仕事の日の朝
投稿を始めて二周年が経ちました。これからもよろしくお願いします。
出発の日の朝、いつもよりも少しだけ早く目を覚ます。
僕を背中側から抱きしめているフェアチャイルドさんの温もりを感じながら彼女の腕を優しく僕の身体から離す。
いつもよりも力が入っている。昨日心配させたその反動かもしれないな。
光量を抑えた明かりを点けベッドから降りると次にまだ眠っているフェアチャイルドさんのおでこに手を当て、体温を測りつつ生命力を分け与える。
生命力を分け与えるのが終わり背を伸ばすとサラサがススッと視界に入ってきた。
「レナスはどう?」
「大丈夫だと思うよ。平熱で熱はないから今日もちゃんと仕事できるよ」
「そう……いつもありがとうね」
サラサはほっと息を吐いた後優しい眼差しでまだ眠っているフェアチャイルドさんを見つめる。
サラサは時々こうやってフェアチャイルドさんの体調を気にしている。
僕と同じように元々フェアチャイルドさんは体が強くなかったという事を覚えているから今でも心配なんだろう。
ベッドから離れて僕は手早く着替えを済ませる。
そして、フェアチャイルドさんの事をまだ見つめているサラサ、いつの間にかフェアチャイルドさんの横に座っているライチー、それに窓の近くで暇そうにしているディアナ、全員に聞こえるよう、それでいてフェアチャイルドさんを起こさない程度の大きさで伝える。
「じゃあ行ってくるね」
「ええ、行ってらっしゃい」
今日朝早くに出かける事は昨晩の内に皆に伝えてあるので、フェアチャイルドさんが目を覚ました時に僕の姿が見えなくても心配はしないはずだ。
フェアチャイルドさんを起こさない様に静かに部屋を出て、宿を出る。
空はまだ暗く星が輝いていて街灯が道を照らしている。
季節的には温かくなってきているとはいえ今の時間帯はまだ寒い。
ちょっと肌寒いので魔法で暖かい空気を作り出してから預かり施設へ向けて足を動かす。
今日いつもよりも早い時間に起きて預かり施設に向かうのには理由がある。
その理由とはアースの体臭を消す為だ。商隊で固まって動く為荷物を引く動物になるべく怯えられない様にしなくてはいけない。
僕達自身も一応消臭はしておくけれどアースの身体は大きいから消臭されきるのに時間がかかる。その為の早起きだ。
今日の出発は朝の八時には依頼主と共に東の検問所前に集合してなくてはいけない。
依頼主であるゲルウスさんとはこの預かり施設で待ち合わせをする事になっているからそれまでに終わらせないと。
小屋の中に入るとまず最初にゲイルが反応した。
床に寝ていたゲイルは扉が開く音で起きてしまったのかすぐに警戒体勢を取った。
ゲイルの早業は偶然入った時に明かりがゲイルのいる辺りを照らしていたから見れたんだ。
入って来たのが僕であった事を確認するとゲイルは気が抜けたように警戒を解く。
ゲイルはまだ野生の習慣が抜けていないんだろう。中々頼もしいじゃないか。それに比べて他の仔達は……。
「おはようゲイル」
「きー」
僕達が声を出すと寝ているはずのナスの耳が動いた。
耳がゆらゆらと揺れた後瞼が開き赤い瞳を晒した。
「ぴー……」
重たげに鳴いた後ナスはゆったりとした足取りでくっついて寝ていたヒビキをその場に置いて僕の元へやってきた。
そして、二足立ちして僕に自分の鼻を当てて匂いを嗅いでくる。
「んふふ。おはようナス」
「ぴー……」
まだ眠そうだが耳をパタパタと動かしながら返事をする。
ナスの身体を支えつつ頭を撫でた後、ナスに離れて貰ってヒビキの元へ行く。
ヒビキはまだ眠っているようで瞼を閉じたまま動かない。
「ナス、ゲイル。ふたりはヒビキの事見ててあげて」
「ぴー」
「きー」
ヒビキをふたりに任せ次はアースへ近づく。
おはようと声をかけると瞼が開かれた。
寝息の音はしていなかったからきっと起きていたんだろう。
「アース。お香使うけど大丈夫?」
「ぼふっ。ぼふぼふ」
どうせならいい香りのするものを使って欲しいとアースは言う。
