五章 歪んだ日常 26
自分の心音も聞こえてきそうなほど静まり返った校舎。
杉山竜は暗い廊下の窓から外を眺めていた。その視線の先には向かいの校舎にある保健室があった。孝二と真と舞が何やら話をしている。
「会いに行かないのかい?」
背後からの声に杉山竜は振り返る。そこには足元まで届く長いベージュのコートを着た緋川がいた。何事もなかったかのような涼しい顔をしている。
「僕にとっての日常ですから」
淡々と答える杉山竜は悲しげな眼をしていた。
「そうかい」
緋川はそれだけ言うと、同じように保健室のほうに視線を向ける。その手元では白い筒状の物体をくるくるとまわしていた。
「その皇帝の刻印、どうするんですか?」
「どうしようか」
緋川は困ったような表情を浮かべる。
「そうだね。また適当な人に埋め込んでも良いけど、この能力は歪んでしまった場合、回収に骨が折れるからね。しっかりと見極めないといけないね」
刻印を指ではじき、宙に舞うそれを眼で追う。
「あぁ、そうだ。轟君で成功したから、その恋人の木下千里君に埋め込んでみてもいいかも――」
「緋川隊長」
緋川の言葉をさえぎるように、杉山竜はその名を呼ぶ。緋川がそちらへ顔を向けると、杉山竜のほほ笑んだ顔が緋川をまっすぐにとらえていた。だがその眼は笑っておらず、鋭い殺意がこめられていた。
緋川は静かに微笑み、その手に持つ刻印を銀色のケースに収めた。
「……ああ、良い眼だ。君には本当に期待しているよ」
緋川はそれだけ言うと踵を返し、足音も立てずに暗闇の中へと消えていった。
残された杉山竜はその背中を――暗闇の奥をいつまでも見つめていた。




