僕達の旅 その6
目が覚めると空はまだ暗かった。
顔を動かして辺りを見回してみると焚火の前でフェアチャイルドさんがじっと焚火を見つめていた。
慣れない所で眠ったからか身体中が痛い。エリアヒールをかけてみるけれど痛みがほんの少しの間和らいだだけで根本的な解決にはならなかった。
ならばと柔軟を行う。
「何をしているんですか?」
「あっ、フェアチャイルドさんおはよう。身体中がこっちゃって柔軟やってるんだ」
「効果あるんですか?」
「うん。だいぶ楽になってきた。フェアチャイルドさんもやってみる?」
「……はい」
フェアチャイルドさんは僕の真似をして身体を曲げようと……曲げようと? してるのかな? なんだか四十五度くらいにしか曲がってないような。
「フェアチャイルドさん。これ出来る?」
僕は立ったまま足を曲げないようにしつつ手を地面につける。十秒ほどで元の体勢に戻しフェアチャイルドさんを見ると、何とも言えない不審人物を見るような表情をしていた。
「ナギさんは、本当に人間なのですか?」
人間だよと叫びたかったけれど、他の二人がまだ寝ているので自重した。
「人間だよ僕は。多分ベルナデットさんも似たような事できるよ?」
この柔軟は剣術の選択授業では怪我防止の為に必須となっている。
僕も勿論やっているんだけど、そういえば部屋では狭くてやらないから、フェアチャイルドさんは見た事ないのか?
「帰ったら柔軟とかマッサージとか教えて上げようか? 多分大分歩くのが楽になると思うよ」
「……お願いします」
「うん。ところで今何時かな?」
柔軟をやったせいか目が完全に覚めてしまった。
フェアチャイルドさんはローランズさんから借りた時計を確認し今の時刻を告げた。
時刻は夜明け前といった所か。少しだけ早く起きてしまったぐらいの時間だ。
仕方ないので僕は柔軟運動を再開させた。
日が昇ると今日の雲行きがよくわかる。
「降りそうだねー」
調理を進めながら呟いたベルナデットさんの言葉につられて思わず空を見る。
たしかに空はどんより雲だ。
そして、実際に降り出したのは出立した直後だった。
僕とフェアチャイルドさんは急いで雨用のフード付きの外套を全員分取り出した。
予想通りベルナデットさんとローランズさんは雨対策をしてこなかったらしく、外套を渡すと感謝された。
この外套はアーク王国の北側にある沼地に住む巨大な両生類の皮から作られていて防水性が高い。おまけに頑丈で破れにくい、んだけど日光に当って乾くと一気に劣化してしまう。だから洗った後乾かしたい時は日の当たらない所で水気がなくなるまで置いとかないといけない。
まぁ、僕は魔法で水気切っちゃうけどね。
値段が結構高いのだけれど、長く使うものだから予備も含めて奮発してしまったのだ。
長く使う予定だから当然少し大きい物を買った。その為に僕達の中では一番背の低いローランズさんが纏うと裾が地面についてしまっている。
ローランズさんはその事に気付くと慌てて裾を両手で掴んで上げた。
そんなに気にしなくてもいいよ、とは言ったがローランズさんは手を放そうとしなかった。
律儀な子だなと思いつつ自分も同じ立場なら同じような事をするかもしれないと思い、裾を結ぶようにと助言だけをした。
雨が降っているとはいえ今日は順調に道程を歩む事が出来た。
昨日の到着予想時間から半刻ほど遅れて僕らはようやくグランエルへ到着した。
検問所の前に立った僕らは思わず手を叩き合って喜びあった。長いようで短い僕達の初めての旅はようやく終わりが見えたんだ。
グランエルに戻って最初に行くのは寮ではなく学校だ。例えグランエルに着いたのが朝でも夜でもいつであろうと学校に行く事になっている。
学校まで行き、都市外授業の終わりをいつもは依頼の受付をしている所に報告をする。
すると、ずっと後ろにいたハイマン先生が前に出てきた。
「皆疲れているだろうから詳しい評価はまた後日にやるが、今回のお前達はまぁ及第点といった所だろう。反省点も各々でいくつかは思い当たる事があるだろうが、次回までに話し合って解決しておくように。それと最後にこれだけは注意しておく」
注意って一体何だろう。ヒールで魔力を大量に使っていた事だろうか? それとも一日目の暗くなってからの村までの移動だろうか?