「ごめんね。さすがにいいお香って高いんだよ。」
僕はお香の材料と壺を荷物の中から取り出し、壺の中に材料を入れてからアースの足元に置く。
「じゃあ焚くから我慢してね」
「ぼふー」
アースのやる気を感じさせない返事を聞きながら煙が小屋の外に漏れ出ない様にウィンドウォールで風の壁を作ってから、壺の中に材料に火を点ける。
魔獣にかかるお金、特に魔獣達は食事を必要としない為食事はあくまでも嗜好品として僕がお金を出している。
預かり施設の利用料金も僕のお金から出ている。というか中級として駆け出しの僕らでは共有資産から出していたらいくらあっても足りない。治療士としての報酬があるからこそ料金を払えているんだ。
一応お金がかかる分はアースに重い荷物を運んでもらってる事によって相殺しているという事になっている。
そして、今使っている消臭用のお香は仕事に支障が出てはいけないからと共有資金から出して貰えているのだが、香りのつく高価なお香を共有資金から出して貰うというのには少し抵抗がある。
だからと言って自分のお金から出すのも将来の事を考えると二の足を踏んでしまう。
そもそもの話、香水のような小さな容器に入っている物でも金貨一枚するなんて事がざらだ。ただの消臭用のお香だって安い物ではないんだ。
お金を溜めなければいけないのにこれ以上お金をかける訳にはいかない。
アーク王国と東の国々では物価が違う。
ミサさんの話では大体四割ほどフソウの方が物の値段が高く、国によっては二倍の差があると言っていた。
この物価の差の原因と思われるのは食料品の安定供給の差だ。
東の国家群では三ヶ国同盟程魔法が発達しておらず、精霊がいない国では農業で魔法を使い耕す、みたいに使う事が無いらしい。あっても水を撒くくらいだとか。
さらに神聖魔法の研究成果が民に降りてこない事と魔力が少ない人が多いためブリザベーションを使える人が少なく食料品の輸送費や保存などにお金がかかり結果三ヶ国同盟よりも値段が高くなってしまっている。
食料は人が生きていくのに必須の物だ。食費の値段が上がってしまえば連鎖的に様々な物の値段が上がる。
人を雇うにしても食費を賄えない給料では人は寄ってこない。給料を上げれば人件費がかさむ。増えた人件費を払うには商品の値段を高くする。
そんな感じで食料の値段によって物価の差が出たのが三ヶ国同盟と東の国家群だ。
ただし、食費が高い反面、鉄みたいな武器防具に使う金属等の三ヶ国同盟で手に入りにくい物に限っては違う。そういう物は輸入に頼っている面が多くさすがに三ヶ国同盟で購入する方が高くなってしまう。
例えばグライオンの有する鉱山から金属は取れているのだが、軍に優先的に回されるため冒険者には質の悪い物以外は滅多に手に入れられず、質のいい物を手に入れようと思ったら輸入品に頼るしかない。
その輸入品も東の国家群では大きな橋を渡る時や国同士を分ける関所、大きな都市の出入りでもお金を取られてしまうから値段が上がるんだ。
学校でフソウの事を勉強した時に物価の差はきちんと習ったので僕達はそれを踏まえてお金を溜めている所だ。
目標はひとまず共有資産で金貨十枚。治療士の仕事が来ればそこまで無理な数字じゃない。
目安として設定している期限までに届かなかったとしても目標金額に届くまで働けばいいんだ。
一応予定している期日までにお金が貯まっても期日までは働くつもりで。
十枚を越えた分は予備資金としてまた別途に溜める予定で、この予備資金がどれだけ溜められるかは分からない。
だけど予備資金はお金を落とした時や盗まれた時の緊急時のお金として使う予定だ。なるべく溜められるよう頑張らねば。
お香で消臭をしている間に他の三人も起きて荷物を持って小屋にやって来た。
三人も僕と一緒にお香が切れるまで待ち、お香から煙が出なくなるとウィンドウォールを消して換気をする。
そして、後片付けを終えると食事の時間となった。
前もって宿の亭主に頼んで昨晩の内に作って貰っていて、ミサさんが受け取っていた弁当を広げる。
