旅立ちの準備 前編
グランエルを発つ前に一日だけ各々自由行動を取る事にした。
理由はナスがアイネ達と話をしたいと言い出したからだ。
一応授業がある日なので話が出来るのは朝か夕方だけだ。なのでどうせだからと、朝早くにナスと僕の二人でグランエルを出てリュート村に行きルイスに会い、昼食後すぐにグランエルに戻りアイネ達と会う事にした。
フェアチャイルドさんも一緒にリュート村まで行きたがったけれど、今回は速さ重視という事で遠慮してもらった。
そう、今回僕はナスに乗ってリュート村まで行く事にしたのだ。
ナスは僕よりも非常に足が速い。職業に就いたおかげか人一人乗せても速さに影響が出ないとなると、利用しない手はないだろう。
食料とお土産という最低限の荷物だけを持って都市を出る。
「ナス。頼んだよ」
ナスに跨ってかかる体重が偏らない様に体勢を整えてからナスの首輪を軽く撫でた。するとナスは力強く答えてくれる。
「ぴー!」
走り出すと景色が徐々に後方へ流れていく。
どれくらいの速度だろう。かなりの速度を出しナスの背は非常に揺れるけれどやはり苦しさは感じない。これも神様の加護なのだろうか。
ただ風が鬱陶しいので魔法で風の流れを操り、流線形の風の結界を作る。
これで楽になった。
風の抵抗が無くなったからか速度がさらに上がっていく。
……落ちたら命はないかもしれない。
ナスを掴む手と挟んでいる太ももに力が入る。ああ、ついでにライトシールドも使っておこう。
今は試験運用みたいな物だからいいけれど、後で注意しておかないといけないかもしれない。
カナデさんならいくら速度を出しても振り落とされないかもしれないけれど、もしもフェアチャイルドさんが乗る事になったら……彼女はどれくらいの速度まで乗っていられるだろう。
職業『騎獣』の補正がどのような効果なのかも分かっていないんだ。
少なくとも騎乗者の酔いとナスの身体への負担は軽減されているだろう事は分かっている。
疑問なのは安定性だ。今の所かなりの速度を出しても僕は安定している。これは職業における恩恵なのだろうか?
この状態で試してみるか? いやいや、さすがにそれは怖い。もっと速度を落として貰ってから試した方がいいだろう。
何にせよこれからもナスの背に乗る機会があるのなら鞍や手綱のようなものは用意した方がいいかもしれない。
用意をするのは首都についてからでいいだろう。僕達は首都でしばらくゆっくりするつもりなのだから。
それにしても視界が上下しながら景色が流れていくのは前世含めてもはじ……あっ、いや違うな。メリーゴーランドで体験したっけ。
馬には乗った事ないけれど本当にあそこまで上下する物なのだろうか。歩いている所や馬車を引いている所を見ている限りは上下しなさそうけど、走っているとやはり違うのだろうか。
……馬に乗る前にナビィに乗っているのか僕は。そもそもナビィに乗るって冷静に考えて変じゃないか?
今走っている場所は街道から外れた場所だから目立っていないけれど、これが人目に付く場所なら人からどういう目で見られるのだろう。
僕はまだ小さいから言い訳できるけど大きくなったら傍から見たら動物虐待じゃないか?
そもそも大きくなったら乗りにくいし……いや、だからこその鞍と鐙か?