「宿屋では静かにしろ。特にマリアベル=ベルナデット。お前の声が隣の部屋にいてもはっきり聞こえたぞ」
「げっ」
隣の部屋に泊まっていたのか。考えてみれば当然だけど、僕達がもしも二部屋取ってたらどうしてたんだろう。
「では今日はこれで解散。まだ午前中だが家や寮でしっかりと休め」
「はい」
僕とベルナデットさんは借りていた剣を返し学校を出ると、安心した所為か疲れがどっと押し寄せてきた。
外套は後日返してもらう事にして校門前で家の方向が違うローランズと別れた。
女子寮の前でベルナデットさんとも別れ僕はフェアチャイルドさんと二人きりになった。
寮の中に入っても玄関ロビーはおろか廊下にも誰もいない。当たり前だ。予定よりも一日帰るのが遅れたから今日は学校のある日だ。いるとしたら非番の先生位だろう。
僕は外套の水を集めて流しに持っていき捨てると荷物を置くために部屋に戻った。
「はぁ~……疲れたぁ」
「もう動きたくありません……」
フェアチャイルドさんはベッドに寝転がるどころか床に置いた荷物に寄りかかっている。
「僕、お風呂入るけどフェアチャイルドさんはどうする?」
「お湯張っていないのでは?」
「自分で出せるから大丈夫だよ」
それならば、とフェアチャイルドさんは着替えとタオルを箪笥から取り出した。
僕も同じように準備をする。
脱衣所につくと服を脱ぐ前にいつも通り目隠しをし、魔力を周囲に張り巡らせる。
割と手慣れたもので、今ではマナさえ残っていれば寮全体の構造を把握できるまでに広げる事が出来る。
しかも、精度を落とせば大通りまで広げる事が出来たりもするのだ。
服を脱ぐとフェアチャイルドさんが僕の手を取る。そして、淀みのない足でお風呂場に入った。
さすがに誰も使っていないからか床は乾いている。
お風呂から出た後は洗濯物をまとめて洗濯だ。
洗濯物の入った籠を持ち洗い場まで行き、水の張った桶と洗濯板を用意して洗濯開始。
ごしごしと洗濯物を洗いながら単調な作業に落ちてくる瞼と戦う。
横には洗濯をしながら舟を漕いでいるフェアチャイルドさんもいる。
このままではいけない。僕は頭を横に振って眠気を何とか飛ばし、フェアチャイルドさんに話しかけた。
するとフェアチャイルドさんは弾ける様に顔を上げてから僕の方を見た。
「ふぁい。なんでひょう?」
「……洗濯終わったら思いっきり寝ようね」
「はい……」
フェアチャイルドさんは目を腕で擦りながら作業を再開させた。
よっぽど眠いんだな。お風呂に入ったばっかりだから仕方がないのだろうけど、眠気を覚ます方法……。
「フェアチャイルドさん。ちょっと限界まで息を止めてみてよ」
「どうしてですか?」
「いいからいいから」
訝しげにしながらもフェアチャイルドさんは僕の言う通り息を止める。
二十秒ほどで顔が赤くなり限界が来たみたいだ。
「限界が来たら姿勢を正して深呼吸して。ゆっくりとね」
僕は手本を見せるように口を開けてゆっくりと深呼吸をした。
フェアチャイルドさんも同じように深呼吸をする。
「どう? 少しは眠気取れた?」
「……はい。少し楽になりました」
「よかった。あ、後ね、手の平の中央辺りを親指で抑えるのも効果があるらしいんだ」
「よく知っていますね」
「あはは、前世からの知識だよ」
「……前世では十七歳、だったんですよね」
「うん。そうだよ」
「どんな人だったんですか?」
「どんなって? 性格はあんまり変わってないと思うけど」
「えと、名前とか、どんな容姿をしていたとか、どんな仕事をしていた、とか」
