10
ライトは、詰め所で仮眠を取っていた。久しぶりののんびりとした時間にうつつを抜かしていると、門兵が、生徒さんが帰ってきましたよと告げた。
「え?もうそんな時間かい?」
時計を見ると、まだ指定した時間よりも一時間も早い。諦めて早めに帰ってきたのだろうかと、小窓から外の広場を覗くと、
「う、うーん」
旧友が、今にも首を狙ってきそうな獰猛な目つきでこちらを睨んでいた。
「やっぱり、課題の内容ちょっとやりすぎたかなあ……」
「すごい目つきですね、彼。一流のハンターみたいだ」
「その通りだよ……」
「へ?」
首を傾げる門兵に場所を借りた礼を言い、上着を羽織り、寝ていたために崩れている髪を結い直すと、恐る恐る詰め所を出た。
「随分、早かったね……?」
にこにこと笑顔を作りながら、アスキとタマキのペアに歩み寄る。
「疲れたよ」
「ただいま帰りました!」
タマキは何やら晴れ晴れとした顔をしている。この様子では、アスキが上手いこと使ってあげたのだろうと微笑ましくなるが、
「はい、お土産」
「ん?何?……うわあっ!?」
アスキがポケットを漁って取り出した大きな箱を受け取り、中を覗いて、ライトは広場中に響き渡る悲鳴を上げた。虫かごを放り出して尻餅をついたライトに、門兵たちが慌てて駆け寄ってくる。
「どうされましたか!?」
「蜘蛛じゃないか!しかもこれ、オオワシグモだろう!!」
「好きだったでしょ、蜘蛛」
放り出されたかごを空中でキャッチして、アスキはにやっと口の端を上げた。気絶していた蜘蛛は既に目を覚まし、脚を縛られているため身動きが取れずに虫かごの中で蠢いている。
「ばっか、早く仕舞え!寒気がする!」
口調も乱れたライトは肩を小さくして怯えるが、それでも門兵たちがいる手前これ以上無様な姿を見せるわけにはいかないと、取り繕って立ち上がった。
走ってきた門兵になんでもない、と爽やかな笑顔を返してから、深いため息を吐く。
「本当に苦手なんですね、蜘蛛……」
ははあ、と真顔で感心しているタマキと、
「皆戻ってきてからやらなかっただけ、優しいと思わない?」
いつもの無表情で飄々とそんなことをのたまうアスキに、ライトはがっくりと肩を落した。
「いいから、仕舞って。そんな悪戯するほどだったんなら、成果は上々だったんだろ?」
「上々も上々、タマキの運と勘が良すぎてびっくりした」
「いえ、アスキ君が教えるのが上手かったんですよ!」
照れて顔を赤くし、ぶんぶんと手を振るタマキは可愛らしいが、そのポケットから取り出された一回り小さな虫かごを見て、ライトは再び表情を取り繕うのを忘れた。
中に入れられた木の枝に止まりひらひらと羽を休める、美しい紅色の蝶。生きた宝石とも言われる、ショウジョウアゲハの生体。少し羽が欠けてはいるが、
「……生け捕り?」
生きた姿で見る機会など滅多にない昆虫に、目を丸くした。
「蜘蛛の巣にたまたま引っかかってて。本当、運が良かった」
その後に起きた騒動をライトは知る由もないが、
「さすがにアゲハまで持ってくるとは、思ってなかったからなあ。これはタダじゃ受け取れないな。点数だけ付けて返すよ」
呆れと驚きが混ざった顔で感心した後、
「……あの、これ後で、個人的に譲ってくれない?」
「今の相場調べてからね」
アスキの耳に顔を寄せて、悪い大人はぼそぼそと言った。男同士の怪しい取引に、タマキは首を傾げる。
「? 服屋さんにあげるんですか?」
「いいねえ。髪飾りにしたら、彼女の髪によく似合いそうだ」
純粋無垢な澄んだ目で首を傾げるタマキに、頬を緩めて大人の返事を返すライトだった。そしてアスキにジト目で睨まれた。
「それと、マツバカマキリの鎌と、兎の毛皮」
どさどさと、ぞんざいに地面に置かれるその他の依頼品。
「お前なら全部採ってくるかもとは思ってたけど、本当に採ってくるとはねえ。さすが『狩人』」
「半分は、ちゃんとタマキの功績だよ。カマキリなんて、一撃で仕留めたんだから」
「本当に?それはすごい。どうやって?」
「えへへ、弓を教えてもらいました!」
「なるほど。門兵が、午前中は街の周りをうろついてたって言ってたから、何をしてたのかと思ったら。弓は得意だったんだね」
「弓道部なんだって。……って言っても、わかんないか。あっちで弓術のクラブに入ってるんだよ」
「そうだったのか。他のメンバーにも、そういうタイプがいるかもしれないな。今後のカリキュラムに弓を入れてもいいな……」
