若隠居とエルゼの魔界ダンジョン(1)
テレビでも新聞でも、魔界のことは全く報道していなかった。
情報は厳重に秘匿されているが、もし漏れたとしても、そんな話を聞いたら、冗談だと受け取るか、恐れてパニックになるかのどちらかになるだろう。
それに、各国の対応も決まっていないそうだ。
それにしても、アイナたち陰王の軍勢が負ければこちらにも被害が出るのは確実なのだ。厄介の一言に尽きる。
「つながった世界にも影響が及ぶって言っても、どの程度なんだろうな。王次第っていうけど」
「いっそ、つながった世界には無関心な王に先にさっさと負けておけば安全なんじゃないのか」
僕と幹彦はそう言いあっていた。
「他の王と同盟を組んで、一番になったら名目上はそっちが覇王でいいからこっちには不干渉で、とか言えないのかな」
「言ってた感じだと、辛うじて凪王ができそうだけど、同盟そのものが鬱陶しくて乗ってこないかも」
自分たちではどうこうできないらしいが、他人事にできるはずもない。
自分たちだけならエルゼに逃げられるが、そういうことはできないし、したくない。
「魔界か。それに、魔界とつながるダンジョンか」
チビはそう言って困ったように溜め息をついた。
今更だが、チビたちは神獣だ。神獣はこういう場合、何かするべきなのだろうか。そもそも、できるのだろうか。
できるとしても、チビたちだけに危ないまねをさせるのは嫌だ。
とは言え、たかが僕たち人間に何かできるのだろうか。
考え込んいると、チビがふと思いついたように言った。
「そう言えば、これでわかったな。北海道ダンジョンがそこの名産品にあふれているわけが」
僕たちは、それもそうだと頷いた。
「だよなあ。びっくりだぜ」
「もしかして、トリュフの出るダンジョンがフランスにあったりするのかと思ってたのにな。あそこだけだったんだな、名産品シリーズは」
「ちょっと残念だなあ」
苦笑しあい、
「じゃあ、そろそろ行こうか」
と地下室へと移動した。
これからエルゼへ向かうのだ。エルゼで、久々に冒険者活動だ。
地下室から異世界の精霊樹経由でエルゼの我が家に飛ぶ。そして以前と同じように、過ごしやすいように日本から持ち込んだ物をしまい、精霊樹の枝の植木鉢も元の場所に置く。
「さあ、これでまた、活動再開だぜ」
新たな気分で家を出て冒険者ギルドへと行くと、朝の混雑する時間帯は過ぎ、冒険者は各々依頼を受けて出発しており、ギルド内は混雑の波が過ぎ去ったことに安堵するようにのんびりとしていた。
今日は自主的に休業を決め込んだらしい冒険者たちが数人、隣の食堂で朝っぱらから飲んでいるほか、見慣れた顔が真剣にご飯をかきこんでいた。
「トゥリス?」
それはトゥリスだった。相変わらず無表情で、サービスランチをパン追加で食べていたのだが、食べる量は豪快だが、食べ方はなぜかきれいだ。
「あ、久しぶり」
そう言いながら空になった皿にカトラリーを置き、トゥリスはこちらに手を上げた。
それで僕たちはトゥリスに近付いて行った。
「相変わらずだなあ」
「今日の定食か。今日は何だった?」
「ゴールデントラウトのムニエルと豆のサラダとパン」
「美味そうだな、ゴールデントラウトか」
いわゆる鮭だ。
トゥリスはドラゴン輸送の、エルゼグループに入っているそうだ。ドラゴン輸送会社は、荷物を素早く安全に運ぶのが売りの輸送会社で、ヒトの食事に興味津々のドラゴンが給料を得て、それを食事代に充てている会社だ。
トゥリスは自由気ままで心配だったが、「食事代のため」ということで、真面目にきちんと運び屋をしているらしい。
「今日の日替わりランチも美味しかった」
慣れていないとわからないだろうが、かなり上機嫌な顔付きだ。
「それはそうと、そっちは。朝食か」
「それはもう食ったぜ」
「昼食か」
「飯から離れんか。食いしん坊ドラゴンめ」
思わずチビが言い、はっとしたように周囲を見回す。
そしてカウンターから見ていた職員や暇そうにしていた冒険者と目が合い、
「わ、ワン!」
と鳴いて、彼らから生暖かい目で笑われた。
「いいんだよ。皆言わないだけで、知ってたからさ」
「うん。だからこれからは気にしないで、喋っていいよ」
子犬と小鳥と亀と貝のふりをしていたチビたちは、「ガーン」という顔で固まり、照れたのか誤魔化したのか、頭をかいたり羽根をつくろったり首を引っ込めたりしていた。
「ええっと、トゥリスはこれから仕事か?」
訊くと、トゥリスは少し考えた後、真剣な表情で身を乗り出すようにして言った。
「今日はおしまい。おいしいものを捕まえに行くなら手伝う。この町から少し離れた所にあるダンジョンは、小さいけど、美味しいものがいるって聞いた。名産の野菜とか、あの辺りでしかいない動物の魔物がいるらしい」
それを聞いて、僕たちはトゥリスに注目した。
「特産品だって?」
僕たちが今日行くダンジョンが決まった。




