残酷な空想
『ばぁーーー!!』
「ききぃ!?」
料理をしていると木々の中からアロエの脅かすような大きな声と魔獣の驚いた声が聞こえてきた。
その後に魔獣は猛抗議の声を上げるがアロエの笑い声が響いてくるだけだった。
「何やってるんだろ」
そんな僕の小さな呟きに律儀に答えてくれたのはエクレアだった。
『昨日のミストラが脅かしてきた仕返しみたい。今度会ったら逆に脅かしてやるってアロエ張り切ってたから』
「それだけで済めばいいけど……喧嘩になって怪我とか負わせないかな」
『一応見張ってるから大丈夫。ねぇナギ。話は変わるのだけど、ずっと気になっていた事があるの』
「うん? 何かな?」
『ナギはパーフェクトヒールという欠損した身体を元に戻せる魔法を使えるのよね?』
「うん。使えるよ」
『それって生きた動物の肉を食材用に一部切り取って魔法で元に戻せば半永久的に食材を確保できるんじゃない?』
「うん。出来るよ」
エクレアの疑問は昔僕も疑問に思った事だ。
この魔法さえあれば家畜を殺さずに肉を取り続ける事が出来るのではないかと調べた事があった。
結果として食料難などの非常事態になったら食肉用の動物は身体の一部を切り取った後パーフェクトヒールで再生される事になる事が分かった。
あくまでも再生が行われるのは非常事態であり普段からそういう事をしている牧場は存在しないようだ。
理由としては三つ。
まず一つは何度も生きたまま解体される事に耐えられる動物はいないという事。
二つ目は生かしたくても肉は再生されても血は再生されないので血液の量が元に戻るまで待たないといけない。連続で解体と再生を繰り返してもすぐに失血死してしまうだけなんだ。
三つめは再生した部位は物凄く不味いという事。栄養をきちんと与え時間が経てば味は元に戻るようだが、それを普段からするぐらいなら最初から屠殺した方が精神衛生的にましだと本に書かれていた。
『ナギはそういう事やらないの?』
「……やらないよ」
『もしも、食料が無くて近くには魔獣達以外に動物の姿がなかったら、ナギはどうするの?』
「エクレア、朝からその話題はきついよ」
『……ごめんなさい。でも、旅に出るっていう事はそういう非常事態も考えないといけないと思うの。
貴女は魔獣を人と同じくらい大切にしてる。非常事態に陥った時貴女はどういう行動を取るか、人を取るか魔獣を取るか……正直今の私には判断がつかない。
だから今のうちに貴女という人間の事を少しでも知りたいと思ったの』
エクレアの表情は申し訳なさそうな表情になっているが、僕はサラサから注意されている。
精霊の外見はあくまでも作り物であり、自由にその形を変える事が出来る。たとえ笑顔を見せていても本心ではどういう感情が渦巻いているかは分かった物ではない。だからくれぐれも精霊の作る表情を信じるなと。
それを精霊自身であるサラサが言うのかとツッコミたくなったが忠告は素直に聞く事にした。
しかし、表情を作るのは人も同じだ。精霊だからと信じないなんて事をしていては信頼関係なんて築けないだろう。
「……はぁ。答えはご飯終わってからでいい?」
『構わない。辛い質問をしてごめんなさい』
エクレアは頭を軽く下げて僕の傍から離れていった。
僕はエクレアの後姿を見送ってから料理を再開させる。
まさかエクレアから聞かれるとは思わなかった。
この力をシエル様から授かった時から僕はずっと、エクレアに聞かれた状況になった時の事を考えていた時期があった。
考えずにはいられない。もしもの状況。僕にとっては最悪の状況。家畜について調べたのも同業者の人達が選択を迫られた時どんな答えを出し、どんな気持ちでいたのか知りたかったからだ。
だがそれを知る事は結局できなかった。治療士の自伝というのが無かったからだ。冒険者の自伝にも目を通したが、僕が読んできた自伝の中では魔獣もしくは動物を犠牲にしたというような記述は見られなかった。
きっと僕と同じような人間は少ないんだろう。動物使いか魔獣使いでパーフェクトヒールを使えるとなるとかなり限られていても不思議ではない。パーフェクトヒールを使える人は少なくないが決して多いと言えるほどではないし、大体は冒険者にはならず教会で神官をしているか国に仕えて魔物との戦いに傷ついた兵士や災害や事故で怪我した人を治す仕事についている。
はっきり言って治療士であり、魔獣使いで冒険者な僕の方が異端なんだ。
そこまで考えて僕は視点を変え冒険者に限らず動物使いや魔獣使いの自伝を読む事にした。
数は決して多くはなかったが、それでも先人達の動物や魔獣達への想いや接し方は参考になった。しかし、やはり僕の知りたかったことは書かれてはいなかった。
栄光や挫折、死による別れなどは書かれていたが非常時に食料にするという事に関して書かれている物はなかった。
頼る物を見つけられなかった僕はシエル様にも相談をしたのだが僕が考え答えを出すしかないと諭されてしまった。
そして、考えた。考えに考え、僕は答えなんてすでに出ている事を認めるしかなかった。
僕はきっと、極限状況に陥ったら魔獣達を犠牲にするだろう。僕一人なら……僕と魔獣達だけなら僕は水を飲んで限界まで耐えてそれでも駄目だった時は死を選ぶだろう。
だけど僕以外に人がいたら……僕の愛する人がいたら僕は生き残る事を選んでしまうだろう。
その事に気づいた時僕は泣いた。泣いて泣いて泣き疲れて日が経ち落ち着いてから僕はまだ出会って間もないアースの元に向かった。
きっとそばにいたら最初に手をかけるのはアースになるだろうと考えたから。
アースは身体が大きい分出血に対する限界致死量は高い……はずだ。
