壁の向こう側
「フェアチャイルドさん。壁が見えて来たよ」
ルルカ村を出た僕達は前線基地に見に行こうという話しになった。僕はすでに前線基地を見たのだけど、フェアチャイルドさんはまだ見た事が無く僕だけが見ているというのも何となく寂しい。そんな理由で前線基地行きを提案してみたところ受け入れられた。
同じ場所という訳にはいかないけれど前線基地なのは同じだ。しかも内部はまだ見ていない。研修の旅の件もあるし中には入れるはずだ。
そんな訳で依頼をこなしながらひたすらに東に向かい途中少し南下をしながら歩いた。
そして、今日ようやく石壁が見える所までやって来た。前線基地へは別に戦いに行くわけではない。なので戦闘の第一報が届く前線基地の手前の村で安全を確認はしている。
「大きいです」
南は大森林まで。北は北方に広がる沼地まで続く石の壁。
アーク王国としては最南東端に位置する前線基地が僕達の目的地だ。
後方支援用の建物も見えてきた。
今の所僕には異常は見えない。ヒビキに飛んで偵察して貰おうにも当の本鳥は僕の腕の中で全体重を僕に預けて眠ってしまっていて頼りにはなりそうにない。もっとも、火の鳥になったら騒ぎになってしまうか。あれは結構目立つのだ。
カナデさんが両手を双眼鏡の様に筒状に丸めて目に当てがい壁やその周辺の辺りをじっくりと見渡す。
「ん~、火の手も上がっていませんし、人も壁の上には上がっていないようなので異常はなさそうですね~」
「ぴー!」
カナデさんとナスのお墨付きも出た。
二人の目による索敵能力には差がある。
カナデさんは視野が広く動体視力もいい。
何よりも色の識別能力に優れているらしく、遠くの空に溶けかかっている薄い煙の色さえも見分ける事が出来るらしい。
ナスは一定の距離なら顔の横に目がついている為視野はカナデさんよりも広い。
しかし、視力自体はあまり良くなく能力で補正を付けないと遠くまでは見えない。
能力を使ったとしても望遠視すると距離に従って視野が狭くなるので遠くを満遍なく見るという事ならカナデさんの方が上ではないだろうか。
ただナスには優れた耳と鼻があるから総合的にはナスの方が索敵能力は高い。
二人の索敵結果で安全だと判断し僕達は歩みを進める。
時折フェアチャイルドさんがいつものようにヒビキを羨ましそうに見てくるが今日は僕がヒビキを抱っこする日なのだ。渡しはしないよ。
前線基地を囲う壁の門の前まで行くと門番らしい人達が誰何してきた。
組合で貰った身分証明証の板と研修用の紙を見せてここに来た理由を説明する。
何故か僕の板を見せた時変な顔された。やはりこの年で魔獣使いは珍しいのだろうか?
二人いた内の一人が中に入っていき、僕達は外で待たされる事になった。
残った門番さんが緊張した面持ちでアースを見ている気がする。やはりアースは他の人から見たら威圧的なんだろうか。結構かわいい仔なんだけど。
アースもそんな風に見られるのは心外なのか失礼しちゃうわねと鼻息を荒立たせた。
アースを宥めつつ待っているとやがて門が開いた。
先ほどのもう一人の門番と一緒に新たな兵士が一緒にいる。
新しくやってきた兵士はカナデさんを見ると視線が胸の方に行くのが分かった。なるほど、こう見えるんだ。
鼻の下を伸ばしたままへらへらと笑いカナデさんに話しかけてくる。どうやら案内役の様だ。僕とフェアチャイルドさんは眼中にないようだ。でも一応フェアチャイルドさんは僕の後ろに隠しておこう。
門番の片方は呆れ顔をして、もう片方は羨ましそうににやついている兵士を見ている。
カナデさんは笑顔で対応している。けど普段のカナデさんを知っている僕達からしたらその笑顔は外様用の営業スマイルだという事がよく分かる。
カナデさんは男性と話すと緊張するようで、依頼人が男性だった時、会った後によく緊張を解す為のため息をついている事に僕は気づいていた。僕もよくやるため息だ。
ここは少しでも安心させなければ。
兵士の説明が終わり歩き出す前に僕は動いた。
微かに震えているカナデさんの手を取ってみる。
カナデさんは驚いたように僕の方を見て、微かに微笑む。僕も微笑み返すと口元を小さく動かし営業スマイルに戻った。
「むー」
後ろからうなり声が聞こえてくる。フェアチャイルドさんが兵士に対して威嚇しているのだろうか? 後ろにいるので確認できない。
門をくぐるとそこには五階建ての大きな建物が聳え立っていた。外からも見えてはいたけれど、五階建ての建物というのは都市にはなかった高さだ。
