父からの手紙
休日、部屋で宿題をしていたら扉からノックの音が聞こえてきた。
何気なく窓の外を見てみると外はもう茜色の空が薄暗くなっている。買い物に出かけたフェアチャイルドさんはまだ帰ってきていないようだ。
扉を開けると上級生の子が立っていた。
「ナギさん。手紙来てるよ」
お礼を言い手紙を受け取るとその子はすぐに扉から離れて行った。
手紙の差出人を確認するとお父さんからだった。これは珍しい。いつもはお母さんが手紙を送ってきて、お父さんから手紙が来た事はない。
一体何の用だろう。少しだけ嫌な予感がする。僕はこういういつもと違う事が起こると心配になる性質なんだ。真夜中にかかって来る電話とか特に。
机に座り封を開け中身を取り出すと手紙は一枚だけだった。お母さんだったら近状の報告に僕への忠告やあまり帰って来ない事への小言で三枚は送って来る。
よくもこれだけ書けると思っていたから少しだけお父さんに共感を覚えた……手紙に目を通すまでは。
『妹が生まれた。次の長期休暇は帰ってこい』
いくらなんでも簡潔すぎるだろ。しかも唐突過ぎる。
妹という文字に僕は頭の隅に痛みを覚えた。これが妊娠の報告じゃなかっただけましだろう。妊娠だなんて見たら僕はすぐさま家に帰ろうとしたと思う。
「妹かぁ……」
誰に向けるでもなく独り言としてため息交じりに言葉が出た。
心臓の鼓動が速くなっているのが自分でもよく分かる。手から汗も出ている。呼吸はそれほど乱れていない。
これが弟だったらもっと酷くなっていただろう。
……僕は前世で産まれるはずの弟とお母さんを同時に亡くしている。
あれは交通事故だった。僕はお母さんと一緒に買い物に出かけて、その帰りだった。
僕は重い買い物袋を両手で持ってお腹の大きなお母さんと話をしながら歩いていた。僕だけで買い物に行けるって言っていたのに、お母さんはついて来たんだ。あの時もっと強く断っていれば……それが有栖川那岐としての最大の後悔だろう。
事故の後自分を責めもしたけれど、お父さんや兄さんの支えもあって時間はかかったけれど何とか持ち直す事が出来た。
けど、それ以来小さな子を見ると産まれてくるはずだった弟とお母さんを嫌でも思い出すようになったんだ。
今世に転生してからはあまり思い出す事はなかったんだけど……やはり僕に本当の妹が出来たとなると思い出してしまうみたいだ。
手紙によると妹は無事に産まれたんだろう。本当に良かった。
妹が生まれた喜びよりも、僕は二人が無事だという事実に安堵を覚えるのだった。
長期休暇になり僕はリュート村へ戻ってきた。ナスも帰ってきているのでアイネもいる。
ナスには一先ず家の外で待っていてもらって、僕が先に中へ入った。
家の中にはお母さんとその腕の中に抱かれている妹だけだった。
お母さんは僕に気付くと微笑みながらお帰りなさい、と言って手招きをした。
「ただいま」
お母さんに近寄り抱いている妹の顔を覗き込む。
……よく、赤ん坊の事を猿のような顔と称す人がいるが……猿よりも可愛いじゃないか!
