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月夜の逢瀬

 最後の依頼を終えた僕達はその日は村の宿に泊まり身体を休める事にした。

 部屋の中でアイネはようやく認め印を集め終えた事に喜び興奮して僕に勝負を仕掛けて来た。

 狭い部屋の中ではアイネお得意のすばしっこく動き回る事が出来無い為難なく取り押さえる事が出来た。

 そのまま興奮しているアイネを落ち着かせ寝付かせるのには時間がかかってしまったが。

 落ち着く事の出来た僕は乱れてしまった髪を編み直しながらシエル様に声をかけた。すると……。


(ナギさん。今は外に出る事が出来ますか?)

(外にですか? 大丈夫ですけど)

(ならば外に出て月を見上げてください)

(何かあるんですか?)

(はい。なのでなるべく早く外に出てください)

(わ、分かりました)


 こうして僕は神様のお導きによって宿の外に出る事になった。

 アロエは魔獣達の所にいるので僕が外に出たら寝ているアイネ一人だけを残していく事になってしまう。心配なので念の為にマナを操り部屋の監視をしておく。

 宿を出ると入り口近くで立ち止まり夜空に浮かぶ月を見上げる。

 月白色の月は今宵は満月。一月の終わりの日だ。

 だけど残念ながら今日は雲が多く月は半分くらい隠れてしまっている。

 一体何があると言うのだろう。

 シエル様からの返事があるまで話掛けながら僕は月を見続けた。

 そして異変は起こった。

 はて? 一体いつからいたのだろう。そう疑問に思うくらい違和感なくそれは姿を現した。

 月と僕との間。

 雲がいつの間にか無くなり真ん丸の月から降り注ぐ光を背にして徐々にその輪郭を大きくしている……鯨によく似た白い生き物。


(……シエル様、何してるんですか?)