ここでの僕達の仕事は簡単な荷物運びや食事の用意等の雑用だ。
魔獣達はここで待たせるように言われた。少し名残惜しいがまだ寝ているヒビキをナスに任せる事にする。
冒険者見習いが前線基地で働けるのは前線基地の空気に慣れさせる為らしい。
冒険者は見習いを脱したら第一階位からでも軍から要請があれば戦いに参加する事が出来る。まぁ大抵役には立たないそうだけれど。
初級じゃなく中級からならお世話になる事が多くなる。中級の冒険者の主な仕事の場所は前線になるからだ。
前線基地を越えて軍では手の届かない場所の哨戒や未踏破地域の調査、魔物達の偵察。開拓の途中ならば資源の調達なんかも仕事に入るらしい。
後は魔素に侵されていない珍しい草花を採取し持ち帰るのも仕事だ。
ただ、アーク王国の前線は開拓しなくなって久しい為壁の向こう側はすでに探索しつくされ中級の冒険者は滅多にやって来ないんだとか。その分軍が哨戒や偵察を頑張っているので練度は高いと案内の兵士は自慢していた。
カナデさんがグランエルにいたのは観光と時期的に出てくるだろう冒険者見習いの同行者の仕事を得る為だったらしい。
同行者の報酬は高く競争率が高いので女性という理由で選ばれたカナデさんは運が良かったらしい。女性の冒険者は数が少ないから確かに運がいいのかもしれない。
案内され通された部屋は食糧庫だった。
メモ書きされた紙を渡され調理場へ食材を持っていくのが仕事みたいだ。
量はあるけれどこのくらいの肉体労働なら学校の依頼で何度もこなしている。
精霊達も持てれば早く終わるんだろうけど、さすがに重い物は持てないらしく仕方なく応援していてもらう。
適当に食材を持つと同じように食材を持った兵士が調理場へ案内してくれる。
「いやぁ助かりましたよ。今日俺が運ぶ当番だったんですけどね? ウィトスさんが来てくれて運がいいですわ!」
などと言いつつカナデさんの胸をちらちらと見ている。何と分かりやすい人なんだろう。僕も気を付けなければ。
しかし露骨すぎてカナデさんですら引いている事に気づかないとはどうかと思う。顔が見えていないのだろうか。
もしかしてこういう人がいるからカナデさん男性相手に緊張しやすいのか?
何とか自然に二人の間に入るか。
「カナデさん。ちょっと野菜が落ちそうなので少し支えて貰っていいですか?」
野菜を片手で少し動かしてから重そうな演技をしながら二人の間に割って入る。少し強引だったかもしれないけれど兵士は素直に横にどいてくれた。少し残念そうな顔をしただけで僕の事は邪険にはしないからデリカシーはなくても悪い人ではないかもしれない。
「いいですよぉ」
カナデさんは片手で僕の食材の入った入れ物を支えてくれた。
「ありがとうございます」
このままカナデさんの横を独占し視線を遮らせる。すると兵士は顔を小さく動かすが、やがて諦めたのかため息をついたが話しかけてくる以上の事は何もしてこなくなった。
なんだか後ろからギギギッという硬い物が擦れるような音が聞こえてくるけれど何の音だろう。
『レナスーだいじょうぶー?』
振り返ってみても重そうに荷物を持っているフェアチャイルドさんと彼女の荷物を下から支えているライチーしかいない。
往復しているうちにいつの間にか僕はカナデさんとフェアチャイルドさんに挟まれていた。通路はそんなに広くないのにこれでは邪魔ではないか。
ならフェアチャイルドさんに壁になって貰おうかと下がろとしたらフェアチャイルドさんは同じように下がってくる。どうしたものか。
フェアチャイルドさんに小声で聞いてみると偶然ですと言い張ってきた。
偶然なら仕方ない。そういう事ならきちんと話せば分かってくれるよね?
フェアチャイルドさんに壁になってくれる様頼むと憮然としながら分かりましたと引き受けてくれた。
やはりいい子だな。
速度を上げて二人の前に出る。兵士が前にいてちらちらと性懲りもなく見ているからだ。
僕はチラ見している兵士と視線を合わせてにっこりと笑う。すると兵士はわざとらしく慌てて咳払いをし顔を逸らした。
荷物運びが終わると今度は野菜洗いと皮むきを任された。
皮むきは僕がやり他の二人には野菜洗いを任せる。
『わたしもやるーサラサとディアナもやろー』
「私水触りたくないんだけど」
「皮むきは任せろー」
サラサはどうやら水に触れると弱ってしまうらしい。火の精霊だから仕方ないのか?