妹は眠っているのか瞳の色は分からないけれど鼻立ちはすっきりとしていてお母さんに似ている気がする。いや、そもそも女の子がお父さんに似ていたら少し可哀想な気もするけどさ。
「ルイス、こんにちは」
起こさないように小さな声で挨拶をしたけれど、どうやら起こしてしまったらしく、瞼が開き濃い紫色の瞳が僕を見ている。
名前はあらかじめ手紙で教えて貰っていた。どうやらお父さんは手紙の内容が端的すぎるとお説教されたらしいけど自業自得だろう。
前もって妊娠した事を教えてくれなかったのは、無事に産まれなかった場合僕にショックを与えない為らしい。どうせ春季も帰って来ないだろうからと思っていたから隠し通す事に決めたんだとか。
……もうちょっと帰った方がよかったのかな。
「ああ、瞳の色はお父さんそっくりなんだ」
「そうなのよ。髪も黒いでしょ? お母さんだけ仲間外れみたいで寂しいわ」
お母さんの髪の色は赤茶色、瞳の色は青だ。僕の瞳がお父さんの瞳の色よりも薄いのはお母さんの血の所為かもしれない。
「大丈夫だよ。きっとこの子はお母さん似の美人さんになるよ」
指を差し出してみると興味を持ったのか左手で握られた。赤ちゃんらしく柔らかい手は力が全く込められていないから心地よい抱擁感が……すんごく気持ちいい。
「あっ、忘れてた。お母さん。アイネとナス入れてもいい?」
僕の言葉を聞いた途端お母さんの表情が笑顔のまま強張った。
「アイネちゃん外に待たせたままなの?」
声色がいつもよりも低い。お母さんは怒っている時はいつも声が低くなる。
「あ……そ、その、赤ちゃんに会わせるのはお母さんに許可を貰ってからと思って……」
「ナスちゃんはちゃんと洗ってから。アイネちゃんはすぐに中に入れなさい。ああ、でもびっくりして泣き出すかもしれないから静かにね」
「あっはい」
怒鳴らないのはルイスがいるからだろう。ありがとうルイス。でも後でお説教されるかもしれない。
アイネを中に入れナスにはもう少し待っててもらう事にした。
ナスを洗うと時間がかかるから先にアイネだけでも、という事だ。
「おー、かわいー。ルイスちゃーん。アイネおねーちゃんだよー」
アイネがルイスのほっぺをつんつんと突くと柔らかい頬が押し上げられる。するとアイネがやわらかーいと声を上げた。僕も後でやってみよう。
しかし、知らない人に触られているのにルイスはじっとアイネの方を見ていてどこか太々しさを感じる。
お母さんによると村に残っている子供達が時々様子を見に来るから慣れたのではないかと予想を立てた。
アイネがルイスと遊んでいるのを横目に今度こそナスを中に入れる為に外へ出た。
僕が外に出るとナスは待っていましたと言わんばかりに甲高い鳴き声を上げた。
「ナス、家の中に赤ちゃんがいるんだから大きな声を出しちゃだめだよ」
めっと人差し指を立てて叱ると、ナスは耳を寝かせて申し訳なさそうにぴぃと鳴いた。
ナスの身体をポンと軽く叩き家の庭まで動くようにと促す。
いつものようにナスの身体を洗い、水気を魔法で取った後完全に乾く前に汚れが新たにつかないようにナスを背負う。
僕は荷物さえなければナスは背負えるようになった。さすがに身長はぎりぎりで、ナスの頭が僕の頭の上に載っている形になっているけれど。
確かな成長を感じつつ家の中に戻ると、アイネが両手で自分の顔を変形させてルイスを笑わせようとしている所だった。
近くまで寄ってナスを下す。ルイスはアイネをじっと見ているけれど笑ったりはしていない。まだ見えないのだろうか?
