25
白騎士の部屋にティーワゴンを運び込むと、部屋の『時知らせ』が宵の刻を指していた。
窓から暮れていく城下街を見れば、いつもとは違う強めの灯りが街の至る所に燈り始める。お祭りの露店を照らす灯りだろうか。
すっかり日が沈み、空が暗くなる。
夜空の中央に、きらきらと四色の星が瞬いた。
街の灯りと四色の星を代わる代わる眺めていると、不意に部屋の扉がノックも無く開けられる。
振り返ると、何故か不機嫌な白騎士が一人戻ってきた。
パレード用の正装姿のままの白騎士の眉間には深い皺。むすりと結ばれた口元。
じろりとこちらを見ると、大袈裟に溜息を吐いてから、長椅子へと無造作に腰を下ろす。
「……お茶、ご用意しますか?」
様子を窺う様に尋ねると、白騎士は頷く。
気を利かせて、お茶の支度をしておいて良かった。
速やかにポットに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
ちらりと自室の扉を見て、私は口を開いた。
「お出ししますか?」
「……なにをだ?」
面倒そうに眉を寄せる白騎士に私は続ける。
「リストの品を一部だけですけど、買ってまいりました」
白騎士の表情が少しだけ変わる。
返事を待たずに、私は自室から紙袋を抱えて戻った。
「こちらです」
白騎士の前にそれをそっと置くと、目ざとく例のお菓子を見つけ出したようだ。
紙袋からそれを取り出すと、白騎士は包みを開ける。
私も紙包み状のまま赤毛の人から手渡されたので、あのお菓子がどんな形をしているか見ていない。
お茶を淹れながら、白騎士の手元を覗き見る。
紙包みからは、さらに個別に薄紙に包まれたお菓子が四つ出てきた。
「よく買えたな」
お菓子を見つめて、白騎士が呟いた。
「それは、大変でした。通りすがりの方に助けてもらえたので、買えたんです」
私の発言を訝しげに聞き流しながら、白騎士は薄紙を開けていく。
形も色も違う、四つのお菓子がテーブルに並んだ。
その横に入ったお茶を出すと、白騎士はお菓子を眺めながらそれを一口飲む。
「四つ、すべて買えているとは、思わなかったな」
「四つ?」
「聖誕祭の菓子だからな。守護星に準えて四つだ」
「そうでしたか。では、それが、シュテファンジグベルト様の守護星のお菓子ですか?」
私は白騎士の手元のお菓子の一つを指差す。
白砂糖でコーティングされた楕円形の焼き菓子の上には、蜜掛けされた青色の実がつやつやと並んでいる。
その青い実にくるりと囲まれた焼き菓子の中央には中身の水色のジャムが丸く覗き、小さなミントの葉が添えられていた。
「そうだ」
頷くと、白騎士はそれを食べ始める。
テーブルには、赤、黄、緑をそれぞれにあしらった焼き菓子が並ぶ。
どれも可愛らしく趣向が凝らされ、ハレの日のお菓子という感じがする。
無言のまま青いお菓子を食べ、紅茶を飲む白騎士の眉間にもう皺は無かった。
「あの、今日はありがとうございました」
怪訝そうにこちらを見た白騎士に、私は二杯目の紅茶を注ぐ。
「街に出れたので、パレードも見れましたし、お祭りをのぞくことも出来ました」
「……そうか」
いつもなら嫌味の一つや二つは言ってくるはずの白騎士が、普通に私の話しを聞き頷いた。
嫌味を言われないのは喜ばしいことなのに、何か少し物足りないような、逆に不安になってくる。
青いお菓子を食べ終わると、白騎士は残りの三つの薄紙を閉じて紙包みへ戻した。
たっぷりと菓子甘味が詰め込まれた紙袋と、限定菓子の入った紙包みを持ち立ち上がると、書き物机の引出しを開ける。
一番深い引出しから中の物を取り出すと、そこへお菓子を仕舞い込む。
白騎士は引出しに鍵を掛けると、隣室へと向かいながら私を呼んだ。
「これから晩餐の支度をする。手伝え」
呼ばれるままに、隣室へと続く大きな両開きの扉をくぐる。
こちらの扉の向こうに入ったことは無かったので、やや緊張気味に足を踏み入れると毛足の長い絨毯がふかふかとしていた。
白騎士の指示に従って部屋の扉を閉めると、控え目なオレンジ色の灯りが部屋をぼんやりと照らす。
部屋の中央には布と綿がたっぷりと使われた、座り心地の良さそうな長椅子のセットが置かれていた。
壁際には凝った装飾のチェストに、小振りな書棚が並んでいる。
いつもいる部屋は、いわゆる執務室というものなのだろう。続き間のこの部屋は、白騎士のプライベートルームのようだ。
見れば、壁にはまだ隣に続く扉がある。