 シエル様からの返答はない。

 鯨のような生き物はどうやら大きさは本当の鯨のように巨大ではないようで人と同じくらいの大きさをしている。

 それは僕の目の前にやってくると姿を変えた。

 全身が真っ白な大人の女性となった鯨は僕に微笑みながら語りかけて来た。


「よく私だと分かりましたね、那岐」

「いや、そりゃ分かりますよ。あれだけもったいぶった事を言って僕を外に出して、鯨に似た生き物が月の方向からやってくるんですから。

 シエル様の身体は鯨に似ているんですよね?」

「よく覚えていますね」

「覚えてますよ。シエル様と話す時はいつも白い鯨を想像していますから。

 というか、どうしてここに?」

「那岐さんは前々から仰っていたではないですか。私にお返しをしたいと。ですから分体をこの世界に精霊として送り込んだのです」

「えぇ……そんな理由で? 他の世界に分体を送るのって許可がいるんですよね? ツヴァイス様はそれで許可してくださったんですか?」

「こっそりと忍び込んできました」

「ええっ!?」

「ですのであまり長い時間この世界にはいられません。もって五日くらいでしょうか。その間那岐さんの過ごしていた場所を案内をしてください」

「そんな事でいいんですか?」

「はい」


 こっそりとやって来た事には驚いたけど、恩返しのチャンスをくれると言うのは素直に嬉しい。

 改めてシエル様の今の姿を確認する。

 シエル様は大人の女性の姿形をしているが、顔立ちはアーク人やフヨウ人、ヴェレス人とも違う。もう遠い記憶になるが日本人に近い顔立ちに思える。

 だけど陶器のような白い肌というのが比喩ではなく陶器そのものの質感となっている。

 服装はこの国の服装を模しているようだ。きっと違和感を持たれない為だろう。

 そして、尻尾がある。鯨の尾ひれのような尻尾が。

 一見してシエル様の分体は見た目は人間離れした外見をしている。だがしかし、全身が白い中で唯一黒い箇所である瞳は人と同じように意志のある瞳だ。

 文字通りの人間離れした白い陶器で出来た人形のような姿に意志の見える瞳。

 はっきり言って怖い。

 シエル様だと気づかなかったら僕は幽霊だと思って逃げていたかもしれない。

 そう考えていると陶器のような光沢のある肌がまるで調整しているかのように艶を変え質感を変えた。

 そして、そう時間が掛からない内に人間の肌と変わらない肌へ変貌した。


「これで怖くはないですか?」

「もしかして思考が漏れてましたか?」

「はい……いいえ、漏れてたのは表情からです。先ほどまでの肌はやはり不自然ですか?」

「そうですね。慣れない人が見たら怖がると思います」

「そうでしたか」


 心なしか返答に元気が無いように思えた。


「でもきれいだと思いますよ」


 美しすぎるから生きているのが恐ろしいのだけれど。ただの人形だったら誰も恐れはしないだろう。ただ感嘆の溜息を吐くだけに違いない。


「ふふっ、ありがとうございます」

「ところで、もしかしてグランエルに帰るまで機会をうかがってました?」

「はい。五日間しか滞在は出来ないだろうと分かっていたのでグランエルを見るのは今の機会しかと思ったのです」


 今いる村からグランエルへは急がずとも明日のお昼過ぎには辿り着ける距離だ。


「あの、精霊として来ているんですよね? 核大丈夫ですか? 核を収める石用意していませんよ?」

「問題ありません。精霊として来ましたが、疑似的な魂を核としているので結界を通り抜ける事は出来ます」

「魂は結界を通り抜けられるんですか?」

「そうしなければ結界内で死んだ魂は輪廻の輪に戻る事が出来ませんから」

「ああ、なるほど……結界の中に魂が溜まらない様にしてあるんですね」

「その通りです」

「という事は精霊の核は魂ではないという事ですか」

「そうですね。魂に近い物ではありますが魂ではありません。ですので滅したらそこまで。輪廻の輪に加わる事は出来ません」

「そう……なんですか」


 シエル様の説明に僕は仲間の精霊達の姿を思い出した。


「ただ、核を魂へ至らしめる事は可能です」

「え?」

「核を魂にする事の出来た精霊の事を神霊と呼び神聖魔法を扱う事が可能になります」

「どうすれば核を魂にする事が出来るんですか?」

「自己を確立させる事。それだけです。精霊という存在は核がマナで構成されている為不安定な存在なのです。

 その不安定さを補い生きる為に精霊は好意を持った対象に依存するのです。

 しかし依存するその性質は自己を確立させる事を阻害させてしまうのです」

「自分の存在を依存している相手に任せてしまっているからですか?」

「その通りです。それと、神霊となった後精霊の性質上高位の神聖魔法を授かるのは難しいでしょう」


 精霊は基本自分の好きな人間にしか興味を向けないからな。神様に対して興味を向けさせるだけでも難しそうだ。


「シエル様から見て……僕の仲間の精霊で神霊になれそうな精霊はいますか?」

「そうですね……現状で一番近いのはサラサさんではないでしょうか?」

「サラサが?」


 サラサの名前が挙がったのは意外だった。サラサは全てとまではいわないがほとんどの判断基準がフェアチャイルドさんの為になる事だ。

 サラサほど依存している精霊はいないと思ったのだけれど


「彼女は那岐さんが思っているほどフェアチャイルドさんに依存していませんよ。

 精霊である事を誇りに思い精霊らしくあろうとしているように私は感じます。そして、自分をかくあれかしと定めるという事は自己を確立する事に繋がります。

 ですので精霊の中で一番神霊に近いのはサラサさんでしょう。本人が望む望まないにかかわらず、ですが」

「神霊か……」


 神霊に至れれば輪廻の輪に加わる事が出来る。それは世界にとってはとてもいい事なんじゃないだろうか?

 魂が補充されればわざわざ僕のような異世界の魂を受け入れる必要はないのだから。

 だけど、神霊へと至った精霊の話なんて聞いた事が無い。何か理由があるのだろうか?


「神霊は、神霊になったら何かが変わるのですか?」

「契約が出来なくなります。契約が出来ないという事は愛する人に力を貸す事も思考の伝達も出来なくなってしまうのです。ですからたとえ神霊になれると聞いても望んで神霊になりたいと思う精霊は少ないでしょうね」

「契約者が亡くなった後は大抵は後を追うように消滅するから神霊になる……なれる精霊は極端に少なくなる……か。そりゃ聞かないはずだ」


 何事もままらない物だ。

 輪廻の輪の件だけじゃなく、精霊のような膨大なマナを持つ存在がシエル様の神聖魔法を使えれば魔物なんて怖くないのだけど。

 だけどだからと言って神霊になる事を勧めるというのはしにくい。

 精霊達は契約者達との繋がりをとても大事にしている。繋がりを断つような事を勧められる訳がない。精霊によっては怒り狂うかもしれない条件だ。

 この情報、精霊達に伝えるべきか伝えないべきか。伝えるにしても誰にするか……まぁそれはサラサしかいないか。

 アロエとエクレアは神霊の情報がシエル様からの物だという時点で除外だ。

 ライチーは……多分興味持たないだろうな。

 残るはサラサとディアナだが、神霊になれる可能性が高いのがサラサだと言うのならサラサに伝えるべきだろう。


「那岐さん。私はそろそろ行きますね」


 シエル様の声に思考中だった頭を切り替える。


「行くって、どこにですか?」

「私は一足先にグランエルへ向かいます。私はすぐにいなくなる身。他の方々には存在を知られない方がいいでしょう」

「そんな……」


 シエル様の言葉に残念に思うけれど、同時にシエル様の言う通りだという事も理解できた。


「アロエさんなどの他の方々の認識は誤魔化していますが完全ではありません。何をしていたかと聞かれたら道に迷った精霊に道を聞かれついでに少し世間話をしていたと答えれば大丈夫でしょう」


 認識を誤魔化す事が出来るなんてさすがはシエル様だ。もしかしたらその力でツヴァイス様に黙ってここまでやって来たのだろうか?


「分かりました。シエル様がそう言うのならそうします。グランエルでの待ち合わせは……」

「都市の中心部、噴水の前でどうでしょうか? 予定を含めた時間はそちらに任せます」

「はい。ではお気をつけて」

「ふふっ、この身体を傷つけられる存在がいるとは思えませんけれど。那岐さんもお気をつけて」

「はい」


 手を小さく振って来たので僕も同じように手を振って応える。

 そして、シエル様は人の形を取るのをやめ僕の前に現れた時と同じ鯨のような生物の姿になり、宙を泳ぐように尻尾を振りながら去って行った。

 まさかシエル様がやって来るとは思わなかった。これは少し予定を変える必要があるな。

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