僕の気持ち
朝物音に気付き隣で寝ているお母さんを起こさないように静かに上半身を起こす。
昨日の夜僕はルイスが寝ちゃった後お母さんのベッドに移った。
別にお母さんが恋しかったとかそういう理由ではなくルイスがおねしょした時に被害を被らない様にお母さんと一緒のベッドに寝ただけだ。
動くのに不自由しない程度の明るさのライトが部屋を照らしている。
音のした方を見るとお父さんが起き出した所だったようで服を着替えていた。
「おはようお父さん」
「ん? おお、起こしちまったか」
「あははっ、僕が眠り浅いの知ってるでしょ」
「ああ、そうだったな……そういえば昔はよく夜泣きしてたな」
「うっ……そ、そうだっけ?」
「小さかったからな。覚えてないだろうが……」
ばっちり覚えている。夜泣きの原因はこの世界に転生した事による不安と恐怖だ。
そりゃそうだよ。死んだと思ったら小さな女の子になってて前世よりもはるかに不便な暮らしを強いられていたんだから。しかもシエル様からは危険度の高い世界で魔王がいるって脅されていたんだ。泣いたってしょうがない。
当初はシエル様の事を恨みもしたが、落ち着いて来た頃に夢だと思っていたとはいえ適当に考え答えたのは僕自身なんだ、と思えるようになっていた。
あれはいつ頃だったろうと考えながらベッドから抜け出す。
「アリスも起きるのか」
「うん。訓練しなきゃ。お父さんは見回り?」
今の時期畑は休ませているから仕事だとすると村周辺の見回りだ。
「ああ」
「お仕事頑張ってね」
「おう」
話しているうちに着替え終わったお父さんは家を出て行く。
扉が開いた時外から光が差し込んでこなかったのでまだ暗い時間なんだろう。
家には時計なんて無いのによく仕事の時間が分かる物だ。
僕も寝間着から訓練用の服に着替えて寒い夜空の下に飛び出した。星の位置を見てみると夜明けは近い事が分かる。
準備運動を行ってからライトを先導させ村の中を走り出した。
僕の他にも走っている人はいてすれ違う度に挨拶を交わす。
夜が明ける頃に僕は村の森側の端の方へ来ていた。
懐かしい風景に僕は休憩がてら足を止めた。
ここは森が近いから村を囲っている柵の拡張は行わられていない。
つまりこちら側の風景は僕が幼い頃から変わっていないという事だ。
まず思い出されるのはナスと出会った日の事だ。たしかあの時はアイネを追いかけた後、ナスが草むらに隠れながら奇襲して来たんだ。
今思うとよくあの時仲間にしようとしたな僕。殺されそうになってたんだぞ?
フォースが魔獣・魔物特攻の魔法じゃなかったらどうなっていた事か。
多分初めての実戦で興奮してたんだろうな。あと、倒した敵を仲間にするみたいにゲーム的に考えていたのかもしれない。
思い出すのはナスの事だけじゃない。少し移動すれば木の生えていないどこまでも続いているような大地が広がっている。
今の時期は殺風景だが春から秋にかけて大地は草に覆われ風によって音楽が奏でられる。
弱った心を抱えていた僕はよくその光景を見にやって来ていた。
アールスも一緒に見ている事もあったが大抵はすぐに飽きて遊び始めていたっけ。
『いいとこだよねーアーク王国って』
ふいに僕の顔の横にアロエが現れた。
『風を邪魔する物が少ないから思いっきり飛んでいける。ヴェレスとは大違い』
「ヴェレスって山に囲まれてるんだよね? 平地少ないの?」
『ないよ。全然ない。山ばっかりで平らな所なんて山間にしかないよ。
そのくせ風が強くて山で吹き荒れてる風が岩を落としたり、雪が人を凍らせたりしたりして大変なんだから』
「ヴェレスってやっぱり厳しい所なんだ」
『そだよ~。……ミサのお兄さんも弟も死んじゃったんだから』
しんみりとした話し方から聞こえてきた言葉は僕の耳を疑わせるものだった。
「え……ち、ちょっと待って。ミサさんて兄弟がいたの?」
『うん。いたよ』
アロエの言葉に僕は開いた口がふさがらなくなる。
『お兄さんのラサルートは冬の寒さに耐えられずに。弟のヴェルモートは雪崩に家が巻き込まれた時に死んじゃった。立って歩けるようになったばっかりなのに。
あの時はエクレアいっぱい泣いてたなぁ……クリスもシルフィンも泣いてた。
だから、残ったミサを守ってほしいって頼まれたんだ』
「ま、待って。お兄さんと弟さんは精霊と契約してなかったの?」
『無理だよ。ラサルートは赤ん坊でヴェルモートは契約できるほど自我が育ってなかった。ラサルートの時は冬に産まれた上に精霊はエクレアしかいなくて温める方法があんまりなかったみたい。
薪を使おうにもグレイス家って裕福な家じゃなかったから買えなかったみたい。それに勝手に木を伐って薪を作るのも禁止されてたんだ。
