ふたつの世界が離れる日
ほかの国でも、ダンジョン外への魔素の流出が止まった事はわかり、あれこれと心配していた事が杞憂に終わったと胸を撫で下ろしたり、反対に残念がったりしている事が報じられていた。
地下室は相変わらず精霊たちが張り切って、収穫は順調だし、隙をみては拡張しようとしているし、精霊王は人形がよほど気に入ったらしく、走り回る。
ポーション製作のためにダンジョンの比較的安全な所で薬草畑を作って薬草を植える試みがなされ、それを隠れ蓑に、地下室で作ったポーションを卸し、地下室の薬草を卸している。
薬草の組み合わせを熱心に行って薬師を名乗る者も現れ、国家資格としてテストの末に認定する事も始まった。
まさに、暮らしはダンジョンとは切っても切れないようになっている。
気付けばもうすぐ確定申告で、神谷さんまで一緒になってヒイヒイ言っているし、雅彦さんの結婚相手は税理士で、来年からは面倒を見てくれると言ってくれた。
合間に地下室の温泉でリフレッシュするのが楽しみだ。
ああ。隠居らしさはどこに。
それでも無事に乗り気り、ほっと一息ついて、ぼんやりと地下室ではしゃぐ精霊やチビ達を見ながら昼間からビールで乾杯をしていた。
「終わったなあ」
「来年はもうちょっとちゃんとしよう。で、任せよう」
「だよな。義姉さんもエルゼの分とごっちゃになってキレそうになってたもんな」
「プリンの実でもマンゴーの実でも肉でも、いくらでも渡そうな」
「あ、温泉入りたいってさ」
「美肌の薬草を用意しておこう」
笑って、グラスを傾ける。
「仕事を辞めた時は、一人だけの隠居と思って。それで幹彦が一緒にいてくれて、心強いとは思ったけど、それでも2人で。いや、2人と1匹で。
それが随分、賑やかになったよなあ」
言うと、幹彦も地下室を眺めて少し笑った。
「本当に、賑やかだよなあ」
どう見ても精霊がまた増えている。
気にしない、気にしない。
いつの間にか仲間が増えた。これも、悪くない。
と、精霊樹が光り、サラサラというかシャラシャラというか、音を立てた。精霊樹と向こうの世界の精霊樹とが別れを惜しんでいるかのようにも聞こえる。
「ああ。向こうの世界と、今離れたな」
チビが静かに言う。
「そうかあ。いいやつらだったよな」
しんみりとした。どうなるかわからなかったので、急遽「ニホン」に帰る事になったと言って、精霊樹と日本から持ち込んだ物を引き上げて来たのだ。
セバスとハンナも日本行きを希望し、地下室で仲良く家庭菜園の世話をしてくれている。
「異世界人とは思ってもいないだろうぜ」
「ああ。なんたって、貴族様だからな」
「それも、不思議な文化の僻地ニホン」
僕達はそう言って吹き出した。
それで僕と幹彦とチビは同時に精霊樹を見た。
「大きくなったよなあ。びっくりするくらい」
大木だもんな。
「もう、エルゼとはさよならかあ」
幹彦が言い、異世界の行った事のある場所、出会った人を次々と思い浮かべ、寂しくなる。
エルゼは最初に言っていた通り、したい事をしに行く場所で、気楽だった。多少は問題もあったけど、息苦しさはなく、開放感があった。
思えば、人付き合いのわずらわしさや家族を失った喪失感から仕事に逃げ、傷付いたのを言い訳に隠居に逃げ、面倒な雑務からエルゼに逃げたのかもしれない。
でも、もうエルゼはない。日本を選んだのは自分だ。
逃げる場所は、もうない。
「おしまいかあ」
寂しさと諦めとが入り混じり、チビの毛をわしわしと撫でた。
「でも、ダンジョンはなくならないぜ」
幹彦がそう言って片目をつぶる。
「うん。そうだな」
「だろ。だから、エルゼには行けなくても、やる事はそう変わらないって」
「それもそうか。僕達は、隠居だ」
「探索者兼、な」
どちらからともなく、吹き出した。
幹彦はいつも前向きで、俯かない。だから、相棒の僕も、俯いているわけにはいかない。
「これからも隠居の素晴らしさを薦めないとな」
そうとも。僕達の隠居生活は、まだまだ続く。
だったのだが。
「ああ?」
「ううん?」
おかしな声を上げて眉を寄せた僕とチビに、幹彦が首を傾けた。
「いや、な。確かに向こうで行ったことのある場所どこにでもという転移はできなくなってるんだけど、なんか、できなくはないよな、チビ?」
「ああ。たぶん、精霊樹まではいけそうな、感じ、か?」
チビも半信半疑という感じで言って、こちらを見た。
「神獣でもわかんないのか?」
「無茶言うな、フミオ。神獣とは言われてもたった1年目だし、こういう経験はないんだぞ」
「それもそうだなあ」
「で、どうする」
僕とチビと幹彦は、黙って目を見交わして相談した。が、それは数秒もかからなかった。
「良し!行こうぜ!」
チャレンジあるのみ!
僕たちは跳んで見た。
一瞬の後、見たことのある荒涼とした風景が目の前に広がっていた。
「異世界だ……」
僕たちはどこか拍子抜けしながらも喜びが湧き上がるのを感じた。
「あ、でも、遠い辺境に里帰りしたことになってるから、すぐエルゼに顔を出すのはちょっとどうかな」
気まずいものを感じる。すると幹彦も同じらしく、ううむと考え出したが、チビが事もなげに言った。
「じゃあ、向こうの別の大陸にも行ってみるのはどうだ。ドラゴンもいるし、獣人の住む大陸もあるしな。見所も美味いものもまだまだあるぞ」
ドラゴン!獣人!?おお……!!
「行こうぜ」
「うん、行こう」
地球と異世界の行ったり来たりの隠居生活は、まだ続きそうだ。