ディアナはなんと水の刃で器用に皮を剥き始めた。もしかすると僕よりも上手かもしれない。
ライチーはこぶしほどの野菜一つでも重いのか両手で持ち一生懸命洗っている。
「ディアナすごいね。誰かに習ったの?」
「シスターレーベの手伝いしてたら覚えた。ただ、切る事しかできない」
「お鍋を沸かしたりとかは?」
「温度操作はサラサの力。私は水を作り出して操る事しかできない」
「そうなんだ。でもそれでも十分すごいと思うよ。その水の刃とかすごい切れ味じゃないか。自分で考えたの?」
「違う。魔法でこういうのがあるって聞いて再現した」
「そっか……それってただ水を固めてるだけなんだよね?」
「そう」
「刃の部分を野菜の形に合わせて変形させながら切る事って出来るの?」
「それは私にはできない。そこまで細かい操作は人間に操作して貰わないと」
「精霊って魔力の操作不器用なんだ?」
「大きすぎる力はかえって操作が難しい。アースだって魔力操作は苦手なはず」
「……たしかに」
アースよりも魔力の量が少ないナスの方が魔力操作は上で魔眼の固有能力を持っているほどだものな。
少ないと魔力操作が難しいのかと思っていたけれど逆なのか?
「魔力は少なすぎると感じ取るのが難しくなって、多すぎると制御が難しくなる」
心でも読んだのだろうか。疑問に思った事の答がすぐに返って来た。
「だから精霊術士には私達の魔力を繊細に扱えるように魔力の量を増やさせない。魔力操作の練習はやっぱり自分の魔力で少ないうちにやるのが一番だから」
「それって魔力を減らしてから練習するんじゃ駄目なの?」
「それでも大丈夫だと思うけど。魔力は常時回復していくから、限界量が少ない方が手間が少ない」
「ああ、なるほど。確かに僕が同じようにやるとしたら面倒だな。そしてそれは精霊も同じ、と」
「むしろ人間より早く回復するから同じ手段は取れないし、魔力を希薄になるまで一気に失くすと存在その物が保てなくなる可能性がある」
「なるほど……だから魔力操作は術士に任せると。精霊は魔法を使わせてくれないってそういう意図があったんだ」
「半分はそう。もう半分はやっぱり私達の我儘。好きな子には自分達の力を使って欲しい。そう思ってる」
「好きな子、ですか」
「うん。レナスには私を巧みに美しく使って欲しい。サラサもそう願ってる。ライチーは……ちょっと違うみたいだけど」
「ライチーはあれだよね。フェアチャイルドさんと一緒に居たいっていう願望丸出しだ」
「うん。私もそう思う」
一生懸命野菜を洗うライチーとそれを手助けするフェアチャイルドさん。まるで本当の姉妹の様だ。
同じ事を考えているのかディアナの口元が緩んでいる。視線が合うとなんだかおかしくてお互いに笑い合ってしまった。
笑い合えるのなら上手くやって行けるだろう。
仕事が終わり食事も終えた僕達は案内役の人にお願いをして壁の上に登らせてもらえる事になった。
壁の向こう側を初めて見られるという事でフェアチャイルドさんは緊張した面持ちをしている。
外へと繋がる扉の前。フェアチャイルドさんが手を繋いできた。
「怖い?」
「いえ……」
首を振り否定する。確かに怖いのとは違うのだろう。恐れているというよりは喜びに近い緊張に見える。
初めて見る景色に心が高鳴っているのかもしれない。
僕は前にちらりと見たから平常心でいられるけれど、不謹慎ながら観光地に来たような気分なのかもしれない。
『レナスーまのへーやってどんなところなの?』
『それは……見ればわかると思いますよ』
兵士の手によって扉が開かれる。
冷たい風が僕達の髪を揺らす。
寒かったのかフェアチャイルドさんがぶるりと震え即座に呪文を唱え周囲を暖かくする。
空気が心地の良い温度まで上昇する。温度調節はサラサさんの仕事だと言っていたっけ。
外に出ると幅十ハトル程の石の床が遥か地平線まで続いている。
左手側には緑豊かな平原が続いていて、遠くの方には村らしき影も見える。
右手側の景色は荒野が視界に映る地面の北側半分を占めており、もう南半分は黒い森林が覆っている。森林は大森林の一部だ。
「アリスさん。レナスさん。あれを見てください」
カナデさんの真剣な言葉使いに指さされた先を見る。
「見えますか? 赤い靄のような物が」
空と地面の境目にたしかに赤い物が見える。
なんだろうか? 赤い鳥や虫の大群という事はないだろう。地平線を覆っている大群なんて流石に考えられない。