「ルイスってまだ笑ったりしないの?」
「そうねぇ。アリスやアールスちゃんの時も半年以上はかかったかしら」
「さすがにまだ分からないかー。ナス、この子が僕の妹のルイスだよ」
「ぴー」
ナスは驚かせないようにか小さな声でなく。すると、ルイスが僕の方に顔を向けた。いや、正確にはナスの方にか。
ナスを下ろして見ると視線がナスを追おうとしているのが分かった。
「ほらルイス、ナスにご挨拶しましょうねー」
お母さんは身を屈めてナスとルイスの視線の高さを合わせてあげた。
するとルイスはナスに向かって手を伸ばす仕草を見せた。ナスは不思議そうに鳴き首を傾げる。
両者の愛らしさに思わずほっこりしてしまう。
暫く一人と一匹の邂逅を楽しむと、僕ははっと我に返った。
「アイネ、家に帰らなくていいの」
ついつい時間が経つのを忘れてしまっていたが、この村に帰ってきて大分時間が経ってしまっている。今日帰って来る事はアイネの小母さんも知っているはずだ。
僕が聞くとアイネはあからさまに顔色を変えた。
「やばっ」
気付かなかった僕も悪いな。僕も一緒に行くか。
「僕も一緒に行って説明するよ」
「いいの?」
「うん」
「やった。ねーちゃん優しいから好き!」
「あはは、じゃあお母さん。ナスは置いていくけどいいかな?」
「ええ大丈夫よ」
「うん。じゃあナス。角気を付けてね」
「ぴー」
ナスはさんざん子供たちと遊んでいるけど、今の所傷つけた事はない。信頼していいだろう。
アイネと一緒にアイネの家へ行き、扉を開けて中へ入った。
「アイネ、遅かったじゃないか」
「ごめんなさい……」
僕はアイネに続いて挨拶をしながら家の中に入る。
事情を簡単に説明すると小母さんは怒るような事はせずにむしろアイネが邪魔したのではないかと申し訳なさそうに謝ってきた。
僕はそんな事ありませんと答えアイネの株が上がるような事を適当に言っておいた。
アイネは僕の言葉をドヤ顔で聞いている。その顔を見て意地悪でもしようかと一瞬頭に過ったけれど今日は悪い事は本当に何もしていないのでやめておいた。
聞かれたら答えるけどね。
僕は小母さんに歓迎され時間はあるかと聞かれ、あると答えるとアイネの話を聞かせてほしいと言われたので僕はにっこりと微笑み答えた。
「はい」
「ねーちゃん……なんかこわい」
安心してよアイネ。僕はある事しか言わないから。僕は嘘をつくのが苦手なんだ。ない事を語れるほど僕は頭良くないんだよ。
……フラグは立てたがフラグを全うさせるとは言っていない。
アイネの話はまぁ普通にアイネにとって都合のいい事を伝えておいた。時折ドヤ顔するのでその度に落としたけど。
今はお昼を食べる為に一旦家に戻った所だ。
お昼はもうすでに準備が終えていて家に戻るとすぐに御飯となった。
お昼は野菜のスープだ。ナスはいつもの通りマナポーション。僕とお母さんどっちの方がいいかと聞くとお母さんと答えた。
お母さんの方がやっぱりおいしいのかと少しがっかりしたが、どうやら味の種類が違うだけで美味しさに差はないらしい。滅多に飲めないから今日はお母さんの方を選んだだけのようだ。
ルイスは僕がいない間に食事を済ませたらしい。
久しぶりに食べるお母さんの野菜スープは相変わらず味が薄い。調味料が高価なこの世界では仕方いないんだけれど、育ち盛りの僕としては少々食べ足りない気もする。
そんな僕の様子に気付いたのかお母さんはおかわりはちゃんとあると言った。それならばと僕は残ったスープをよそって食べた。
お腹が一杯になった僕は食休みをしてからナスと一緒に木剣を持って外へ出かけた。
これからアイネと剣の稽古をする約束をしている。これから一か月間毎日稽古をする事になるだろう。変化の少ない日々。退屈だけど退屈ではない毎日が続く。僕はこの一ヶ月でどれだけ変われるだろうか。
そう思っていた翌日早速大きな変化が起きた。
お昼ご飯を食べてさぁこれからアイネとの稽古だという時に青色の幌の馬車が村の真ん中で止まっていた。別に珍しい光景ではない。月に一度は見る物だ。