基本は立ち乗りをすれば乗りにくい問題は解決されるか。
見た目の問題は……ナスが乗せたがるし我慢してもいいかな。速いのは事実なんだし。
そんな事を色々考えているうちにリュート村に着いた。
本当にあっという間だった。確実に一時間も経っていない。三十分経ったか経っていないかくらいではないだろうか。
「ナス、身体に異常はない?」
「ぴー」
念の為に聞いておいたがやはり加護のお陰だろう。ナスはどこも身体を痛めていないようだ。それとも意外と魔獣になったナビィの身体は丈夫なのだろうか。
なんにせよ問題が無いの喜ばしい事だ。
「すごいすごい」
抱きしめながら身体の毛をわしわしと撫でる。
うん。柔らかい。相変わらずいい毛並みしてますね。
ナスも撫でられるのが嬉しいのか僕の肩に頭を乗せ長い耳をぱたぱたと動かしている。
ああ、このままナスを抱っこして歩いていきたい。ふわふわのもこもこを堪能しつくしたい。
でもさすがに短い距離ならまだしも村の入り口から家までナスを抱っこしていくのはきつい。
抱っこするのは諦めナスを離した。
歩き出した僕達は家に向かう途中出会う村人に挨拶と世間話をしたため少し時間を取ってしまった。
家の前に着くといつものようにナスを綺麗にしてから中に入る。
「ただいまー」
「ぴー」
「あら」
お母さんの驚いた声が聞こえてくる。
ルイスはいないのだろうか? いいや、唯反応が遅れているだけの様だ。
ルイスは椅子に座って前来た時に僕が作った氷の玉をテーブルの上で転がして遊んでいたようだ。
僕達に気づいたルイスは口をぽかんと開けてから大きな声を上げた。
「ナスだー!」
転がっている氷の玉を置いてナスの方へ駆けてくるルイス。
お母さんは仕事の機織りをしているため動けそうにない。僕は急いでテーブルから落ちそうな氷の玉を確保するために動いた。
そして、テーブルの淵の所で止める事が出来た。
「アリス、お帰りなさい。今日はどうしたの?」
機織りを動かす手を止めずにお母さんが聞いてきた。
いつもよりも少しぶっきら棒だけれどそれは機織りをしているからだ。
「ん。明日グランエルを離れて中央まで行くから、その報告に来たんだ」
「……そう。行くのね」
「厳戒注意が出ちゃったからその分遅れたんだよね」
「他の子は?」
「今日は僕とナスだけ。僕達もお昼ご飯食べたらすぐにグランエルに帰る予定なんだ。あっ、お土産テーブルの上に置いておくね。後お昼は自分の分は自分で用意したから要らないよ」
「ええ、分かったわ」
ルイスの方に視線を移すと、ルイスは早速ナスの背に乗っている。
相変わらずのお姉ちゃんガン無視である。
いいんだ。ナスとルイスが仲良くしてくれるならそれで。
「ルイス」
「あっおねーちゃんおかえりなさい」
ナスに乗ったまま頭だけを下げる。何ともぞんざいな挨拶の仕方だ。ここはキチッと年長者らしく躾けねばなるまい。
「ルイス、ちゃんとナスから降りて挨拶しなさい」
僕が何かを言う前にお母さんからお叱りが入った。
ルイスは頬をちょっと膨らませるけれど、ナスを見るとプシュッと口から空気を出してナスから降りた。
ナスの前で我儘言いたくなかったのかな?
「おねーちゃん。おかえりなさい」
たどたどしくちょっと棒読みっぽかったけれどまぁいいだろう。
「うん。ただいまルイス。ルイスにね、お土産があるんだ」
テーブルの上に置いた物とは別のお土産を背負い袋からだす。
「おみやげ?」
「うん。ルイスは気に入ってくれるかなー」
ルイスはお土産という言葉にピンと来ないようだが、僕が何を出すのかは興味があるようだ。
「はい。これ」
手渡したのは僕が作ったぬいぐるみだ。この国主流の木で出来た人形ではなく布で出来たヒビキとほぼ同じくらいの大きさのぬいぐるみ。しかもナスのぬいぐるみだ。
「ナスだ!」
「んふふ~。よく分かったねー」
自分でも自画自賛したくなるほど良く出来たぬいぐるみだ。分かって当然か。
これはここ最近暇な時に作っていた物だ。元々は僕がヒビキを抱いている時にカナデさんからの視線を躱す為にヒビキのぬいぐるみを作ろうとしたのがきっかけだった。
だが、ヒビキのぬいぐるみは出来上がった時点で問題が発生した。
それは、出来が良かったからなのかヒビキが本物の仲間だと思ってしまったという事。