ふんふんと、気を取り直して教師面でメモを取るライトに、アスキが訊ねた。
「時間まで、街の方に行ってていい?六時には戻ってくるから」
「うん、いいよ。兎の肉でも売りに行くんだろ?」
「そういうこと。じゃあ、また後で」
ひらひらと手を振って、ライトは二人を見送った。そして、
「ふふ、アゲハが手に入ったら、今度こそ……」
一人で、傍目には優しく生徒を見守る近衛隊長の顔で、呟いた。
「大成功ですね!本当に、ありがとうございました!」
「タマキが頑張ったからだよ」
「でも、あっくんが居なかったら、私絶対不合格でした!」
夕方の買い出しで活気付く大通りを歩きながら、タマキはうきうきとした表情で今にも踊りだしそうだった。
「まず道具屋のおっちゃんの所に行くよ。他に見たい店があるなら、別行動してもいい」
「いえ、一緒に行きます。おじさんの弓のおかげで上手くいったんですから」
「そう。じゃあ行こうか」
そう言って、二人は連れ立って道具屋へ向かった。
「おっちゃん」
道具屋の店主は、表に出て閉店準備をしているところだった。アスキが声を掛けると、振り返って喉の奥でおお、と低く唸る。
「もう戻ってきたのか。てっきり二、三日帰ってこないのかと思ってたが」
「ちゃんとお土産持ってきたよ」
「そうか。じゃあ、中に入ろうかい」
カランカランと澄んだ音を響かせ、三人は中に入った。
「それで?何を持ってきてくれたんだ、『狩人』さんよ」
髭面の店主は、悪そうな笑みを浮かべてアスキに訊ねた。
「オオワシグモと、マツバの装甲。鎌は別口の依頼だったから無いけど」
カウンターに載せられた虫かごをみて、店主は目を丸くした後、笑い出した。
「オオワシグモを無傷で生け捕りしてきたか!はっは、五年経っても伝説は衰えないな、背は縮んだけどな!」
「言わないでよ……」
店主はがっはっはと豪快に笑い、アスキも言葉の割に楽しそうにしている。タマキは首を傾げて訊ねた。
「あの、アスキくんって、エレーナで有名なんですか?それに、伝説って?」
「んん?お嬢ちゃん、こいつが何だか分かってなくて弟子入りしたのか?」
意外そうに、店主がタマキの顔を覗き込む。タマキは素直に頷いた。
「はい……」
「まあ、自分から言うような男じゃないな。かと言って、俺が言うのも無粋ってもんだろ。色仕掛けでもして聞き出しな、お嬢ちゃん」
「い、色仕掛けって!」
「それはちょっと、嫌かな……」
アゲハの音波に当てられたタマキの姿を一瞬思い出し、アスキは顔を覆った。思いの他真剣な反応のアスキに、タマキは首を傾げた。
「全部貰っていいのかい、普通に売ってくれてもいいんだぜ」
「まけてもらったお礼だからどうでもいいよ」
「おじさんの弓のおかげで、私すっごく助かりました!ありがとうございました!」
「おう、俺の弓は良いだろう。昔は武器職人だったんだぜ」
深々と改めて頭を下げたタマキを見て、照れくさそうに、しかし誇らしげに店主は胸を張った。
「そうなんですか!?」
「何それ、初めて聞いた」
「魔法がでしゃばるようになってから、道具屋に転向したけどな。対抗しようとする奴もいるが、俺はどうでもいいよ。あれはあれで面白いもんだからな。おかげで邪道だなんだって、組合じゃ除け者よ」
厳しい見た目の割に柔軟な考えを持っているらしい店主は、髭を揺らして笑った。
「おっちゃんの作るもの、便利なのにね。プライドじゃ魔物は倒せないよ」
「まったくだ。しかし五百ビットの対価にしちゃ、多すぎるな。マツバだけでも元は取れるぞ。何かいるもんはないか?」
「そうは言っても、おれはまた来る予定が立ってないからな……。タマキ、何か欲しいものは?」
「私も、特には……。まだ、よく分かっていないことばかりですし」
「そうか、じゃあそうだな……その髪飾りはどうだ?お嬢ちゃん、気にしてただろう」
午前中にタマキが手に取って見ていた棚の髪飾りを指差し、店主は言った。
「え!?はい、綺麗だなと思って見てましたけど……でも……」
「気紛れに作っては見たものの、こんな寂れた道具屋にゃむさ苦しい男どもしか来ないもんで、買い手がなくてな。お嬢ちゃん、似たようなの着けてるだろう。代わりにどうだ」
「貰っときなよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「一応、装備者の魔法耐性が上がる効果付きだ。役に立つと思うぜ」
