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一輪の花の右往左往

 6月の終わり。


 大学を卒業した真由美は、変わらず友人の店で働きながら東京での一人暮らしをしていた。


 親代わりである田舎の叔父や叔母に大見得を切った手前もあったが、自分の将来が見えないまま実家へ戻る事が、何より東京へ出てきた自分に対して無意味に思えた。


 だからと言って、このままでいいとも思えなかった。ただ、大学で出会った友人が言った、実家の花屋を継ぐの一言で、自分の何かが変わったような気がしていた。


 友人の実家は、東京の下町で小さな花屋を営んでいた。聞いた話しだけでも、花屋の朝は早く、夏場はいいが、冬に水を扱う仕事は、見た目よりもキツイものだった。


 それを承知で友人は継いだのだ。小さな頃から花が好きだったせいもある。親の背中を見て育った一人娘の優しさもあったかも知れない。ただ、それ以上に彼女は、自分の言葉として、夢を真由美に語った。


「そりゃさぁ、見た目より地味な仕事なのよ、実際は。でも、それは何でも一緒のような気がしてる。それよりさ、計画があるのよ。

 ウチの親ってさ、結局、古い人たちじゃない。別に悪口じゃなくてよ。もっとさ、例えばホームページとかさ、フラワーアレンジメントや教室開くとか、そしたらケッコウ、それなりにオシャレな花屋になると思わない? 勿論、大変だとは思うけど」


 その言葉通り、真由美の友人は大学在籍中からフラワーアレンジメントの勉強もしたりと、同い年とは思えないほどの明確な将来像を持っていた。当然、真由美には焦りに似た苦いものもあった。ただ、見えない夢への焦りより、そんな友人を傍で見る事によって得られる気持ちの高ぶりの方が、彼女にとっては大切だった。


 店のショーウィンドウの花を手直ししながら、ふと真由美は今朝の事を思い出していた。


 朝の仕入れで友人が大量に持ち帰った遅咲きの雛罌粟ひなげし。仕入れ値が思いのほか安かったなどと喜んでいたが、それは夜のフラワーアレンジメント教室で使う為だけではなかった。


 友人が店を継ぐ際。これだけは親でも譲れない一つとして、お店の改名があった。そこに自分の好きな花である雛罌粟ひなげしの何かを入れたかったらしい。結局、両親とも相談の上、スペイン名でいう『アマポーラ』に落ち着いた。


 以前、大学の夏休み中。一緒に旅行したスペインで見せられた、一面赤と白の雛

罌粟ひなげしの花畑。その感動は真由美の中にも未だ残っている。友人にとって、いや、このお店にとって雛罌粟ひなげしとはそういう存在なのだ。


 開店準備中。さすがに勉強しただけあって、友人は雛罌粟ひなげしについての一通りの講釈をしてくれた。なかば得意気ではあったが、彼女の話し上手も手伝って、それ以上に興味深い話しから真由美は頷くばかりだった。


--- 古代中国、楚の国の項羽、 漢の国の劉邦、その最期の戦いのとき、 項羽は愛する

虞妃ぐきとともに劉邦の大軍に周りを包囲された。項羽は別れの宴をして楚の国の歌を歌ってから(これが四面楚歌 の由来)最後の出撃をした。虞妃も自刃して殉じたのだが、 彼女のあとにヒナゲシの美しい花が咲いた。そのため人々は、この花を 虞美人草ぐびじんそうと呼んだとか ---。


--- 夏目漱石の小説にある虞美人草。 漱石が新しい小説のタイトル名を決めあぐねていた時に、街角の花屋さんで見た虞美人草ぐびじんそうの名に


「おっ、いい名前!これにしよう!」


ということで名づけたらしい事などなど ---


 友人の話に耳を傾けながら、真由美は大学卒業の論文を必死に書いていた頃の事を思い出していた。


 その参考書物として選んだ一冊に『夏目漱石の虞美人草』があった。その印象深く残る一節が頭の中を駆け巡る。


--- 問題は無数にある。粟か米か? これは喜劇である。工か商か? これも喜劇である。アノ女かコノ女か? これも喜劇である。綴れ織か繻珍しゅちんか? これも喜劇である。英語か独逸語か? これも喜劇である。全てが喜劇である。最後に一つの問題が残る。生か死か? これが悲劇である。そして、ここでは喜劇ばかり流行る ---


 人並みを自負する真由美にとって、難しい道義的なものは今ひとつピンとくるものは無かった。それより、右や左で悩んでいる自分が、例えそれが喜劇であったとしても、何か証に思えた。


 この先。出会いがあり。恋人が出来。子供を生んで母となり。年をとっていくであろう中で、きっと喜劇のように右往左往するのだろう。でも、それが何か証に思えていた。


 そんな事を思い返しながら、ショーウィンドウの直しが終わった頃。拭う汗に見上げた店先の空は、夏雲をはらんで青く眩しかった。


 そんな、今この他愛無い気持ち……。


「さて、今日も一日ガンバリますか!」






 おわり

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