苦手な物
ベッドが軋む感触に気づき僕は目を閉じたまま『蜘蛛の巣』を展開する。寝る前に魔力を空っぽにしていたから回復している魔力が少なく範囲は広くないけれど、部屋の中は狭いから十分だ。
僕のベッドに潜り込もうとしているのがフェアチャイルドさんだという事が分かるとすぐに蜘蛛の巣の維持をやめて魔力を霧散させる。
自分の体温で暖かくなった布団の中に冷たい空気とフェアチャイルドさんの香りが入り込んできた。そして、すぐに暖かい物が僕の身体に絡みついて来る。
今日は寒いからちょっと有難い。でも頭を胸に埋めてくるのはくすぐったいからやめて欲しい。
僕は抱きしめるように彼女の背中に片腕を回し、そのままもう一度眠りについた。
再び起きると眠気がさっぱりなくなっている。部屋の中には光はなく真っ暗で時間が分からないけれど、眠気がないという事はしっかりと眠れたという事だ。
そうなるとたとえまだ朝日が昇っていなくても僕は起き出す。
フェアチャイルドさんからの拘束を解いて窓を開けてみると朝の陽ざしが部屋の中を照らした。
冷たい風も入ってくる。すると、フェアチャイルドさんの呻き声が聞こえてきたから慌てて窓を閉めた。
寝巻を脱いで寝る時に取ったさらしを膨らんで大きくなってきた胸に巻く。あまり苦しくならないように、それでいて硬くなるように幾重にもきつく巻いてその上に普段着を着る。
特訓をしようと部屋を出る前にフェアチャイルドさんの額に手を当て、生命力を少し分け与える。
いつもは半分分け与えているんだけれど、今日は子供達が馬車酔いした時にこっそりと生命力を分け与える為にも残しておかないと。
部屋を出ると料理をする音が聞こえて来た。
リビングに顔を出すと台所に村長夫婦が協力して料理を作っている。一応宿屋として機能しているから客の分もあるはずだ。
村長達に挨拶をしてから家を出る。
外は冬らしく冷たい風が肌を撫でていく。僕にとっては過ごしやすい寒さだ。
家の横で柔軟体操をしているとフェアチャイルドさんがやってきた。彼女が近づいてくると周りの空気が温かくなった。精霊魔法で気温を上げているんだ。
挨拶を済ませると彼女も柔軟体操を始める。
さらに遅れてカイル君もやってきた。カイル君は僕と顔を合わせると気まずそうに顔を背けた。
「……カイルさんと何かあったんですか?」
「ちょっと喧嘩しちゃって。仲直りは出来たんだけど、まだ引きずってるみたいだね」
「喧嘩、ですか。珍しいですね」
「最後だからね」
それだけ答えて僕は柔軟をやめた。
「じゃあちょっと走ってくるよ」
フェアチャイルドさんからの追及を避けるために僕は走り出す。
出来ればカイル君とは友達のままでいたいけど、どうなるだろう。
フルエ村からの新入生は女の子二人だ。勝気そうな女の子と大人しそうな女の子。二人は仲がいいらしく手を繋いで挨拶と自己紹介をしてきた。
勝気そうな子がマリエール=メロッタちゃん。大人しそうな子がアイラ=トゥインビーちゃんだ。
トゥインビーちゃんは初めて乗る馬車に恐れを見せていたけれど、メロッタちゃんに手を引かれ幌の中へ入っていく。
後は護衛である僕達も中に入れば出発だ。
二人の女の子は最初は楽しそうにお喋りをしていたけれど、一時間もしないうちにトゥインビーちゃんの様子が変わった。
メロッタちゃんが心配そうにトゥインビーちゃんに声をかけている。
「どうしたの? 気持ち悪くなった?」
僕の言葉にトゥインビーちゃんが頷いた。額に手を当てて熱を測るそぶりを見せてこっそりと生命力を分けてみる。
「馬車に酔っちゃったのかな。先生! 馬車をちょっと止めてください!」
具合の悪い子が出たら馬車を一度止めるようにと進言するように前もって先生から言われている。
馬車が止まると僕に進められてトゥインビーちゃんはメロッタちゃんに連れられて馬車の外へ出た。
当然僕達も外に出て周囲を警戒する。
思い出すなぁ。僕が初めてアールスと馬車に乗った時の事を。六年前、僕とアールスがグランエルへ向かう途中同じ事があったっけ。
トゥインビーちゃんは吐く事はなかった。メロッタちゃんはずっとトゥインビーちゃんの手を握って励ましている。
その光景に僕はどうしても僕とアールスを重ねてしまう。あの子は今どうしているだろう。
あの時アールスが泣いていた事を、なんでかな? 僕は忘れていない。
アールスがいるであろう方向を見て遠いあの日に思いをはせていると、拡散させていた魔力が大きな魔力を感知した。