「すごいじゃん。着けていけば?」
「はい!鏡、お借りしてもいいですか?」
「好きに使いな」
満面の笑顔で、早速売り物の鏡を見ながら髪を結い直すタマキ。
「どうでしょうか」
後頭部を彩る花を模った飾りを、照れくさそうにしながら見せた。店主が満足そうに鼻を鳴らす。
「やっぱり、髪飾りは女の髪にあってこそだな」
「うん、いいんじゃない」
繊細な赤いガラスの花が、艶のある黒い髪によく映える。二人からお墨付きを貰い、タマキはえへへと頬を染めた。
「本当に、いろいろとありがとうございます」
「いいってことよ。またよろしく頼むぜ」
がははと笑う店主にもう一度礼を言って、二人は踵を返し、
「あ、そうだ」
ドアノブに触れたところで、アスキが思い出したように立ち止まった。
「ショウジョウアゲハの生体って、今いくら?」
「あ?なんだ、まさかお前アゲハまで捕まえてきたのか」
「もう買い手が付いてるから渡せないんだけどね」
「半日ほっつき歩いただけでそんだけの稼ぎになる奴は、隣界中探してもお前くらいだろうな」
「それで、いくら?」
「そうだな、状態にも寄るが、魔法組合に売るなら生きてるだけで五十万てところか。羽までしっかり残ってるなら、オークションで変態貴族どもに見せびらかしゃ二百は行くだろ」
「そんなに?前はその半額くらいじゃなかった?」
「お前が定期的に持ってきてたからな」
「ふーん、わかった。ありがと」
「おう、またな」
上機嫌で手を振る店主にタマキはぺこりと頭を下げ、二人は今度こそ店を出た。
静かになった店内で、
「……髪飾りを贈るは、求婚の証ってな……。いや、この場合俺が贈ったことになるのか?まあいいか」
髭を撫でながら、店主は一人呟いた。
「皆さん優しいですね。あっくんが顔が広いおかげですね」
髪飾りを見せびらかすように背筋を伸ばしたタマキが、上機嫌で言った。
「タマキの雰囲気のせいじゃない?何か、放っておいたらすぐその辺で転びそうだから」
「うう、またそういうこと言うんですね」
「森のことがあるからね」
「何も言い返せません……」
軽口を叩きながら、二人はレストランを目指す。
「いやあ、久しぶりにチキンが入ったと思ったら、今度は兎とはねえ」
快活に笑う赤毛の女店主は、アスキの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「最近、兎も鶏もそんなに入らないの?」
「ああ、全然だね。ローズも色つけてくれたろ?」
撫でられるままにされながらアスキが訊ねると、サブリナはため息を吐いた。
「ローズさん?服屋さんですか?」
午前中に会った艶かしいピンクの髪の女性を思い出して、何故ここでその名前が出るのかと首を傾げた。アスキが答える。
「妹なんだよ、サブリナの」
「そうなんですか!」
大柄で豪胆そうな雰囲気に、動きやすさを重視したパンツルック、加えて化粧っ気がないせいで男っぽい部分ばかりが目立つが、言われてみれば、柔らかい垂れ目と緑の目はローズとよく似ていた。
「似てないだろ、アタシはこんなんだしね」
「いえ、あの」
「歳も離れてるからねえ、仕方ないさ。気を使わなくて良いよ」
特に気にする様子もなく、サブリナはぽんぽんと強めにタマキの肩を叩いた。
「? 歳が離れてるって、ローズさん、おいくつなんですか?」
タマキは素朴な疑問を口にした。サブリナは二十代前半ほどにしかみえないし、大人の色気を醸し出すローズは、正直言って年齢不詳だ。
「今、十九じゃなかったかな。サブリナと、十くらい離れてたよね」
「そうだね、よく覚えてるじゃないか」
指折り数えてアスキが答えると、サブリナも頷いた。
「それじゃ、五年前は十四歳じゃないですか!?ライト先生、そんなに若い頃からローズさんにアタックしてるんですか!?」
思わず口に手を当て、うわあと言ってしまうタマキだった。サブリナが二十九歳ということにも驚いたが、あのローズがまだ十代だというのが更にショックだったらしい。アスキが腕を組んでやれやれと首を振る。
「だから言ったでしょ、ロリコン男爵って」
「はあ……確かに、ちょっと犯罪の匂いがします……」
成人すれば六歳差など微々たる誤差だが、二十歳が十四歳に言い寄っていたとなると、ちょっとした事案だった。