今日は仕事の日なので体力をつける為にも量が多い。……多いのだが、ゲイルとヒビキが食べたそうに僕達の食事を見つめていて非常に気が散る。
仕方ないので魔獣達にも食べるかどうかを聞くと、ゲイルとヒビキは大喜びで口を開けてねだってきた。
ナスはそんな二匹に対して怒りの声を上げるが二匹は気にもしない。
怖い声で脅しても聞かない二匹にナスは早々に諦め自分の分のマナポーションを飲むのを再開させた。
アースはお弁当よりも購入しておいた食材の方が食べたいようだったが、さすがにそれは駄目だと言ったら素直に引いてくれた。どうやら期待はしていなかったようだ。
食事を終えるとヒビキが僕に寄って来て抱っこしてとねだってきた。
準備は終えて後はゲルウスさんが来るまで暇なのでヒビキの希望通りにする
ヒビキを抱いたままゲルウスさんを待つために小屋の外に出て施設の入り口まで行く。
入口で待つ事数分。依頼主であるゲルウスさんが荷物袋一つを背負った姿でやって来た。
今回の商売で使う物はすでに預かり施設に全て預けてあるので持ってきた物は着替えか何かだろう。
僕はヒビキを抱いたままゲルウスさんの近くへ駆け寄った。
「ゲルウスさんおはようございます」
「おう、おはよさん。その抱いてるのも魔獣か?」
「はい。ヒビキって言います。ヒビキ、依頼主のゲルウスさんだよ。挨拶して」
「きゅー!」
ヒビキをゲルウスさんと向かい合わせると、ヒビキは羽を大きく広げ元気よく挨拶をした。
「おっ、ははっ、中々元気がいいじゃねぇか。今回はよろしくな」
そう言いながらゲルウスさんはヒビキの頭を撫でる。
「きゅーきゅー」
「張り切ってるねヒビキ。頼もしいな。それじゃあ行きましょうか」
「おう、そうだな」
まず最初に向かうのはゲルウスさんが借りている倉庫だ。
元々ゲルウスさんは預かり施設以外の商人組合が管理している倉庫を借りているのだが、今回はアースに幌馬車を引いて貰う為に預かり施設に荷物を馬車ごと預けている。
商人なら当然商人組合の倉庫の方が安く借りる事が出来る。冒険者自由組合の預かり施設のを借りてお金がもったいなくは無いかと聞いたが、ゲルウスさんはなんと冒険者自由組合にも登録していて割引を受けられるようだった。
元々お嫁さん探しの為に冒険者になっていたようでその時の身分証が残っていて、今でも時々依頼を受けてたりするんだとか。
そういう商人は珍しくないようだ。特に店を持っていない屋台経営をしているゲルウスさんみたいな商人は商売が上手くいかない時は組合で依頼を受けて生活費を稼ぐようだ。
ゲルウスさんと一緒に倉庫へ向かう途中、フェアチャイルドさんがヒビキ以外の魔獣達を引き連れて合流した。
実は姿は見せていないが僕の傍にディアナがずっといた。
そのディアナと連絡を取って合流してもらう事にしたのだ。
アースには今日は僕達の荷物を持って貰っていない。僕達の荷物は馬車で運んでもらう事になっているんだ。
目的の倉庫に着くとゲルウスさんは大きな戸を重たげもなく開き、馬車の姿を見せてくれた。
幌馬車の大きさはアースと同じ程度の高さで奥行きはアースの体長より長い。
荷物もまだ積み込まれておらず馬車の備品以外何もないの状態だ。
この馬車も商人組合からゲルウスさんが借りた物だ。馬はおらずアースが引く事になっている。
大型の幌馬車だけど、当初予定していた幌馬車と馬を借りるよりは大型の幌馬車一台を借りた方が安くなる。
何せ馬は魔獣でもない限りは食事が必要だからお金が総合的に高くつくのだ。
魔獣を借りようにも魔獣の貸し出しは猛獣使いか魔獣使いじゃない者には禁止されているのでゲルウスさんには借りる事が出来ない。
「じゃあ俺が中身の確認をするから二人が積み込んでくれるか?」
「分かりました。フェアチャイルドさん。頑張ろうね」
「はい! 頑張りましょう!」
フェアチャイルドさんは小さくガッツポーズを決めて答えた。元気があってよろしい。