当然だよね。貴重な薪の燃料になる木を勝手に伐るのを禁止するのは。
せめて魔素が濃ければ、魔力の量も増えて暖かい火を出し続けられたのになぁ……』
「火の精霊とかは……」
『いないよ。いる訳ないじゃんあんな寒い場所に』
「そっか……」
『多分寒風を防げる私がいなかったらミサは大きくなってなかったよ。うん。だから、クリスのお願いは間違ってなかったと思うんだよね……うん』
悲しそうに目を伏せるアロエ。
僕は励ましの言葉が思い浮かばずしばらく無言が続いた。
「……それが、フェアチャイルドさんを迎えに来なかった理由?」
『そうだよ。少なくともヴェレスよりは過ごしやすいってクリスからは聞いてたから。ああ、でも……見捨てたって言われた時は結構効いたなぁ』
それはそうだろう。きっと、アロエは最善の選択をしたんだと思う。
ヴェレスという国を知らない僕だがきっと人が暮らすには厳しい環境なんだろう。
その点ではグランエルは魔物の領域に囲まれていて安全と言い切る事は難しいが、少なくとも魔物の侵攻が無ければ飢える事も寒さに震え凍え死ぬこともない。ヴェレスよりも大人になれる可能性が高いと思っても仕方ないのかもしれない。
けど、だからと言ってフェアチャイルドさんが心から納得するかは疑問だ。
「アロエはさ、フェアチャイルドさんと契約したい?」
『うん。したい。正直私はミサよりもクリスの血を引いてるレナスの方が大事。
あっ、でも別にミサが大切じゃないっていう訳じゃないよ?
ただ私にも守りたい約束もあるからさ』
「約束?」
『うん。約束。レナスのご先祖……私の最初の契約者との約束なんだ。子孫達を守ってくれっていうね。
あ~あ……なのに嫌われちゃったからなぁ私。なにやってんだろほんと』
「今から説明……しても厳しいかな」
『無理だろうね~。サラサ達がいるし。まぁ死んだ人との約束の為に契約する私よりレナスの事を見てるあの子達の方がましだよね』
「アロエ……」
意外に思った。アロエはもっと自由奔放で子供っぽい精霊だと思っていたのだが、心中ではこんな事を考えていたのか。
『ナギ、ゲイル起きたから私そろそろ行くね』
「あっ、うん。僕もすぐにそっちに行くよ」
『わかったー』
風が吹くと同時にアロエの姿が消える。
そう言えばアロエと二人きりで話したのって今日が初めてのような気がする。
大抵誰かが近くにいるから二人きりになる場面が無かったんだ。
もしかして二人きりだから話してくれたんだろうか?
『あっ、そうだ』
消えたと思ったアロエがまた姿を現した。
『私の秘密教えたんだから一つくらいナギの秘密教えてよ』
「まだ諦めてなかったんだ」
というかそれが目的か?
「まぁいいよ。といっても僕の秘密なんてもうそんなに残ってないけどね」
ミサさん達に合った当初秘密にしていたのは大きく分けて二つ。ピュアルミナが使える事と前世の記憶があり異世界から転生した事だ。
ピュアルミナが使える事は早々にばらしたのだけど、後者は今の所教える気はない。教えていい範囲……はまぁあれだろう。
「僕ね、女性が好きなんだ」
『どゆこと?』
「恋愛対象が女性だって事」
『……それ秘密なの?』
「一応ミサさんには秘密にしておいてほしいな。同性愛についてどう考えてるか分からないから」
『えー、つまんなーい。そんなのが秘密なの?』
「人の世界では色々あるんだよ。ばれると変な噂が立って面倒な事になる」
『確かにそれはあるかー』
アロエはしたり顔でうんうんと頷く。長く生きているみたいだから思い当たる事があるのだろう。
『あーでもそうなるとレナスの子供が出来なくなるのは困るなー』
「……どうしてそこでフェアチャイルドさんの名前が出るのかな?」
『え? 好き合ってるからいつも一緒にいるんじゃないの?』
「いやまぁお互いに好きだと思うけどそれはあくまで友達同士とか家族相手に言う好きみたいな関係……だと思うよ?」
フェアチャイルドさんは僕を慕ってくれているから好意を持っているのは間違いないだろう。だけどその感情が恋愛感情だという事には繋がらない。
あの子はただ親にそうするように僕に甘えているだけだ。そうに決まっている。
『ええ~? 本当に~? 恋人同士じゃないの~?』
「違います。ほら、ゲイル起きたんでしょ。早く会いに行きなよ」
『あっ、そうだった。じゃあ今度こそ……の前にナギ』
「なに?」
『ナギの気持ちはどうなの?』
「……秘密は一つって言ったよね?」
『それも秘密かー。確かめる事増えたなー』
そう言ってアロエは今度こそ姿を消した。魔力も急速に家の方へ遠ざかっていく。
「僕の気持ちなんて……どうでもいいじゃないか」
僕があの子に望むのはあの子の幸せだけだ。それだけでいいんだ。




