっと強かっただけでしょ」
まさか試験では手を抜いていたとは言えるわけもなく、アスキは適当に答える。タマキがひっそりと苦笑いした。
「そっか、浮島は一位だったもんね!」
疑うことを知らない少女は、すぐに拾の方を向いた。
「ねえ、浮島も今度手合わせしてよ!白河より強いんでしょ?」
「なんだこのバーサーカーガールは」
拾を見上げてきらきらと目を輝かせる少女の視線には答えず、代わりに頭の痛そうな顔をする兄に訊ねた。
「ちょっとバカなんだ。気にしないで」
顔は似ていても性格は正反対らしい兄は、その目に苦労を滲ませながら答えた。
「こら北斗!あたしはバカじゃないぞー!」
俄かに騒がしくなった一団に、声を掛ける者がいた。
「おお、集まってるな!」
その声に振り返り、最初に声を上げたのは拾だった。
「げっ!」
「げっ!じゃねえよ。父親をもっと敬えよ」
そう憤慨しながら腕を組んだのは、ひょろりと背が高く健康的に日焼けした、四十代後半ほどと思しき男性だった。
「父親?」
「浮島のお父さん、研究員なの!?いいなー、隣界行き放題じゃん!」
瞬間的な悟りの良さを発揮するカナが心底羨ましそうに言った。
「はじめまして、浮島拾の父で、隣界研究所冒険者管理室室長の浮島基樹です。きみが、最終日に拾と組んでくれたっていう園田さんかな?」
アユミが男性の言葉を聞いて拾の顔を見、
「ええ、はじめまして。園田アユミです」
「うちのバカが随分迷惑掛けただろう、悪かったなあ」
「いえ、そんなことは……。ねえ、聞いてないわよ」
毒気を抜かれて恐縮してから、息子の顔を睨みつけた。拾は飄々と返す。
「言ってないからな。そもそも、なんでわざわざ室長サマが直々に迎えに来るわけ?忙しいんだろ、とっとと戻れよ」
「そりゃあ、不肖の息子が世話になったんだ、挨拶くらいしねえと失礼だろうが」
「なんかマトモなこと言ってて気持ち悪いんですけど」
そのやり取りを聞き、親子仲は悪くないらしい、と一同は悟る。元々拾は他人と打ち解けることに天性の才能を発揮するが、父親譲りらしいということも。
「白河君も、監視ご苦労だったな!」
「本当に。今日は別がいいな」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、迷惑そうに眉を顰めて腕を退けようとするが、アスキの細い腕では日に焼けた太い腕をどかす事が出来ず、結局されるがままだった。
「安心していい、今日からは別行動だ」
「は!?聞いてないし!」
「そりゃ、初めて言うからな」
やはり親子と言うべきか、拾と基樹は顔立ちや背格好以外もよく似ていた。
「ま、詳しいことは奥で話そうか。付いてきてくれ」
友人と別行動と聞いて逃げようとした息子の腕を掴んで引きずりながら、基樹は関係者以外立入禁止のプレートの掛かるドアに歩き出した。呆気に取られながらも、一同は後に続いた。




