第10話 南の楽園と、動く引きこもり要塞
窓の外は、目が眩むような青色だった。
寄せては返す波の音。
照りつける太陽。
そして、白い砂浜を駆け回る少女の歓声。
『義姉様ー! 見てください、大きな貝殻です!』
水遊び用の薄衣を纏ったリリア様が、満面の笑みで手を振っている。
その隣では、ジェラルド様が砂浜に寝椅子を置き、優雅に書物を読んでいた。
彼は上半身裸で、鍛え抜かれた筋肉を惜しげもなく太陽に晒している。
まさに、地上の楽園。
絵画のような光景だ。
「……暑そうですわね」
私は地下の魔導管理室で、冷えた果実水を一口飲んだ。
室温は常に快適な二十二度。
湿気もなく、直射日光で肌が焼ける心配もない。
私は頭に宝冠を載せ、砂浜にある「遠隔義体(三号機・防水仕様)」へと意識を飛ばした。
◇
『……ミランダ。本当に外へ出てこないのか?』
砂浜の寝椅子で、ジェラルド様が呆れたように言った。
彼の視線の先には、大きな日傘の下に鎮座する、私の義体がある。
義体もまた、ツバの広い麦わら帽子と、遮光の魔導眼鏡を身に着けていた。
『ええ。強い陽射しは肌を傷めますもの。それに、砂が靴に入る感触が苦手なのです』
私は義体の口を通じて答えた。
『私はここで十分楽しんでいますわ。この義体の視界は、本体の水晶に鮮明に共有されていますから』
『君らしいと言うべきか……。まあ、君が快適ならそれでいい』
ジェラルド様は苦笑し、果実の皮を剥いて義体の口元に運んでくれた。
味覚共有機能はないけれど、その気遣いだけで甘さを感じる。
『失礼します、旦那様』
そこへ、冷たい飲み物を載せた盆を持った執事が近づいてきた。
ヴァルガスだ。
彼は首に「逃亡防止の首輪」を嵌められ、リリア様の助手兼、雑用係としてこき使われている。
『……帝国の元・特務官に給仕をさせるとは。ヴォルフィード家は恐ろしいところだ』
『文句があるなら、地下牢に戻りますか? それともリリア様の徹夜実験に付き合いますか?』
私が問うと、ヴァルガスは青ざめて首を横に振った。
『い、いえ! 此度のように太陽の下を歩けるだけで、感謝の極みでございます!』
どうやら、すっかり調教……いえ、更正されたようだ。
彼の持つ知識は有益だ。
逃がさず、飼い殺しにして有効活用させてもらおう。
その時。
砂浜の向こうから、護衛の兵士を引き連れた一団が歩いてきた。
中心にいるのは、見覚えのある初老の男性。
異国の鮮やかな花柄をあしらった開襟シャツを着た、国王陛下その人だった。
『陛下!?』
ジェラルド様が慌てて立ち上がり、膝をつこうとする。
陛下はそれを手で制した。
『よいよい。余も忍びでの静養中だ。……しかし』
陛下は、砂浜に鎮座する巨大な要塞屋敷を見上げ、あんぐりと口を開けた。
『報告には聞いていたが……まさか、屋敷ごと飛んでくるとはな。ヴォルフィード家の「別荘」にしては、少々大きすぎはしないか?』
『申し訳ございません。……転移の座標計算に、若干の誤差がありまして』
日傘の下から、私(義体)が平然と答える。
陛下は「誤差で済む話か」と笑い出した。
『まあ良い。おかげで退屈な静養に花が咲いた。……ミランダよ。そなたの屋敷は、もはや「領地」に縛られぬ存在となったようだな』
陛下は鋭い眼光で、私を見据えた。
『移動要塞ヴォルフィード。……有事の際は、その機動力、国のために役立ててもらうぞ?』
『……善処いたします』
私は曖昧に微笑んだ。
まあ、屋敷ごと移動できるなら、面倒な王都出勤も「自宅から」できるということだ。
悪くない条件かもしれない。
『うむ。では、余も混ぜてもらおうか。……おい、肉を持ってこい! 浜焼きの宴だ!』
陛下が護衛に命じる。
まさかの王族乱入。
静かな静養は、賑やかな宴へと変わっていった。
◇
その日の夕暮れ。
宴が終わり、陛下がお帰りになった後。
私は義体の接続を切り、管理室から出てきた。
屋敷の屋上。
風の浄化陣が回るその場所で、私は本物の夕日を見上げた。
水平線に沈む太陽が、海を黄金色に染めている。
地底の閉塞感とは違う、どこまでも広がる世界。
「……綺麗」
思わず呟くと、隣にジェラルド様が並んだ。
「ああ。……生きて帰れたな」
彼は私の肩を抱き寄せた。
「次はどこへ行く? 北へ戻るか? それとも、しばらくここにいるか?」
「そうですわね……」
私は海風に髪をなびかせ、考えた。
この屋敷はもう、ただの石造りの家ではない。
次元を超え、空を飛び、海を越える「箱舟」だ。
私の魔力と、この制御権がある限り、世界のどこへだって行ける。
「しばらくは、ここでのんびりしましょう。……冬の寒さには飽きましたもの」
私は彼の胸に頭を預けた。
「それに、どこにいても関係ありませんわ」
「ん?」
「雪山でも、地底でも、南の島でも。……この屋敷があって、貴方がいれば。そこが私の『世界』ですから」
私が言うと、ジェラルド様は優しく微笑み、額に口付けを落としてくれた。
「違いない。……俺も、君がいる場所が帰る場所だ」
二人の影が、夕暮れの甲板……いいえ、屋上に長く伸びる。
世界は広い。
まだまだ私の知らない景色や、脅威が待っているだろう。
けれど、怖くはない。
私には、最強の要塞と、最愛の家族がいる。
私は踵を返した。
「さあ、戻りましょう旦那様。……夜風が冷えてきましたわ」
「ああ。……今夜の夕食はなんだろうな」
「リリア様が釣った魚の香草焼きだそうですわよ」
重厚な扉が閉まる。
世界と私を隔てる、愛しき境界線。
「施錠、完了」
私は小さく呟き、鍵をかけた。
冒険は終わった。
そしてまた、幸せな引きこもり生活が始まるのだ。




