若隠居と荒れる海(3)
次の襲撃はいつかと身構えていると、その日の夜だった。これまで昼間ばかりだったのだが、こちらの隙を突いたつもりなのだろうか。
船室でくつろいでいた時に幹彦とチビが何か大型の魔物の接近に気付いて、奇襲のつもりだったのならそれは失敗に終わった。
「でかいぜ」
「今度は何だ。海中から近付いてくるぞ」
チビが言って、
「人魚の涙があるから、水中でも後れは取らんがな」
と犬歯をむいた。
後れを取るような襲撃はないと言っても、いつまでも襲撃を繰り返されるのはストレスだ。
「数は?」
訊くと、幹彦が、
「大きいのが一体だぜ。海だしなあ。イカとかウミヘビなんかが定番かな」
と笑いながらサラディードを手にして立ち上がった。
その時、船がグラリと傾いた。
「まだ距離があるぞ!?」
チビが言い、
「足を船に巻き付けたのか」
と幹彦が言うのに歯がみした。
船体が傾き、そこかしこから悲鳴が聞こえる。
「行くぞ!」
チビが開けたドアから廊下に飛び出し、それに僕たちも続いた。
船を圧壊させるわけにもいかないし、急がないといけない。
よたつきながら出た甲板は真っ暗で、海面すらもはっきりと見えない。
灯りをひとつ海上に打ち出す。
するとそこに見えたのは、巨大で丸いフォルムの足の多い黒っぽい軟体動物だった。
「こいつ、イカじゃねえ!」
幹彦がそれを見て言う。
「タコだ!」
僕がその後を引き取った。
太い足は大人の腕でも抱えられないほどあり、それが船体に巻き付いて船は軋みをあげている。それはまるで、船の悲鳴のように聞こえた。
「イカは大きくなるとアンモニア臭くなるらしいけど、タコはどうかな」
ダイオウイカは、アンモニア臭がきついと聞いた。
「さあ、食ってみればわかるぜ」
幹彦が飛剣を飛ばす。その足はぞろりと動き、別の足が代わりに船に巻き付いた。
ぬめりも厄介だが、足が八本もあるので、交代がきいて面倒だ。
それでも片っ端から斬ればいいと飛剣を飛ばすと、微妙に体を動かして角度を変え、刃がヌメリに邪魔されて弾かれる。
「一気にいくか。もう夜中だしな」
僕は海面から顔を出して墨を吐こうとでもするかのようなタコを見ながら、腕を上げた。
「タコをしめるならここ!」
目と目の真ん中の少し下に、収束魔術ことビームを撃つ。
ただし、ハサミのように二本を交差させて、だ。それで腕を水平に少し動かす。ちょうどハサミをチョキンと閉じたようなかたちになる。
その途端タコは体の色を薄くし、足が力を失った。活き締め成功だ。
タコをだらんと持ち上げるようにして吊るし、頭をくるりと裏返すと、空間収納庫にしまう。
それと同時に、じいが水流を操って海面を持ち上げ、足つきのグラスのようなものを作り上げると、チビがその足とグラス部分を凍らせた。
その氷の巨大なグラスの中から、悲鳴があがった。
震えている人魚が数人、氷のグラスのふちにしがみついたりグラスの底に突っ伏したりして震えていた。
かわいそうという気は起きなかった。
「いい加減にしてもらいたいんですが。それとも、絶滅するまでかかってくるつもりですか」
最初から睨み合いもなんだと思って、形式的に笑顔を浮かべてそう言うと、人魚たちはガタガタと震えながら引きつけのような悲鳴をあげた。
「こっちとしてはそれでも構わないんだがな。食費が浮く」
チビが大きくなった姿で恫喝する。
「だけど、関係のない人にまで迷惑をかけるのは本意じゃねえんだよな」
幹彦が言いながら、サラディードを見せつけるようにして肩に担ぐ。
「焼き魚?」
ピーコが言いながら空中から睨み付け、
「叩いて味噌を混ぜた料理もありやすね」
とガン助も空中に浮かびながら正面に陣取って睨み、
「人魚のなめろうじゃな」
とじいが事もなげに言う。
それで人魚たちは、半分が失神し、半分が泣き出した。
僕と幹彦は、少し脅しすぎたかと目で言い合いながら、嘆息した。
「えっと、神獣にしたいのなら、さっきのタコとかクジラでも良かったんじゃないんですか」
人魚の代表が泣きながら答えた。
「大きければいいわけではない。タコは大きいだけで魔力は多くはないし、クジラもそうじゃ。いや、そうです」
ガン助やチビたちに睨まれて、立場を思い出したようで、言い直した。
うんざりしたように幹彦が訊く。
「で、うちのガン助を拉致して、取り返されたから、もう一度拉致し直そうっていうつもりか? それとも、俺たちに復讐しようという気か?」
人魚たちはチラチラと視線を交わし、恐る恐るひとりがそれに答える。
「その……不意を突いて仲間を消せば、と」
僕は大きく息をついてから、改めて人魚に言った。
「無理だとわかったと思います。それと、ガン助もほかの子たちも、別の役目を負っているのでこちらの神獣にはなれません」
「どうする? まだかかってくるか? だとしたら、こちらも全力で応えよう。絶滅する覚悟で来るのだな」
チビが大きくなってそう言いながら威嚇し、ピーコ、ガン助、じいも大きくなって威嚇して睨み付けると、人魚は流石に格の違いに恐ろしくなったのか、その場で這いつくばって謝りだした。
「も、申し訳ありませんでした!」
「二度と、二度とこのようなことは!」
チビはフンと鼻を鳴らした。
「今回は、なめろうの刑は勘弁してやろう。
しかし、次はない」
そう言って氷を溶かして元の海水にすると、人魚たちは海にドボンと落下し、慌てふためいて深海へと姿を消した。
「まあ、あれだね。ザラタンが見つかるといいね」
少し申し訳なく思いながら僕は言った。




