五章 歪んだ日常⑳
その言葉に緋川の笑みがさらに歪んだ。
「絶対に許せません。今すぐに、この手で――」
「杉山竜君。君の意見はよく分かった」
緋川は笑顔をそのまま、鍵山に視線を戻す。再び視線を向けられたことに、鍵山は言いようのない恐怖を感じた。
「杉山竜君。下がっていなさい。彼の処罰は僕がしよう。君は罪を背負う必要はない」
優しく、穏やかな言葉。杉山竜は緋川に一礼した後、踵を返した。
杉山竜が校舎へ戻っていくのを見届けた後、緋川はその口を開いた。
「さぁ、君と僕の二人だ。鍵山君。残念ながら君をCWA法で裁かせるわけにはいかない」
ゆっくりと、言い聞かせるように緋川は言葉を続ける。鍵山は沈黙したまま緋川の言葉を聞く。
「僕の信条でね。一度心が歪められた人間は――決して元には戻らないと。体面を取り繕いまともには見せることは出来るだろう。だが、決して中は元には戻らない。歪み切ってしまってね。強制されたものではない。自由な状態で歪むことを選んだんだ。そんな人間が再び自由になったとき、まともな道を選ぶわけがない」
そういうわけだから――と緋川はコートの内ポケットに手を入れる。
「ふふ、懐かしいね。あの時は札束が出てきたけど、今回は違うよ」
緋川はそう言いながら、手を引き抜く。その手に握られていたのは――黒光りする拳銃だった。
「あの頃はまだ良い子だったのに。君は本当に人間の屑へと成り下がってしまった。残念だよ。だけどね。僕も鬼じゃない。君に最後のチャンスを与えようじゃないか」
緋川はそう言うなり、その拳銃を鍵山の足元に放り投げた。
「さぁ――」
緋川は優しく微笑み、こう言った。
「それで自分の頭を撃ち抜くんだ」
一瞬で血の気が引いていくのが分かる。目の前の拳銃。そして慈母のように微笑む緋川の笑み。
鍵山はどこか異世界に迷い込んだような錯覚を感じていた。
「このまま人間の屑として死ぬのは嫌だろう? だから自分で自分にけじめをつけるんだ。そうすることが君が人間に戻るために必要なことだ。扱いは簡単。手に持って引き金を引くだけ。さぁ――」
――拾うんだ。
鍵山は呆然と拳銃を眺めていた。そして緋川の言葉に促されるように、ゆっくりと拳銃に手を伸ばす。
「そうだよ。しっかりと持って。そして銃口を自分のこめかみへ」
銃口の先が震えている。だが、まるで何かに操られているかのように鍵山の腕は動き、その銃口は鍵山のこめかみへ向けられた。
「さぁ――」
緋川の口が動く。
「引き金を――」
鍵山の眼から一筋涙が伝う。全身ががくがくと震えている。
「さぁ――」
緋川はゆっくりと鍵山に告げる。
「引くんだ」
銃声。