王国側には見られないから魔の平野特有の物だろうか。
「あれは魔素なんですよ。視認できるほどに濃い魔素が溜まっている証拠です」
「魔素って、普通に目に見えるんですか?」
フェアチャイルドさんが驚いた声を上げた。
魔力はアースが集めて固めても見えないから当然の驚きかも知れない。
「見えるみたいですねぇ。遠くからなら目に見えるほど溜まっているという事かもしれませんけどぉ」
「王国側では見えませんしそうかもしれませんね」
『レナスはあそこ通るの?』
『通る道はもっと北になりますけど、その通りです』
『おおー』
ライチーがふらふらと柵の向こう側へ飛んでいく。
飛んでいるからいいけれど、子供が柵に近づいて向こう側に行くというのはあまり見たい光景ではないな。
『ライチー。あまり遠くへ行ってはだめよ』
サラサが出て来てライチーを止める。ライチーはむくれながらも言葉に従う。
ライチーはフェアチャイルドさんの陰に隠れサラサに向かってベロを出した。
『ライチー……あなたねぇ』
サラサが髪を真っ赤に染め上げゆらゆらとまるで炎のようにはためかせ始めた。心なしか周囲の温度まで上がってるような。
ライチーはそんなサラサを見て楽しそうにキャーと声を上げて逃げ出した。
『こら待ちなさい!』
長い長い石の道の上で追いかけっこを始める二人。
「放っておいていいの?」
「その内戻ってきますよ」
それよりも、とフェアチャイルドさんが繋いだままの僕の手を引き魔の平野側の柵へ近づく。
「この荒野の向こう側にフソウがあるんですね」
「うん。僕のお爺さんの故郷で……」
「お父さんとお母さんが渡ってきた国……そして、その先に二人の故郷の国が……」
「どんな国かやっぱり気になる?」
「……はい。私を産んでくれた人達がどんな国で生まれ育ったのか……興味があります」
……人達、ね。
「あの、ナギさん……一緒に、魔の平野を越えられたら一緒に探してくれますか?」
「うん。いいよ」
「いいんですか?」
「僕にも探し物があるからね」
もうほとんど諦めてるけど。
「前から聞きたかったのですが、ナギさんの探し物って何ですか?」
「んー……僕の望みを叶える為の物かな」
「望み……」
「見つからなかったら見つからないでもいいんだ。昔は信じてたんだけどね……今はあったらいいな程度の物だよ」
「それは、もしもこの国で見つかったら旅をやめますか?」
フェアチャイルドさんが繋いでいた手をほどき、まるで引き留めるかのように僕の腕に両手を絡めてきた。
「そんな事しないよ。ちゃんとご両親の故郷を見つけて、そしてこの国まで送り帰さないとね」
「一緒に……帰って来れますよね?」
「うん」
頷くとフェアチャイルドさんは安心したように僕の肩に自分の頭を預けてきた。
フェアチャイルドさんの行動に心臓が止まりそうになる。恐る恐るカナデさんのいる方を見てみると……。
やばい見られてる。すっごい暖かい眼差しで見られてる。すごく恥ずかしい。自分でも顔が赤くなってるのが分かる。
こういうのって女の子同士では普通なのか?
落ち着け。僕は大人なんだ。こんな事で狼狽えてどうする。
そうだ、いつも同じベッドで寝てるんだ。これぐらいなんだ。
「そ、そろそろ戻ろうか。ナス達も待ってるだろうし」
「……そう、ですね」
フェアチャイルドさんは頭を上げ僕から離すけれど、手は放そうとしなかった。
「歩きにくいよ」
主に周りの目のが気になって。
「じゃあ約束してください。一緒に……ずっと一緒にいるって」
「分かったよ。えと、僕達の旅が終わるまで、なるべく一緒に居よう」
「……終わってからもがいいです」
「それはさすがに約束できないよ。僕達がどんな道を行くのか分からないんだから」
「なるべくっていうのも不満です」
「依頼で別々になるかもしれないでしょ?」
「そんな依頼受けません」
「それはそういう訳にもいかないと思うけど……まぁなるべくね? 後僕は治療の依頼も来るからさ」
「……じゃあなるべくでいいです」
「うん。じゃあ約束しよ」
「はい」
まだ不服そうではあるけれど、いつもの約束の証をする。
指を離した後彼女の頭を撫でてても機嫌は直してくれなかった。
そして、約束したのに手も放そうとしない。満足のいく約束ではないからというのが彼女の言い分だ。
結局ヒビキが僕の胸に飛び込んでくるまで放してくれなかった。




