若隠居の真実の愛(3)
通路の先では、アイナとサチャが、ベネと二十人ほどの魔人と向かい合っていた。
サチャは怒りに拳を震わせており、アイナはその背中に張り付くようにしている。ベネはニヤニヤしながら腕組みをしており、辺りをキョロキョロとしていた。
「アイナはどこにいるんだ? 一緒じゃないのか」
「陛下を呼び捨てにするな!」
サチャが怒鳴るも、ベネは堪えた様子もない。
「妻になれば普通だろうが」
「妻になるなど、陛下は言っていない! そもそもそこの婚約者はどうするつもりだ!」
アイナは驚き、慌てているのか、サチャの背中でオロオロとしているばかりだった。
ベネは仕方が無いというふうに溜め息をつき、そんなベネの腕にしなだれかかるようにして女が笑っている。
「表向きはアイナが妻でこいつが愛人だが、こいつも納得している。実質的にアイナとそういう関係にならなくともいいしな。何せ、声も顔も隠したままだ。ブスで陰気な女に決まってる。オレだってごめんだぜ」
「そうね。実質的にはあたしを妻として扱って贅沢させてくれるんなら、日陰の身でガマンしてあげるわよ」
ベネが言うのに女が続け、ニマリとする。
「冷静に考えて、これが一番いいだろう? アイナを陰王としたこの部族だが、今後の方針に不満を持つ者も多い。戦ってそれなりの勝ちを収めて、一定の権利を得ようという意見だ。尤もだと思わねえか? お前らは勝てないと決め込んで、最低の命乞いだけをしようって腹だが、これまでは潔く戦うことをしてきただろうがよ」
幹彦のインビジブルに身を隠しながら近付いて行きながら、彼らの話し合いに耳を傾ける。
「それで、陛下と結婚ですか?」
サチャが鼻で笑うが、それをベネが鼻で笑う。
「わかってるだろう、お前にもよ。抗戦しようってのはオレのところに集まって来る。部族を一枚岩にしねえとまずいだろう? だったら、オレとアイナが一緒になったらいいじゃねえか。オレはキッチリサポートしてやるぜ」
ベネはそう言ってにやりとし、サチャは苦々しげにベネを睨んだ。
その背中から少し頭を出してアイナが言う。
「こ、抗戦派をあなたが集めているんじゃないんですか。真の陰王は自分だって言って」
ベネはぎろりとアイナを見て、アイナはサチャの背中でびくりと震えた。
「ああん? 誰だてめえ? 地上のやつか? まあいい。
まあ、オレのお袋は前陰王の妹だしな。アイナがいなければオレが陰王になっていたからな。アイナが腰抜けなら、オレが実質的な陰王になるしかねえだろう」
それを聞いていたサチャが、低い声を出した。
「陛下は小さい頃から、よく事故に遭いかけたし、毒を盛られたことも何度もあった。まさか……」
ベネは笑って手を振る。
「知らねえよ。オレはアイナよりひとつ上なだけだぜ。まさか幼児がそんなことをしたとでもいうつもりかよ」
「あなたのご両親が、ですよ」
「そこまで知らねえよ」
笑って肩を竦めるベネの表情は、それを肯定しているようにしか見えなかった。
サチャもそう感じたのか、歯ぎしりの音が離れていても聞こえた。
「まあ。権力欲しさに婚姻だなんて、ありきたりね」
僕たちの背後から声がして、全員がギョッとしたようにそちらを見た。
見なくてもわかる。貴婦人のメンバーだった。
「来るなっていったのに……」
呻くように言うと、幹彦も溜め息交じりに言った。
「まさか『押すなよ、絶対に押すなよ』の芸人みたいな解釈で来たのか、あいつら」
チビも首をがっくりと垂れた。
「なんだ、てめえら。地上のやつらか」
魔力が少ないことに安堵したのか、ベネがフンと笑う。
貴婦人の皆は、臆することなく続けた。
「それで、結婚したら事故死に見せかけて暗殺でもして、自分が後を引き継ぐとか宣言するんでしょ」
「はああ、つまらないわ。どうせなら、『愛する彼を守るために、一族の反対を押し切って単独で突撃しようとする。でもそれを彼に見つかり、死んだらあの世で一緒になろうと手に手を取って突撃する』とかいう展開でないと……」
