小さな氷の結晶
目が覚めると辺りはまだ暗い。空を見て月の位置を確認すると日の出までまだ時間がある。
焚き火はディアナが面倒見てくれているおかげでまだ火が夜を照らしている。
毛布は被ってるけど焚き火とナスのお陰で暖かい。
朝まではもう少し時間があるけど僕は起きてディアナを探す。
「ナギ、起きたの」
「うん。おはよディアナ」
ディアナは焚き火を挟んだ向こう側で枯れ木を手に持って地面を突いていた。
そう言えば今この場には精霊はディアナ一人で睡眠を取らないのもディアナ一人だ。僕達が眠っている間ディアナは一人でいたんだ。
「ありがとう。火の面倒を見てくれて」
「ん」
「ぴー……」
「あっ、ナス起きちゃった? ごめんね。うるさかった?」
「ぴぃ」
僕のすぐ横で寝ていたナスは耳をピンと立てて僕の頬に鼻を押し当ててくる。
「ぴー」
「うん。おはようナス」
ナスは僕から離れディアナにも鼻を押し当て挨拶をする。
「ディアナ、おはよう」
「おはよう」
ディアナはポンポンとナスの頭を軽く叩き挨拶を返した。
僕達はそのまま朝日が昇るまで他愛もない会話を交わし時間が過ぎるのを待った。
朝日が昇るとちょうどお腹が減って来たので食事の支度をする。
朝食は鉄の小さなお鍋で作る肉と野菜を入れた血のスープだ。血は調味料と共に固め乾燥させた物で熱湯の中に入れるだけで溶けてスープにできる。
味は少しえぐいけれど塩分が取れるし、辛い調味料が混じっているおかげであまり気にならない。
食事を終えたら軽く体操をして今日もナスの背に乗り先を急いだ。
ナスに乗って五日。僕達はミスリエルに辿り着いた。すぐに役所に行き依頼人の居場所を確認する。
元々ミスリエルにやって来たのは遠方にいる依頼人と互いに早く合流する為に定めた暫定の目的地だからだ。
予定よりも早くミスリエルに辿り着けた僕はさらに合流までの時間を縮められないかの確認をしたかった。
ただし、精霊術士のいない村にいると合流するのが難しくなるのでその手前の都市で待つのが確実だろう。
連絡士を行っている精霊術士と言うのは案外数が少ない。少なくとも全ての村を網羅できるほど数はいない事は確かだ。
これは連絡士にならない精霊術士が多いというのもあるが、精霊との契約の難しさも関係している。
基本的に気難しい精霊は相手の人間の事が気に入らないと契約する事はない。
そして、大概の精霊は気に入った人間一人を決めたらそれ以外とは契約したがらないんだ。
例外と言うか当てはまらないのが学校で契約してくれる授業に協力してくれている精霊だ。
その精霊だってアールスのように卒業しても続いているというのは珍しい。普通は卒業と共に精霊の方から切られてしまうんだ。
フェアチャイルドさんのように複数の精霊と長く契約できているのは本当に数が少ないと、サラサは得意げに語っていたっけ。
……精霊側の匙加減一つな気もするのだけど。
とにかく、そんな訳で連絡士のいない村の方が圧倒的に多い。
都市の場合は役所で高給で雇っているから何とか全ての都市に行きわたっているというのが実情で、村で常時雇えるほど余裕のある所はそうそうないはずだ。
依頼人とすれ違わないように都市で待った方が確実ではある。
役所で依頼人の場所を確認すると買い物をして都市を飛び出した。
そしてさらに一週間が過ぎた。無事患者を治す事が出来た僕は急いで戻りようやく今日ティマイオスが見える所までやって来た。
行きよりもさらに早いペースで、ナスの身体にかかる負担は心配だが本人は平気だと言って速度を落とす事はしようとしなかった。
念の為朝走る前と夜走り終わった後に異常が無いかを『解析』の魔法石を使い調べて『インパートヴァイタリティ』で僕の生命力を分けておく。
ナスはHPが少ないから病気に気を付けなければならない。
身体の危険度を表すHPは病気への免疫力の高さにも影響している。
ナスは体力が高いけれど、体力と言うのは回復力に関係するが病気への耐性となると一度病気にならないと効果が出ない為油断はできない。
……もっとも、魔獣が病気になったという話は聞いた事がないんだけれど。
ナスは今日も元気に、そして楽しんで僕を乗せ走っている。
それにしても雲行きが悪い。雨が降るかそれともこの冷えよう……雪が降るかもしれないな。
今の調子なら雪が本格的に降り出す前にティマイオスに着けるだろう。
「ナス。もうそろそろ着くけど体調は大丈夫?」
「ぴぃぴー」
心配し過ぎと怒られてしまった。
だって仕方ないじゃないか心配なんだから。
「ナギ、レナスが都市の外で待ってるって」
「ええ? なんで?」
「一刻も早く会いたいからでしょ。この二週間レナスずっと泣いてた」
「え!?」
そんなに寂しかったのか? でもカナデさんがいるし……。
「嘘」
「は?」
「泣いてはいない。寂しがってはいたけど」
「そ、そっか……そういう嘘はやめてよ。心臓に悪いからさ」
「ナギの心臓は子猫のよりも小さい」
「自覚してるから言わないで」
「レナスを寂しがらせた罰」
「それを言われると弱いんだよ……」
出張しているお父さん方も僕と同じ心境なのだろうか?