「そう言えばまだ教えてなかったね。僕の前世の名前は有栖川那岐。こっち風に言うとナギ=アリスガワだったんだ」
「……えと、一気に嘘っぽくなりました」
そう言いつつも疑いの眼差しを向けてはこなかった。いつも通りの赤く温かい眼差しだ。
「わかる。わかるよその気持ち。僕も最初自分の名前聞いた時驚いたもん。アリス=ナギとナギ=アリスガワって似すぎだろって」
「苗字が、名前だったんですか?」
「そうだよ。前世では苗字が前で名前が後だったんだ」
「ガワってなんですか?」
「水が流れる川の事だよ」
「アリス川……」
「もっとも由来なんて知らないけどね。そういう名前の川が昔あったのかな?」
「ナギさんが、苗字呼びに拘るのは、ナギが名前だったからですか?」
「それもあるっていう程度で、一番の理由は前から言っている、アリスっていう名前は僕には可愛すぎるからだよ」
「可愛いと嫌ですか?」
「こんな形だけど僕は自分の事元十七歳の男だとしか思えないからね。可愛いって言われるのには抵抗があるよ」
今の所女の子の身体になって考え方が女らしくなった、という自覚はない。
「どんな姿をしていたんですか?」
「容姿かぁ。うーん、よく子供っぽいとか言われてたよ」
「子供っぽい、ですか?」
「多分背が低かったせいじゃないかな。同い年の子に言われてたんだ」
「……見てみたいです」
「僕はあんまりうれしくなかったんだけどね。顔立ちについての良し悪しは……多分悪くはなかったんじゃないかな? 容姿について言えるのはこれくらいかな。
で、仕事だけど……僕の住んでいた所じゃ十七歳で仕事している人ってあんまりいないんだ。まぁ僕達がやっている依頼みたいにお金を稼ぐことはできるけど」
「じゃあ何をしていたんですか?」
「学校に行ってたんだよ。僕が通っていたのは高等学校。僕達の世界じゃね、高等学校は十五歳になったらいけるんだ」
「それまではどうしてるんですか?」
「ん……じゃあ最初から説明しようか」
僕は前世の世界の学校を簡単に説明した。義務教育の事、小学校の事、中学校の事、高校の事、通った事のない大学や専門学校の事も話した。
それに伴って僕の住んでいた国は平和で戦闘訓練なんて受けた事がないと言ったら何故か驚かれた。
むしろ運動は苦手だったと言うとさらに驚かれた。
後特別勉強が得意ってわけじゃなかったというと傷ついたような顔をした。けど仕方ないじゃないか。僕中身元十七歳だし。
「フェアチャイルドさんだったら僕と同じくらいの年になる頃には僕よりも頭がよくなってるよ」
「そうでしょうか……」
「だって固有能力が智慧じゃないか。あれって人よりも頭がよくなりやすい能力じゃない。いけるって」
「じゃあ……もっともっと勉強して、私ナギさんを追い抜きますね」
それは少し予想とは違った返答だった。未来の事を語るとフェアチャイルドさんはいつも曖昧な言葉で濁していた。今回もそうだと思っていた。
マスク越しでもわかる。フェアチャイルドさんは今笑っている。
「はは、頼もしいな」
どういう心境の変化があったのかはわからないけど、僕は嬉しい。
そう、嬉しいんだ。フェアチャイルドさんが未来の事を笑って語ってくれる事が。まるで僕の変な妄想を笑ってくれているようじゃないか。
「ナギさん……私、明日からナギさんみたいに朝走ろうと思います」
「……都市外授業で時間がかかったのが気になる?」
「はい……」
「わかった。手伝うよ」
「お願いします」




