若隠居の優雅な船旅(1)
潮風が船の帆を押し、波は船を揺らしながら前へと進める。そして僕はデッキに出て遠くの水平線を眺めていたのだが……。
「き……気持ち悪い……」
完全な船酔いだった。
「大丈夫かよ。本当に乗り物に弱いよなあ」
幹彦が背中をさすってくれながら言うのに、僕はなけなしの言い訳をする。
「三半規管が発達してるんだよ。うっ」
だめだ。原始人なみの三半規管が羨ましい。
僕たちは異世界とのつながりが切れるものだと思っていたので、「遠い祖国に帰る」とエルゼの知人に言ってしまった。そのためエルゼにはしばらく顔を出しにくく、それならばいっそ、獣人やドラゴンがいるという別の大陸へ観光旅行がてら行こうという事になり、港町から別の大陸へと向かう長距離客船に乗り込んだのである。
乗ったときはウキウキとしていた。
そう、乗り物に弱いが、日本産の乗り物酔い止めの薬を飲めば何とかなるだろうと思っていたのだ。大型のカーフェリーなどでは揺れが少なくて酔わないと聞いていたので。
だが、こちらでいう大型船は、あまり大型船ではなかった。それに設計が違うのか、よく揺れた。
それでも精一杯、遠くを見、酔い止めのツボを押し、卵や柑橘類は食べないようにし、スッキリするというハーブをしみこませたハンカチを準備した。
「寝転んだ方がましなんじゃねえか」
言われて、うつろな目で立ち上がった。
「そうする……」
そうして客室へ戻った。
一等客室は主賓室のほかに使用人のための控え室やベランダまである部屋で、船内に二つしかない。
二等客室はベッドしかないが一応個室で、動物も入室させることができる。
三等客室は雑魚寝の大広間だ。
僕たちは二等客室を取っている。鍵もかかるので、一ヶ月にも及ぶ船旅の間、適当に船旅を楽しんだり家に戻ったりするつもりだった。
客室へ戻ると、チビとピーコとガン助とじいが揃ってこちらを見た。動物も乗せてはもらえ、飼い主と一緒なら客室や檻から出ることはできるが、とりあえずここにいるというので客室で留守番していたのだ。
まあそれでなくとも、風で飛んではいけないし、デッキは揺れるので危ないだろう。
「風に当たってくると言っていたが……ダメだったようだな」
「治す? 治す?」
ピーコが言って飛んでくるが、幹彦が苦笑して言う。
「ああ……慣れた方がいいぞ、長い目で見ると」
僕は恨めしそうな目を幹彦に向けた。
「まあ、慣れるとかいうのは聞いた事はあるけどな。車には確かに慣れたし。でもそれまでが地獄だ……」
海上自衛隊員や海上保安庁職員や海上警察官なども、皆が最初から乗り物酔いしない人ばかりではない。それでも日々船に乗って酔い、ポリバケツ一杯分吐く頃には一人前になって台風の中でも平気になる、とか聞いた事がある。
「まあ、ギリギリまで慣れるようにしてみるよ。これで克服できたら儲けものだしな」
僕はそう言って、ベッドに倒れ込むようにして寝転んだ。
この世界の全貌はわかっていない。世界地図が存在していないからだ。
それでも、大きな大陸が二つあり、片方がマルメラ王国などのあるヒトが占有している大陸だ。
もうひとつが獣人やドラゴンが棲む大陸だ。
昔はもっと交流があったらしいが、諍いや戦争も多く起こり、今は互いの大陸に行き来するための港を各々一カ所だけ作り、細々と交流がある程度らしい。
この船はその限られた珍しい船便で、買い付けや何かを向こうに売るための商人や、向こうの大陸に行く冒険者が乗っているだけだ。観光などという者はいないという。
僕たちも旅行の目的を聞かれたら、「仕事」と答えることにした。