けど、人が降りるのは珍しい。しかもその人は子供だ。しかもしかも全身が何というか白い。何というか見覚えがある気がする。でもここにいるはずが……。
その子は僕の方に振り向くと手を振ってきた。
うん、やっぱりフェアチャイルドさんだ。どうしてここにいるのかという疑問は尽きないけれど、僕はいつのまにか走り出していた。
「フェアチャイルドさん。どうしてここに?」
僕は思わず本物かどうか確かめるためにフェアチャイルドさんの頬、肩、二の腕を触った。
「あの……一度来てみたかったんです」
「そうなの?」
確かに都市外授業でリュート村を目的地にした事はまだなかった。僕が気恥ずかしかったっていうのと、前線基地に比較的近い場所だから敬遠していたんだ。
「ナギさんとアールスさんの生まれ故郷を見てみたかったんです」
「そっか。じゃあ……あーと、その案内はしたいんだけれど、この後アイネとの稽古があるんだ……」
「……アイネちゃんと、ですか?」
「うん。約束していたからさ。ごめんね」
「分かりました。それでは一人で回ろうと思います」
「北西の空き地にいるから、何かあったら来てね」
フェアチャイルドさんなら方向が分からないという事はないと思うけど、念の為に指を差して空き地の場所を教えておく。
見る所なんてほとんどないから小一時間ほどで村を見て回るのは終わってしまうだろう。さすがに村の外には出ようとはしないだろうから、終わったら僕達の所に来ればいい。
「ところでどうやってここに来たの? 許可貰えたの?」
「はい。先生に確認してみたら許可が出ました」
「そうなんだ? それで、いつまでいられるの?」
「馬車が戻って来る一週間後の予定です。泊まる場所は村長さんの家に滞在しようと思っています。お金も持ってきていますし」
「じゃあゆっくりできるね。この村一日どころか小一時間もあれば見て回れるから」
「はい」
アイネとの稽古が終わったらお母さん達にも紹介しておきたいな。
ああ、いや、どうせ家近いんだし先に家を紹介しておくか。稽古を始める時間は特に決まって無いんだし。
「フェアチャイルドさん。稽古を始めるまでまだ時間あるから先に僕の家紹介するよ」
「ナギさんの、ですか?」
「うん。あっ、先に村長さんの家に行った方がいいかな」
「いえ、大丈夫です」
それならと、僕はフェアチャイルドさんの手を取り家へ向かった。
「あら、何か忘れも……あらあら?」
フェアチャイルドさんと一緒に戻ってきた僕にお母さんは目で誰? と問いかけてくる。
「よく話してるでしょ? この子が僕の友達のフェアチャイルドさん。遊びに来たんだ」
「初めまして。レナス=フェアチャイルドです」
フェアチャイルドさんが丁寧にお辞儀をするとお母さんは嬉しそうにまぁまぁ言ってフェアチャイルドさんを中へ案内した。
お母さんはフェアチャイルドさんに興味があるらしくフェアチャイルドさんに次々と質問をしてきた。フェアチャイルドさんは質問を一つ一つ丁寧に答えていく。
長くなりそうだったから僕は無理やり横から割って入ると、お母さんは不満そうな顔をしてきたため、僕はこれから稽古に行かなきゃいけない事、フェアチャイルドさんはこれから村長の家に行って部屋を借りないといけない事を説明した。すると……。
「だったら家に泊まればいいじゃない」
「よろしくお願いします」
返事が早い。僕が口を挟む隙も無かった。フェアチャイルドさん。そこは一度遠慮……いや、遠慮は日本人の文化ともいうし、日本人じゃないんだから別にいいのか?
でも産まれたばかりのルイスがいるのに母親としてそれでいいのか?
少しもやもやとしたもの抱えたものの、お母さんの意見に反対するどころか賛成だから文句はない。
文句がないどころかこれから一週間同じ家で過ごすという事に胸が高鳴っている自分がいる。
……はて? なんでこんなにも胸が高鳴っているんだろう? いつも同じ部屋で暮らしているというのに。
僕はその疑問に答えを見つける事が出来ないままアイネとの稽古に出かけた。
フェアチャイルドさんはもう少し話をしていくらしい。仲が良くなっていい事だ。