何度も説明したのだがヒビキは理解……というよりは納得か。納得をしてくれず僕はこのままでは不味いと思いヒビキのぬいぐるみを隠した。
ヒビキは突然消えた仲間を探しに行こうとしたがそれは何とか説得し阻止する事が出来た。
ヒビキのぬいぐるみはもう二度とヒビキの目に入らない様に密かに燃やして処分した。
仲間を失ったヒビキの姿を真似たぬいぐるみを作った事に僕は後悔した。
ヒビキにも辛い思いをさせてしまった。もう二度とヒビキのぬいぐるみを作る事はないだろう。
その出来事の後僕は代わりにナスにきちんと説明をしたうえで許可を得てナスのぬいぐるみを作る事にした。
そして作っている最中にそうだ、ルイスやアイネ達の分も作ろうと思いついて作ったのが、ルイスに渡したぬいぐるみだ。
残念ながらアイネとミリアちゃんの分はまだ出来ていない。後で配達で送る事になるだろう。
ブリザベーションがかかっているから相当乱暴に扱わない限りは一年は品質は保証される。
流石にヒビキの時の様にはならないだろう。
これで寂しさを紛らわせればいいんだけど。
「ありがとうおねーちゃん!」
先ほどよりも実に心の籠ったおねーちゃんだ。
「大事にしてあげてね?」
「うん!」
ルイスはぬいぐるみのナスを両腕で抱きかかえナスに見せつける。
「あっ、ルイス。ナスね、頑張って話せるようになったんだよ」
「えっ!?」
ナスには僕が説明するまで話さない様に言い含めている。
動物がいきなり人の言葉を話したら怖いだろう。僕はそういうサプライズは好きではない。
だからまずは僕から話せる事を教える事にしたんだ。
「ほんとー?」
首だけではなく上半身ごと傾げて尋ねると、ナスはたどたどしくゆっくりと返事をした。
「本当、だよ」
「しゃべった! おかーさんなすがしゃべった!」
「へー? すごいわねー」
まるで信じてなさそうな声色で返事をするお母さん。多分僕が腹話術のような事をしてるんじゃないかと疑っているんじゃないだろうか。
ナスの声は僕の声を真似ているらしく、フェアチャイルドさんやカナデさんからはそっくりだと言われている。
だから機織りに集中しているお母さんはそう思い込んでも仕方ないか。
「ルイス、僕、話す、嬉しい」
片言の様にゆっくりで途切れ途切れなのは自分の鳴き声を固有能力でいちいち言葉に変えている弊害で、あまり長文は話せない。
「ナスはね、ルイスみたくあんまり早く長くは話せないんだ。だからあんまり急かさないでゆっくり聞いてあげてね」
「うん! えへへ、ナス。るーのことすき?」
「すき! ルイス、すき!」
「うわぁ! るーもナスのことすき!」
ぬいぐるみを持ったままナスに抱き着くルイス。
ナスは耳をパタパタと動かす。
「ルイス。そろそろお外で遊ぼうか? お母さん。ルイス外に連れて行って大丈夫かな」
「そうね、アリスが見てくれるなら家の周りまでならいいわよ」
「分かった。じゃあルイス。外行く?」
「ナスにのっていい」
「ナス?」
「ルイス、乗る、嬉しい」
「だって」
「えへへー」
外に出て家の裏でナスとルイスが遊び始める。
その時間はあっという間に過ぎお昼になった。
太陽が頂点に達した所で僕はルイス達を連れて家へ戻る。
お母さんがお昼ご飯の支度をしていたので手伝いをする。
僕のお昼は台所を使わなくて済むようにお弁当を用意してあったのでお母さんの手を煩わせることはない。
お昼が出来るまでの間ルイスはぬいぐるみも入れてナスとおままごとをしていた。
料理が終わると丁度お父さんが帰って来た。
お父さんは僕が帰ってきていた事に驚いていた。事情を説明すると気を付けろよとぶっきらぼうに言われた。
食事の最中ルイスがナスが喋るようになったと言い出し両親から失笑を買っていたが、すぐに驚きの表情へと変わった。
ルイスはそんな両親の表情を見てくすくすと笑う。
食事が終われば少し休んでからお別れだ。
ルイスは食後で眠そうにしながらもナスとの別れを惜しんだ。
大事そうにナスのぬいぐるみを胸に抱きながらナスの頭を撫でる。
「ナス、かえってくるよね?」
「うん。僕、帰る。ルイス、いる、家」
別れを交わした後僕は行きと同じようにナスに跨りグランエルへ戻った。