この部屋にベッドが置かれていないから、ベッドルームはこの隣か、さらに先の部屋になるのだろう。
さすが王子様となると、部屋の広さもそれ相応なようだ。
入り口に佇み部屋の様子を見ていた私に構うことなく、白騎士は身に着けたままだったマントを外し、床へ落す。
無造作に脱ぎ落された純白のマントを慌てて拾う。
飾り石が取れたり、変な皺でも付いたら大変だ。
衣装掛けが見当たらないので、少し迷ってから長椅子の背にとりあえず掛けることにした。
……晩餐の支度って、着替えって事でしたか。
マントを片付けて振り返った私の目の前で、白騎士はロングジャケットを雑に脱ぎ捨てた。
急いでそれも拾い上げて、付けられたままの装飾品を外し、テーブルに並べる。
その横で白騎士はシャツのボタンをはずし始める。
うん。どうやら、ボタンを外したりはご自分でやっていただけるようだ。けど……。
上半身を脱ぎ去った白騎士の肌色を直視しないように、脱ぎたてのシャツを拾う。
そしてそのまま、私はしゃがみ込む。
なんか、これも、ある意味で、セクシャルな嫌がらせの様に感じてしまうのですけど。
いや、でも、そんな風に感じることがそもそも違う訳で、私はここでは性別が男子なのだから、つまり白騎士とは同性だから、何もやましく思う必要は皆無なはずだけど。だけど……。
不自然に白騎士に背中を向ける続ける私を気にも留めず、白騎士は衣擦れの音を続けさせた。
どさりとブーツが脱ぎ倒される。
ぽそりとソックスが丸められる。
かちゃがしゃと飾りベルトが外される。
しゅるりとズボンが落とされる。
そして、
ばん! と乱暴な音を立てて、執務室に続いている扉が開け放たれた。
入口には、執務室の灯りを背に受けて立つアルトさん。
部屋の中央には、恐らく、布切れ一枚だけを身に纏った白騎士。
その足元にしゃがみ込む私の手には白騎士のシャツ。
床に散らばる白い衣装の数々。
そんな構図のまま、部屋はしばらく時が止まったかのようだった。
「なにを、しているのですか?」
妙に猫なで声のアルトさんの声に、びくりと部屋の空気が震える。
アルトさんは明るい執務室の灯りを背にしているので、逆光でその表情がよく見えない。
何時もと様子の違うアルトさんに、白騎士は訝しげに口を開く。
「晩餐の準備だが?」
「そうですね。これから晩餐会ですからね。……で、ユズコにはなにを?」
「なにをとはなんだ? これを片付けさせている――」
「ええ。そうでしょうとも。ただ、ユズコには不慣れな仕事ではないかと思うのですが。ユズコもそう思いませんか」
「そ、そう、ですね……」
部屋に入って来たアルトさんの口元はしっかり笑っているのに、目が笑っていない様な気がする。
「不慣れならば慣れるようにしていかねば、なにも出来ないままで――」
「シュテフ。風邪をひきますよ。入浴するのでしょう? 時間も無いのですから、早く浴室にどうぞ」
白騎士が尤もらしく口を開くが、すぐにアルトさんに遮られる。
「あ、あぁ。そうだな」
自分の薄着を思い出したのか、白騎士は大人しく更に奥の部屋へと入っていった。
白騎士を見送ったアルトさんがにっこりと笑う。
「シュテフが入浴している間に、少し話しでもしませんか?」
「は、はい」
不穏なものしか感じない笑顔に、私も大人しく返事をした。
握りしめたままだった白騎士のシャツを私から取り上げると、アルトさんはそれをポイッと放り、長椅子の向かいの一人掛けへと私を座らせる。
椅子は想像以上にふかふかで、身体が心地よく沈み込む座り心地だったけど、それを楽しめそうな雰囲気では全く無かった。
「パレードは、よく見えましたか?」
「は、はい。おかげさまで」
「そうですか」
私を椅子に座らせたけれど、アルトさん自身は部屋の中をゆっくりと歩きながら話す。
「ところであの本屋は、あの魔法使いが懇意にしているのをご存知ですか?」
「……」
無言で見上げれば、アルトさんの瞳は優しくこちらを見返す。
「……すみませんでした。クヴェルミクス様に紹介していただいて、あの場所からパレードを見ていました」
こちらをあくまで優しげに見つめる蜂蜜色の瞳を前にして、私は即座に事実を白状することにした。
「そうでしたか。私が事前に、もう少し気を配れていたら良かったのですが……。今回は仕方ありませんね」
物悲しげな表情でそう言ってから、アルトさんはいつもの優しい表情を浮かべた。
怒られずに済んだ事に、私はほっと身体の力を抜く。
「ところで、首の傷は大丈夫ですか?」
「え……?」
