若隠居と嵐の孤島(1)
人魚が姿を消すと、航海は穏やかなものになった。空は青く、波は高い。
ん? 高い?
そう言えば先ほどから、船がこれまでよりも更に上下左右に揺れている。
「あれえ。向こうの方、空に黒い雲がかかってるね」
言えば、チビはそちらの方を向いて鼻をスンスンとさせた。
「一雨来そうだな」
すると通りかかった船員がそばで足を止めて呟いた。
「こりゃあ、まずいな。嵐が来そうだぞ」
そう言えば、台風の前のような風が吹いている。この世界では世界規模の天気予報や気象レーダーがないので、地球のような天気予報や台風接近情報はない。台風も、かなり近付いてからやっと気付くという程度だ。
「そういう時ってどうするんですか」
聞くと、船員は気楽そうに笑って答えた。
「心配いりませんぜ。こういう時は、ちょうど大陸の間にある小島に避難してやり過ごすってことになっていましたんで。
戦争前は小屋もあって、人が常駐していたんですが、流石に今は無人島ですがね。風を避けることはできますんで」
その答えに少し安心して僕は笑い返して空を見上げたら、黒い雲は、急速に広がって行く様子を見せていた。
夕食を摂ろうかという頃には波もかなり激しくなって、コップの水が飲めないほどになるどころか、椅子やベッドにいても転げ落ち、床に座っても寝ても、揺れに合わせて床の上を滑ってしまう有様だ。
最初は面白がっていた僕たちだったが、少しすれば飽き、早々に日本の家にしばらく避難することにした。
食事もおちおち摂れないし。
そうして、海鮮リゾットとアクアパッツァとサラダの夕食を摂り、デザートの抹茶アイスも連続ドラマも楽しみ、風呂まで入って、夜中過ぎに船室へと戻った。
その瞬間、船が持ち上がり、フワリと無重力になったかと思えば下へと急降下する。
「うわっ!?」
「俺、遊園地のフライングカーペットは苦手なんだよ!」
「何が起こってるんだ!?」
じいもガン助もごろごろと転がり、ピーコは飛び上がるものの天井にぶつかりそうになったり床へ叩きつけられそうになったりし、チビと僕と幹彦は床に転がって床の上をザザザーッと転がされるがままになってしまった。
どうやら、日本に避難している間に、船は本格的に台風の影響下に入ったらしい。
「克服したと思っていたけど、吐く……」
「まずい、俺も何か気持ち悪いぜ」
「しっかりしろ、お前ら!」
チビに叱られ、どうにか吐き気を我慢しながら廊下に出た。
ちょうど揺れの中を器用に走って来た船員が、そんな僕たちを見て波の音に負けないように怒鳴るようにして言う。
「危ないから甲板に出ないで下さいよ!できれば部屋の中で、浮きそうなものを掴んでいてください!もうすぐ小島に着きますんで!」
その言葉通り、しばらくすると驚くほど静かな海域へと船は入ったようで、凪の時のようにしか船は揺れず、あんなに大きかった波の音がやんでいた。
ほかの客船のドアも開き、ほっと安堵したような顔付きの乗客が顔を覗かせる。
「小島とやらに着いたのかな」
僕は言いながら、緊張をますます強めた。
「これ、小島というより……」
幹彦も、警戒感を強めて言う。
「ああ。気を抜くなよ。ここはダンジョンの中だな」
そう、チビが重々しく、ありがたくもない太鼓判を押したのだった。




