事件の前
スパスパと近くのものから離れたものまで斬る幹彦だが、注意しなければいけない事があった。それは、遠くに飛ばそうとするその瞬間は、体を覆って硬く守るバリア的なものが切れてしまうことだ。
早いうちにその事に気づけたのはよかった。
「まあ、近くに敵がいる状態で飛剣を飛ばす事もないだろうしな」
幹彦は言いながらも、気に留めておくと言う。
例のアレを、幹彦は「飛剣」と名付けた。
それで僕達は、更に飛剣の精度を上げたりするために、エルゼの街の外に来ていた。セルガ商会の護衛達と合同での訓練だ。
「へえ。大したもんだ」
護衛部隊には、元騎士や元衛兵、元冒険者などがいる。どの人物も腕利きだ。
リーダーは元冒険者で、サブリーダーは元騎士。リーダーは豪放磊落に見えて意外と繊細な男だが、魔術は使えない。サブリーダーは魔術も使える剣士で、基本を知っているから、動きもスマートだ。それでも堅苦しさと上司である貴族のボンボンとそりが合わずに辞めたという、気さくな男だった。
「成程な。それなら風の魔術に見えるのに、風魔術無効には引っかからないから攻撃も通るな。対人戦闘でも切り札になるかもな」
サブリーダーはそう言ってうんうんと頷いていた。
人とやり合うのは、僕も幹彦も、なるべくなら避けたいというのが本音だ。だから、護衛などはやりたくない。襲って来るのが魔物だけで盗賊が来ないのなら話は別だが、護衛を必要とする者は、大抵強盗や暗殺者を含めて想定している物らしいので。
「まあ、こんなもんか。新人とは思えんやつらだな」
リーダーが言い、サブリーダーが、
「じゃあ、日も傾いて来たしそろそろ帰るか」
と空を見上げて言うと、揃ってエルゼの街へと歩き出す。
街道を日のあるうちにエルゼへと急ぐ人々が、歩いたり馬車を走らせたりしており、それが何だか、家路を急ぐ小学生の頃を思い起こさせた。
あの頃もやっぱり、幹彦が棒切れを肩に担いでいたりしていたなあ。
何だ。結局あんまり変わっていないという事か。そう結論付けると、笑っていいのか、成長していないと嘆けばいいのか悩ましい。
そんな事を考えつつもエルゼの街を囲む塀の門へと辿り着く。
街の外の人間の並ぶ列とは別の住人用の列に並ぶと、門番と軽く挨拶して中に入る。
それでモルスさんに一言挨拶しようと、一緒にセルガ商会へ行った。
夕方で通行人や買い物客はいるが、高級品コーナーの辺りは却って人がいない。見知った人物が1人いるだけだった。
「エスタ。久しぶり」
以前路地で絡まれていた所を助けてくれた「明けの星」のメンバーだ。
「あ。おう!久しぶりだな!」
機嫌良さそうに片手をあげる。仕事終わりなのか、弓を持っている。
「頼んでいたスカーフが入ったって連絡を受けてな。取りに来たんだ。ベネシアの刺繍だぜ。見せてやるから、見て行けよ」
嬉しそうにエスタが言うと、ちょうど店員が持って来た箱を開け、刺繍を出して広げ、掲げて見せた。
瀟洒な刺繍がされた薄い生地のスカーフで、よくはわからないものの、いいものだというのはわかった。ベネシアの刺繍というものは、名産品なのだろう。
「へえ。凄いな」
「うわあ、細かい刺繍だなあ」
感嘆の声をあげると、エスタも店員も得意そうに笑顔を浮べた。
その時ちょうど若い女性が現れたが、僕達がそこにいるので後にしようと思ったのか、別の通路に行ったのが目の端に見えた。
サブリーダーにも見えたらしく、
「俺達は大旦那様に声をかけておくから」
と言うと、護衛の皆を引き連れて出て行った。
「女物だな。プレゼントか」
幹彦が気付いて言う。
「へへ。エリスちゃんにな。いやあ、シスター・ミミルとか酒場のプリシーヌちゃんとか、花屋のシモンちゃんとか雑貨屋のライラちゃんとかギルドのベーチェちゃんとかに浮気してるって嫉妬してさ」
「それだけの女性に、誤解されるような事をしてるのか」
幹彦も僕も目が冷たくなったのは仕方がないだろう。
「美人は口説くのが挨拶って常識だろう」
「そんな常識は知らん」
「エリスちゃんは領主の娘だしな。睨まれても困るんだよ」
苦笑し、小さな声で、
「花屋も雑貨屋も領主館の仕事をしてるからさ。干されたりしたらひとたまりもないし」
と言った。
「だったら誰かれなく口説くのをやめればいいのに」
言うと、
「それは俺じゃない」
と返された。
まあ、包装された箱を大事そうにカバンに入れ、上機嫌で出て行くのを見送り、
「いつか刺されないといいな」
「その時は史緒、解剖してやれよ」
と話していた。
先程の若い女性が苦々しい顔付きでエスタを睨みつけながら戻って来るのをしおに、僕達もモルスさんに会いにそこを離れた。
冗談で話していたのだが、まさか殺人事件が起こるとは全く考えてもいなかったのだ。
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