だから僕はまずアースにもしもの時の事を伝えに行った。
本当なら伝えるべき事ではないのかもしれない。もしもの時君の身体の一部を切り取って食べる、なんて言われて平気な人間はいないだろう。
それでも僕はアースに話をした。きっと後ろ向きな事ばかり考えていておかしくなっていたんだろう。
その時の僕はアース自身に選んで欲しかったんだ。僕の元から去るかどうかを。
アースは僕の話を聞き終わった後アースは僕の顔を舐めて言った。
そうならないよう精一杯頑張りなさい。そう言ってアースは瞼を閉じて眠りについた。
そうだ、その通りなんだ。起こるかどうかも分からない危機的状況を恐れ涙するよりも、そうならない様に僕は努めなければならないんだ。
僕はその時初めて自分は免罪符が欲しかったのだと気が付いた。
アース自身が選んだのなら仕方ない、そういう逃げ道を僕は欲していたんだ。
後悔と自責の念でその場で吐きそうになってしまった。だけど僕はその吐き気を飲み込んだ。
僕は吐いて楽になる事を拒んだ。この吐き気は自分の罪だ。吐き出すなんてとんでもない。僕はこの罪を忘れてはならない。
罪を飲み込み、眠りに入ったアースに向かって僕は絶対にアースに刃物を向ける様な状況にさせない事を固く誓った。
その頃からだったろうか? アライサスやナビィの食肉に対する拒否感が強くなったのは。出されれば食べてはいたけど自分から進んで食べようとは思えなくなった。
僕はその日からより一層知識を蓄える事にした。学校の依頼をこなしたり、身体を鍛えたり、ルゥネイト様の勉強をしたり、魔法関連の訓練をしたりとやる事が多かったが、それでも当時の僕はやり遂げた。
今考えてもよく身体と心が持った物だと思うのだが、先生からお願いされた下級生達との触れ合いがいい気分転換になっていた。……それにフェアチャイルドさんもいたし。
正直今でも覚悟は出来ているとは言い難い。最悪の未来を回避できるという自信だってない。
それでも僕はエクレアの質問に対する答えはすでに持っている。
僕は……僕自身の選択の結果としてアースから肉を分けてもらうだろう。
食事が終わって僕の考えをエクレアに伝えた後もアロエとミストラの声が森の中から聞こえてきていた。
喧嘩しているような声ではなくどちらも楽しそうだ。
『どうやら仲良くなったみたい』
様子を見ていたエクレアはそう教えてくれる。
「そろそろ出発するから伝えてくれるかな?」
『了解』
「ありがとう」
ふよふよと上下に揺れながらエクレアは森の方へと飛んでいく。
二人が戻ってくる前にバオウルフ様にも話を通しておく。
ナスはまだ上手く音を出せないようだが教えてもらうのはここまでだ。
ナスは残念そうにしながらもバオウルフ様にお礼を言いながらお辞儀をした。
すぐに去ろうとするバオウルフ様を僕は引き留める。
「バオウルフ様。ちょっと待ってください」
僕は急いで料理前に材料の入った袋の中から別に分けていた食材を取り出す。
取り出したのはグランエル周辺では珍しいカッパーというこぶし大の丸い果物だ。アースに乗せてもらい急ぐ等のお願いを聞いて貰った時にお礼として出したりもする果物だ。
北方の果物なのだが、きゅうりの様に味は薄いが歯ごたえが良くてサラダの付け合わせとかによく使われている。
アースはこれを数個丸ごと口に入れ食べるのが好きなのだ。
バオウルフ様はお気に召すだろうか?
「これはナスに教えてくださったお礼です」
『これは……野菜ですか?』
バオウルフ様は僕の手の上に乗ったカッパーに鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「一応木に生っていて種も入ってるので果物です。カッパーという名前で、歯ごたえは野菜に近いですがほのかな甘みがあるんですよ」
『なるほど。それでは有難くいただくとしましょう』
バオウルフ様はぱくりと丸ごとカッパーを口の中に入れ咀嚼を始める。
『おお、これは……普通の果物とは違い野菜によく似たシャキシャキとした食感。それでいて野菜の様に苦味はなくほのかな甘さと植物独特の爽やかな香りが口の中に広がる。これはいいものですね』
咀嚼しながら話しているが、バオウルフ様は空気を操って話をしているからお行儀は悪くはない……と思う。
「お口に合いましたか?」
『はい。とても』
「ではナスに教えてもらうお礼としてはどうでしょう?」
『十分です』
「よかった。ナスの事これからもお願いします」
『任せてください、と言いたい所ですがもう教える事はありません。もう音を出す事は出来ているので後はただ練習をするのみです』
「そうだったんですか……」
『ええ。それでは私はこれで。また会えることを楽しみにしています』
バオウルフ様はそう言って僕達に後姿を見せて去って行った。
「さて、僕達もそろそろ……」
「ぼふんっ」
ふいに背中が軽く小突かれた。アースだ。振り返ってみると右前足で地面を何度も踏み鳴らしていた。
「ぼふんぼふん」
どうやらカッパーを勝手に上げた事に怒っているようだ。別にアース用の食料じゃないんだが。
「ごめんごめん。都市に戻ったら探して買ってくるからね?」
鼻横をなだめる為に撫でるとアースは不服そうに鼻を鳴らした。
「ぼふぼふ」
「いやいやいや。一個渡しただけだからね? さすがに樽一個分なんて買えないよ?」
北部の果物だから南部で買うと結構高いのだ。
「ぼふふん……ぼふ」
アースは仕方ないわね、とため息をつきながら首を振った。
これは僕が悪いのだろうか?
ナスのステータスのMPの桁が間違っていたので修正しました。