感じるのは街道沿いではなく進行方向の左手側、遠くの草原だ。
魔力の糸を感知した方向に扇状に設置すると詳細が分かる。犬のような形状をした動物が十五匹。こちらに向かってきている。まとまって動いているから魔力が大きく感じられたんだ。
遠い為本当に僕達が狙いかは分からないけど用心はした方がいいか。
まずはリーダーであるカイル君に報告。するとカイル君の表情が硬くなった。
カイル君が先生に報告し僕はフェアチャイルドさんとラット君にも伝えておく。
女の子二人には不安を煽らせない為にまだ伝えない方がいいだろう。
カイル君が戻ってくると、すぐに出発する事になったと伝えてきた。
僕はそれに頷き女の子二人をそろそろ馬車に戻るように促した。メロッタちゃんは戻る事にまだ抵抗があったようだが、トゥインビーちゃんがもう大丈夫だと言ったのですぐに馬車に戻ってくれた。
ゆっくりと馬車が動き出す。
僕は『拡散』で周囲を警戒する。動物の団体は街道の方に依然向かっているけれど、進路を変える様子はないので僕達を狙っているわけではなさそうだ。
先生がすれ違う旅人や馬車の御者にそれとなく注意を促している。
引き返す人もいれば構わず進む人もいる。腕に自信があるのかそれとも信じていないのか。どちらにせよ僕達に出来る事はないだろう。
少しして動物達の気配が僕の索敵範囲から出た。
硬い表情のままのカイル君に教えるとため息を大きくついた後笑みを浮かべ何も起こらなくてよかったなと言った。
この三年間都市外授業で問題らしい問題はなかったと聞いている。カイル君も怖かったのかもしれない。何かが起こるのが。
フェアチャイルドさんとラットさんにももう動物達が索敵範囲から出た事を伝える。
ラット君は安心したのかあからさまにため息をついた。お陰で女の子二人から注目を浴びてしまい、誤魔化す為か慌ててトゥインビーちゃんの具合を聞いている。
フェアチャイルドさんは浮かない顔をして、僕の耳元で小さく聞いてきた。
「どうしてこの時期に動物が街道へ移動したんでしょう」
「分からない……僕が思いつくのは食料が無くなって仕方なく移動したか、何かに縄張りを追い出されたかだと思うけど……」
この国の軍隊は定期的に動物が街道に近寄って来ない様に、冒険者の手も借りて動物相手に示威目的の軍隊演習を行う。
各村から都市へ子供達が移動するこの時期は念入りに行われているはずだ。
だから僕達のような護衛も本来はお飾りみたいな物なんだ。
こういう予想外な事が起こると何か悪い事の前触れではないかとたまらなく不安になる。
でもそんな不安な気持ちをこの子達の前で出したくはない。
「今の所変な気配は感じないから大丈夫だよ」
「そう、ですよね」
「ラット君。二人の様子はどう?」
無理やり話題を変える為に女の子達の相手をしているラット君に話しかけてみる。
「大分楽になったみたいだよ。休んだのが良かったのかな」
「そっか。それはよかった」
確認が終わるとラット君は女の子二人との会話に戻った。任せておいて大丈夫だろう。
ふと、後方の景色を見てみる。狼に似た動物達が遠くに見える。遠すぎてよく見えないけれど人が襲われている様子はなさそうだ。
ゆっくりと流れていく景色。この旅が終わったらカイル君とラット君とは会えなくなる。
六年。六年一緒にいたんだ。色んな思い出がある。
せめてもう少し、後一日、いや……一ヶ月、いやいや一年。願えば願うほど長くなってしまう。それくらい別れが惜しい。
昨日の馬車の中で全部話せてたと思ってた。けどそんな事はないと昨夜気づいた。
もっと話したい事、やりたい事があったんじゃないか。そう思ってしまう。
将来思い返した時これも後悔のうちに入るんだろうか。
一応護衛の途中だから大っぴらな私語は出来ない。話したくても話せない。
カイル君の入る予定の兵士養成所や高等学校は九月から始まるのでしばらくはグランエルに留まるはずだ。
ラット君はどうやら年明けから商店で鑑定士見習いとして働くらしい。
僕とフェアチャイルドさんはすぐに冒険者として活動するようになるだろう。
もうこうして一緒に何かをするって事はなくなる。これから先どれくらい会う機会があるだろう。
別れはやっぱり苦手だ。
魔力の糸を感知した方向に放射線状に設置すると詳細が分かる。
から
魔力の糸を感知した方向に扇状に設置すると詳細が分かる。
に修正しました




