若隠居の旅は道連れ(1)
虎人族の集落を出た僕たちは、精霊樹経由で日本へ戻った。
「しょうゆ、みりん、油もいるな」
そして例の術式を刻む入れ物の準備をする。
「ビール、ワイン、ウイスキーと炭酸水もあるといいな」
幹彦もうきうきと言いながら入れ物を探して引っ張り出してくる。
それにチビやピーコやガン助やじいも、口々に要望を口にする。
確かに液体ならば延々と魔力を込めるとそれが出てくるというものだが、トロミがついていると余計に魔力が必要だったりと、そういう違いはあるようだ。
そもそもそれが入っていた入れ物を利用したり、水筒やペットボトル、スープジャーを利用する。
そうしてみると、家庭には色んな入れ物があるもんだと感心してしまうほどの量になった。そこに片っ端から術式を刻み込み、空間収納庫にしまっていく。
しかし、全てをこれに依存するのは、経済的によくないことだ。なので、日本では今まで通りに製品を買うことにして、すぐに買えない異世界でのみ、この便利水筒を使うことにしよう。
「これ、液体しかできないんだよなあ。まあ、何でもできるってほど甘い話はないだろうけど、どういう原理なんだろうな」
覗き込み、魔力を流してみながら考える。
「チビ、わかる?」
チビは首を傾げた。
「まあ、水だけはあるだろう。水の出てくる魔道具が」
「あれも不思議なんだよなあ」
わからないが、わからないなりに術式が組めるので、便利に使っているのではあるが。
「ああ、もしかして、空気中の水分を使うとか」
言うと、幹彦がポンと手を打つ。
「除湿機みたいなもんか」
「そう考えると、健康的には飲んでも大丈夫かな」
皆でじっと水筒を眺め、
「ま、大丈夫だろう」
と気にしないことに決まった。
そうして僕たちは、再び異世界へ、ラドライエ大陸へと行くことにした。
これだけ液体にこだわったのは、便利だから早く利用したいからだけではなく、次に目指すのが砂漠地帯だからだ。
「さあ、行くぞ」
「砂漠のバラか。どんな味だろう」
「月下美人の花ってさっとゆがいてポン酢を浸けて食べられるんだったよね。そんな感じかな」
「だったら柚子胡椒とかも持って行くか」
「七味じゃないのか」
「おいらはショウガとかいいと思うでやんすよ」
ぎりぎりまで、しまらない僕たちだった。
虎人族の集落を出てその山を越え、岩と短い草が生えているばかりの地帯に踏み込んでいた。
乾いた強風が吹き付けて来るのだが、砂を含んでいて、なかなか痛い。
「これぞ砂漠だぜ」
幹彦は楽しそうに言うが、ダンジョンの中の砂のステージでアリジゴクに食われそうになった事がよみがえり、足下を棒で突いて歩きだす。
そんな僕にチビは、
「下ばかり見ていないで前も見ろ、フミオ」
と、子供に注意するように言った。
転移の便利なところは、行ったことのある所へは瞬時に跳べるところだ。不便なところは、行ったことのない所へは跳べないところだ。
幹彦のマントも、この強風の中では風の抵抗が強くて飛び難そうだ。
なので普通に、一歩一歩歩いているのだ。
大きな岩を回って向こう側を見たとき、それまでの「歩きにくい」とか「砂が入る」とかいう不満を忘れ、それに見入った。
一面の砂の中に、川があった。
川と言っても水が流れているのではない。砂だ。砂が川のように流れているのだ。どういう原理だろうか。地球でも流砂という現象がある。それは砂が地下水を含み、そこに何か、または誰かが入ると、砂が流れてもがけばもがくほど砂の中へ引きずり込まれてしまうというものだ。脱出はできるのだが、やはり慌ててやみくもにもがくために、犠牲になる人が絶えない。
しかし目の前のこれは、そういうものではない。まさに、水の代わりに砂が流れているのだ。その砂の川に浮かんだ何かの骨が、沈むことなく目の前を流されていった。そして、数百メートル先で骨が地上に取り残され、砂の川は地下へ潜りでもしたのか、姿を消していた。
幻想的なその風景に、僕も幹彦もチビも、カバンの中からピーコもガン助もじいも顔を出して、声もなくただそれを見つめていた。
「川の始まりは、やっぱり砂が湧き出しているのかな」
言うと皆も気になったようだ。見に行こうということになり、源流を目指して川に沿って歩き出した。
川幅は三メートルほどあるのはわかるが、水深──とはいわないか。砂深か──はわからない。
二十分ほど歩いた頃だろうか。チビと幹彦が足を止め、急に真剣な顔付きで警戒をし始めた。
「え、なに?」
「何か凄い強い魔力の塊が近付いて来るぞ」
幹彦が言いながら、川の上流をすかし見る。
「うむ。川に住む魔物かもしれんが……だとしたら、かなりの大物だな。
お前らも警戒しておけ」
チビも珍しく楽観的な態度ではなく、言われたピーコ、ガン助、じいは素直にカバンから出て、その場で待機した。
するとほんの数十秒で、何かが砂の川を流れてくるのが見えた。皆でそれを、警戒しながら見る。
「大きくは、ないな。小型で強い魔物かな」
砂の川の表面から出た部分は、そう大きくもない。せいぜい人、それも小柄な人と同じくらいだ。
だんだんと近付いて来る。
「人だぞ。それも女の子だな」
幹彦が言うのに、チビが戸惑ったような声で継ぐ。
「いや、この魔力で人はないだろう?」
その間にもそれは流れてきて、目の前を通り過ぎようとしている。僕は焦って訊いた。
「ちょっと、その前にあれってどうするんだよ。生きてるの、死んでるの? 砂の川でも溺死するの?」
クロールの息継ぎの時のような姿勢のまま、十代終わりくらいの少女が流されていた。生きているのかどうか不明だが、自力で動いてはいない。
「私が捕まえてくる」
ピーコが言いながら飛び上がると大きくなり、その少女を足で掴んで砂の川から掴み上げ、戻ってきた。
「砂漠のバラを探しに来たのに、土左衛門を拾っちゃったぜ」
「いや、まだ生死は確認してないよ、幹彦」
言っている間にもピーコはすぐそばに戻り、地面に少女を転がした。ちょっと乱暴だが、抗議の声はない。
チビと幹彦はまだ警戒を解いていないが、僕はとりあえず脈や呼吸、瞳孔を確認しようとして少女に手を伸ばした。
そうしたら、いきなりその手を少女にガッと掴まれ、腰を抜かしそうになった。
「生き返ったでやんす!」
「ゾンビじゃ!」
少女は僕の手を掴んだまま目を開き、そして、視線を僕に向け、言った。
「お腹すいた」