「そこの派手な彼女も、欲の塊で完全な当て馬ですのにね」
そう言って、彼女たちは揃って溜め息をついた。
魔人たちは全員ぽかんとしており、そこここで小声の会話がなされるのが聞こえた。
「彼? ベネ元将軍の相手だよな?」
「翻訳間違いかな。彼女って言葉の」
「いやあ、でも、他の言葉は不具合もないぞ」
「じゃあ、地上はそういうのが普通なのかも」
魔人が地上人について、誤解し始めた。
貴婦人の皆は上品に笑って答える。
「これは至高の愛の形のひとつ」
「真実の愛は、他人に理解してもらえないこともあるの。残念ながらね」
「命をかけても貫き通すのが真の愛だわ!」
「そこのあなた。愛を道具にして語ることの愚かしさを恥じなさい。そして、絶望しなさい!」
堂々と言い切ってベネを指さす彼女たちに、サチャとアイナは尊敬するような目を向け、ほかの魔人たちはわけがわからないまでも気圧されたように息を呑んでいた。
そして僕と幹彦は、溜息をついて俯いた。
その拍子に幹彦の気が抜けたのか、インビジブルが解けてしまった。
「な、なんだ貴様らは──!?」
ベネが言うのに、彼女たちが堂々と答えた。
「真の愛の伝道師、貴腐人よ!」
そして僕たちも答える。
「通りすがりの隠居だ!」
もう、やけくそだ。
サチャが立ち直って、ベネを睨み付けた。
「ベネ元将軍。前回のクーデター未遂での罰が軽すぎたようだな。仮にも三傑とされるほどの腕と、これまでの働きに対する温情と、これからの働きへの期待を考えての決定だったのだが。残念だ」
そう言った時、奥からワラワラと武装した魔人たちが走って来た。三傑のグルワナやゴラオもいる。
「いたぞ! ベネ元将軍、お父上とお母上が、陰王簒奪計画を認めた。拘束させてもらう」
グルワナが言いながらゴラオと一緒にベネに武器を向けたが、ベネは高らかに吠えた。
「くそう! あんな顔も見せない、声も出さねえ女! オレだって陰王の甥だ! アイナがいなければオレが陰王になってても不思議じゃなかったんだぞ!」
そうして、武器を抜いて斬りかかろうとする。
しかし、グルワナとゴラオだって三傑だ。武器を抜く前に取り押さえられた。
他の魔人たちは、それ以上抵抗してクーデターに加わる気はないらしい。大人しく手を上げている。
その中で、ベネの婚約者だけが見苦しく抵抗を試みた。
「あたしは関係ないわ! そう、婚約は破棄よ! だってこの人と陛下が結婚するんでしょ!?」
それに貴婦人たちが呆れた声を上げる。
「見苦しいわね」
「愛の欠片もないわ。そこの人との婚約も損得勘定でしかなかったようね」
アイナとサチャは、引き立てられて奥へと戻っていく彼らを見送り、くるりとこちらを向いた。
「ありがとうございます!」
貴婦人のメンバーを見る目が輝いている。
「ああ、真実の愛! 聞き惚れたぞ。素晴らしい!」
「ほほほ。貴婦人のたしなみというものよ」
「私も立派な貴婦人になります!」
アイナが鼻息も荒くそう宣言した。
「私も、微力ながらアイナ様のお力添えをいたします!」
サチャも上気した顔でそう言う。
「今度、本を貸してあげるわ」
「素晴らしい本よ。真の愛について書いてあるの」
「おお、それは素晴らしい!」
感動に震えるアイナとサチャ、ニコニコしている貴婦人たちだったが、言っておかなければいけないことがある。
「えっと、それでこのふたりのことなんだけど」
幹彦が恐る恐る声をかけると、貴婦人の皆はにっこりと笑った。
「あら。貴腐人の仲間、それでいいでしょ」
「貴腐人たるもの、むやみに秘密を吹聴したりはしないものよ」
なんかよくわからない気がするが、まあいいか。
「じゃ、そういうことで」
「お姉様と呼んでもいいでしょうか」
アイナは目を輝かせていた。
「やっぱり、あいつらってメンタル最強じゃねえ?」
僕たちはそそくさと踵を返した。
この話題に深く関わってはいけない。何かそういう気がした……。