唐突な話題の変更に顔を上げると、アルトさんは微笑みながらこちらへと歩み寄る。
「魔法塔から帰ってくると、決まって血の香りがしているので心配していたんですよ」
私の正面に立ったアルトさんの視線が、私の首に巻かれたスカーフに合わされた。
「見せてくれませんか?」
『いいですよね?』と笑顔で言われて、私はゆっくりと頷くしかなかった。
このスカーフは、私の秘密を知らない人から魔法を隠すための物で、秘密を知るアルトさんがそれを見ることに何の問題も無いのだから。
おずおずと濃紺のジャケットを脱ぐと、リボンタイを解き、シャツのボタンを外す。
薄桃色のスカーフの結び目を解くと、アルトさんの手が伸びて首からスカーフが取り外された。
アルトさんは私の背後に回る。
私はクヴェルミクスに魔法を掛けて貰う時と同じように、深く俯く。そうすると、うなじがよく見えるから。
「随分と乱暴な魔法を掛けているんですね」
溜息を吐く様にアルトさんに言われて、私は曖昧に頷いた。
そこがどんな風になっているのか、実は私も知らない。
首の後ろということもあって、普通にしていれば目に入らないし、なにより血の滲む傷をわざわざ見ようとは思えなかった。
「この傷を癒したら、魔法は解けてしまうと思いますか?」
背後で囁く様にそう言うと、不意にアルトさんの指が私の首に添えられる。
その問いに対する私の返答を待たずに、アルトさんは口を開く。
「試してみましょうか。じっとしていてくださいね。少し確かめるだけですから」
顔を上げて振り返ろうとした私の肩がアルトさんの片手に押さえられる。
アルトさんのもう片手は、うなじを隠すように落ちて来た私の髪をかき上げた。
晒された首筋に息を感じる。
「え? あの? アルトさ――んんっっ!!」
『なにを?』とは聞くことが出来なかった。
身を硬くして、私は自分の口を両手で覆う。
アルトさんの行為に、悲鳴とは違う声を呑みこみ続けて、私の身体は不自然に震えた。
なぜ、私は、舐められて、いるのか、うなじを。
混乱する頭で考える。
アルトさんがしていることの意味が分からない。
なぜ? これも一種の魔法なのかもしれない。だって、さっき、傷を癒すとか言っていたから。
え? こんな風な治し方もあるのだろうか?
……あるのかもしれない。だって、アルトさんの行動には、何の躊躇いも見受けられない。
そうでなければ、普通、こんなことする訳がない。
なだめる様に私のかき上げた髪をとき梳くアルトさんの手つきは優しいけれど、もう一方の私の肩を押さえ込む手の力は微塵も緩まなかった。
きっと、クヴェルミクスの紹介に頼ったことにアルトさんは酷く腹を立てているのだろう。
それで魔法使いの魔法に、意趣返しを仕掛けているのかもしれない。
あの紹介状を受け取ったのは軽率過ぎたようだ。
今後は、十分に気をつけないといけない。
放られた白騎士のシャツを見ながら、まとまらない思考の中で、そう決意する。
「やはり、これに治癒魔法は効かないようですね……」
ふわりと戒めが弛むと、首筋をスカーフが優しく覆う。
どうやらアルトさんの気は済んだようだ。
背後から回されたアルトさんの手が器用にスカーフを結ぶと、続けてボタンが掛けられ、リボンタイが結ばれた。
流れるようなその手つきに、私が口を挟む隙も手を出す隙も無かった。
されるがままに身支度を整えられる。
「では、シュテフの衣装の片付けですが――」
すっかり何時もどおりの様子でアルトさんが話し始める。
あまりにも平静なその態度に、先ほどのことが無かったような気さえしてしまう。
綺麗に結ばれたリボンタイを見下ろせば、ますますそんな気がしてくる。
「どうかしましたか?」
返事をしない私を、アルトさんが覗き込む。
私は慌てて椅子から立ち上がった。
白騎士の衣装を片付ける為の袋を、支度部屋に取りに行くようにとアルトさんは言っていたのは上の空ながらにも聞いていた。
「は、はい。では、さっそく行ってきます」
「おねがいします。――あぁ、それと、この本はユズコには向かないと思いますので、私の方で処分しておいて構わないですよね?」
にっこりと笑ってアルトさんが取り出したのは、見覚えのある桃色の本。
胸中で盛大に上がった悲鳴を押さえつけて、私もにっこりと笑みを返す。
「もちろんです」
そう言うが早いか、私は猛烈な早足で部屋を出る。
飛び込む様に支度部屋に入ると、メイドさんが目を丸くして出迎えてくれた。
「あらユズコ? どうしたの? 顔が真っ赤だけど?」