「ローズは昔からあんな感じだからねえ。姉としても変な男に粘着されるよりは、多少浮いた話が通ってても身元のしっかりしたライトが攫ってくれた方が、まだ安心できるんだけど」
「まあ、ライトに頑張ってもらうしかないんじゃない」
「そうだけどねえ」
うーん、と唸り、妹の将来を案ずるサブリナは、姉というより母親のような風格だった。
「話戻すけど、なんでそんなに仕入れがないの?近所で採れるのに」
「それがさあ、西で見つかった魔王の遺産に目が眩んで、バカは皆そっち行っちゃって。アンタ、行って遺産ごと張り倒してきてよ」
「無茶言わないでよ、それって、どれくらい前?」
「二年は経つかな。二年経っても誰も落とせないんだから、諦めりゃいいのにさ。命界人と違って、こっちは死んだらそれまでだってのに、よくやるよ」
「ふーん……」
「ま、押し付けるつもりも担ぐつもりもないさ、いつも通り『気が向いたら』やってくれれば助かるって話だ。さて、兎肉一つで三百でいいかい?」
「うん」
「はい、十羽で三千ずつだね。また頼むよ」
そう言って二人はそれぞれに紙幣を渡され、タマキがもう一度お礼を言って、逆にサブリナに恐縮されながらレストランを出た。
店の前で、タマキが訊ねる。
「魔王の遺産って、なんですか?朝、道具屋のおじさんも言ってましたよね」
「……魔王が暇つぶしに作った迷宮だよ。魔物がウヨウヨしてるけど、その分お金になるものも多い。誰か一人でも最深部までたどり着いて、ボスを倒せば消える。あっちこっちに仕掛けてあるらしくて、一旦出現すると、その周りも魔物だらけになるから危険なんだ」
「暇つぶしって……」
「他に理由なんてないよ、『あれ』には」
まるでよく知っているかのような口ぶりにタマキは首を傾げるが、それ以上何も答えず、アスキは赤レンガの建物に向かって歩き出した。
「そういえば、任務完了届を出してませんでしたね」
「おれも、さっきサブリナの顔見て思い出した」
再び足を踏み入れた冒険者協会は、午前中より更に活気があった。朝も居た眼鏡のエルフ女性の受付に、サブリナの判が捺された書類を提出する。
「はい、今朝のフライングチキンの依頼ですね。確かに完了したことを受け付けました。……久しぶりですね、貴方がこれを持ってくるのも」
「……まあ、五年ぶりだからね」
「日課みたいに、初心者から仕事を奪って小銭を稼いでいたくせに」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
エルフ女性はしんみりと言い、アスキが頭を掻いた。
「本当に、久しぶり。何をしていたんです、この五年間。突然来なくなって、ずっと待っていましたよ、私は」
「そうは言われても。こっちにも事情がいろいろあって」
「そうでしょうね。命界人は、所詮命界人ですものね。狩人と呼ばれても、英雄と呼ばれても、貴方はずっとそうでした」
無表情の女性は、書類に書かれたアスキの手書きの文字を見て、目を伏せた。
「驚きましたよ、見た目が随分違ったから。でも、一年間殆ど毎日見ていた文字ですからね。今更見間違えません」
「アンナのそういうとこ、ちょっと怖い」
アンナと呼ばれた女性に、アスキは正直に言った。しかしアンナは意に介さず、ぱっと顔を上げる。
「貴方に紹介したい任務が山ほどあるんです。次はいつ来られるんです?」
「もう来ないかもしれないよ。今日も、人の付き添いだったから」
「そんな、いくら命界人が大勢協力してくれたって、貴方が居なくては!……いえ、言い過ぎですね。皆さん、よく働いてくださいます」
思わず声を荒げるアンナは、すぐに落ち着いた声に戻り、前のめりになった身体を引いた。
「そうだよ、おれなんかがいなくても、大丈夫だよ」
「……引き止めましたね、すみません。また来てくださることを、ここでお待ちしていますよ」
アンナの寂しげな表情に、アスキは何も言わずに踵を返した。
「あの人も、お知り合い、ですか?」
「知り合いというか、何と言うか。聞いてたでしょ。五年前は、毎朝協会で任務を受けて、夕方帰ってくるようなことをしてたんだ。常連って奴?」
「へえ……」
「なんか、成功率が高かったらしくて気に入られちゃって。仕事熱心なのはいいけど、ちょっと難しそうな依頼が来るとすぐ勧めてこようとするから、苦手」
アスキは眉を顰めて、げんなりとした顔をした。