「でもナギもお仕事だし仕方ない」
「そう言ってくれると助かるよ。貴重な収入源だし」
僕達は都市の入り口に近づくまで軽口をたたき合った。
検問所の前まで行けばフェアチャイルドさんの姿はすぐに見つけられた。すぐ横にはカナデさんもいる。
ある程度まで近づいたらナスから降りて手を振る。
するとフェアチャイルドさんは駆け足で僕の方へ向かってきたので僕も同じように駆け足で彼女の元へ急いだ。
「ナギさん。ディアナさんお帰りなさい」
『ナギーディアナーお帰りー』
「ただいま」
フェアチャイルドさんは僕の手を取りぎゅっと握ってきた。
サラサのおかげか寒空の下だけれど彼女の周囲は温かく手も僕の手に温もりを分けてくれた。
「寒くはなかったですか?」
「ナスがいたから大丈夫だよ。夜はディアナが火の面倒を見てくれたし。フェアチャイルドさんこそ体調崩してない?」
「はい。大丈夫です。ディアナさん。ナギさんを助けてくれてありがとうございます」
「僕からもありがとう」
まだ僕の肩にしがみ付いていたディアナは僕から離れ何でもない風に返した。
「ナギに何かあったらレナスが悲しむ。ただそれだけだから礼はいらない」
「そっか。でもそれでも僕はお礼は言うよ?」
「ナギは頑固」
ディアナはジト目になり僕を睨んでくる。
苦笑して視線をフェアチャイルドさんの後方に移すとカナデさんがゆったりとした足取りでこっちに向かってきていた。
「じゃあ僕はカナデさんにも挨拶するから」
「……はい」
フェアチャイルドさんは手を放す前に僕の手を強く握った。
彼女の手が離れる際少しだけ、ほんの少しだけもう少し繋いでいたかったなどと考えてしまった。
僕はそんな考えを振り切るように速足でカナデさんの下に向かった。
「カナデさん。ただいま戻りました」
「お帰りなさいアリスさん~」
「僕のいない間どうでした?」
「特に変わりはありませんでしたよぉ。少しレナスさんに元気がなかった事を除けばですけど~」
「そうですか……」
カナデさんの言葉を確かめるように後方のフェアチャイルドさんの方を向いてみると、彼女はナスの頭を撫でていた。
顔を前に戻し次は都市の中に視線を移す。
「アースとヒビキはどうですか?」
本当はヒビキも連れて行きたかったけれど、荷物に余裕がなかったし、ナスでの長距離移動中に落ちないか心配だった為連れて行くのは断念した。
アースの方は単純に連れていくには街中の道を選ばないといけないので時間がかかるからだ。足の速さではナスの方が勝っているし、今回の長距離移動でも体力面では問題ない。
「ヒビキちゃんもやはり元気がないですねぇ。アースさんが面倒を見ていましたけど……でも、私が抱っこしてあげると少し元気を取り戻してくれましたよぉ」
「ヒビキは柔らかい相手がいないと不安になりますからね」
ヒビキは良く胸に抱き着いてくるが決してエッチな目的で柔らかさを求めていない。
あくまでも同族が恋しくてやっているだけに過ぎない。
そうじゃなくちゃナスに懐かないだろう。
ナスとヒビキは本当に仲がいい。
ナビィは元来巣穴で成獣になるまで家族と身を寄せ合い生きていく動物だ。きっとナスもヒビキと同じような習性を持っていて気持ちが分かるんだろう。
そして、きっと家族がいない気持ちも。
挨拶が終わるとフェアチャイルドさんはナスを連れて僕達の傍へやって来た。
その時、僕とフェアチャイルドさんの間に白い物が落ちてきた。
落ちてきた物を確かめる為に僕は空を見上げる。
「雪だ」
白い雪が暗く重たい雲から落ちてきている。
しかも徐々に雪の量が増えている。
僕は魔力を操り雪の一つを確保してすぐにブリザベーションをかけ目を凝らして雪の形状を確かめてみる。
この世界でも雪は六角形の氷の結晶だった。
「フェアチャイルドさん」
フェアチャイルドさんも空を見上げていた。僕が声をかけた事によって僕の方を向いた。
「僕の指先をよく見てみて」
結晶を人差し指の先に乗せてフェアチャイルドさんによく見えるように差し出す。
「なんですか? ……何かあります」
「これはね氷の結晶で雪の正体なんだよ」
「これが? こんな小さな物が……」
「うん。これが積もりに積もって辺り一面を白くするんだ」
「……すごいです。こんな小さな物が一杯降ってくるなんて。
どうしてそんなに一杯降ってくるんですか?
これは六角形をしていますが他の雪もすべて同じ形何ですか?
どうしてこれは六角形の形になってるんですか?
どうしてこんなに小さい氷の結晶が空から落ちてくるんですか?」
「落ち着いて? 分かる事は教えるから。とりあえず宿でね? アース達にも帰ってきた報告しないといけないとだし」
目を輝かせて詰め寄ってくるフェアチャイルドさんを苦笑をしつつ押えると、彼女は驚いた顔をした後少し恥ずかしそうに俯いた。
「そ、そうですね」
「じゃあ行こうか」
「はい!」




